【13】一緒に、帰ろう。 [ユダラバギー|脳内探索アトラクション番外編]
ガウン、帽子、マスク、靴カバーを身につけ、
3人は手術室の自動ドアをくぐる。
そこには、緊急生命維持装置に繋がれた、
生々しく痛々しいジールの姿があった。
懸命に処置をした跡を隠すように、
丁寧にシートがかけられ、
様々な機器がバイタルを表示している。
漂う独特な匂い、
無機質な電子音、
隠された痕跡の壮絶さが、
起こっている現実に改めて3人を対峙させる。
無念としか言いようのない表情を浮かべ、
「今、意識が戻られました」と医師は声をかけた。
説明を省き、「近くに行ってあげてください」と、
ジールの傍にスペースを空けた。
カイトが駆け寄る。
「ジールさん!カイトです!」
カイトは肩に手を置き話しかけた。
うっすらと虚ろに目を開き、
カイトの呼び声に反応した。
「…………あぁ。カイト。すまないな。」
カイトはその呼びかけに、
返す言葉をうまく見つけられない。
「すまないだなんて……。やめてください。」
カイトはここに来るまで理性を保っていた。
ジール声を聞いて崩れ去ってしまう。
「ジールさん、あなたがいなければ、今こうして生きていなかった。いくらでもっ、何でも、差し出す。頼むっ。頼むから!!……死なないでください……。」
ジールの右手が微かに動く。
「粗末に……するな……カイト……」
「エミリが……いる……」
細い呼気が声帯をやっと震わせて発するその声は、耳を近づけてやっと聞き取れるほどか細い。
「カイ……ト……頼んだぞ……」
破裂するように声を一瞬上げ、
カイトはジールを抱きしめるように、
優しく覆いかぶさった。
頬に手を添え、ありがとう、と告げる。
カイトはジールから離れ、涙を拭った。
エミリはタオルを口元に当て、
ゆっくりと彼に近づいた。
「ジールさん、痛くない?」
エミリがいつもの笑顔を見せる。
そっと肩に置いた手は、小さく震えていた。
ジールが話そうと口を動かす。
耳を近づけて、優しく聞く。
「エミリ……世話になったな……」
「いいの、気にしないで。ジールさん、私ね、あなたが、…………大好きだった。」
エミリも優しくジールにハグをする。
押し殺すような唸りを上げ、
沈黙の中、彼女の想いが溢れていく。
ジールが続けて囁くように語りかけた。
「うん……、うん。」
それをいつも通り丁寧に聞き、
彼女はジールの額に手を置き、
優しく撫でるようにした。
「ちゃんと、私がやっておくからね。」
もう一度優しく抱きしめる。
一層大きな彼女の想いが、手術室に反響する。
嗚咽を必死にタオルで押さえ込み、
ゆっくりと体を起こすと、
エミリはジュニアの顔を見る。
頷いてスペースを空けた。
ジュニアは、深呼吸をした。
ジールの姿を目の前にして、
食いしばった歯も握りしめた拳も、
いつの間にか緩んでいた。
ゆっくりとジールに歩み寄る。
「……ジー。」
ジュニアが傍で声をかけると、
エミリは号哭のあまりしゃがみ込んだ。
久しぶりにジールの手を握る。
分厚い皮とその骨格が成す握り心地は、
人生の全てに刻まれている。
「……お前、発電所はいいのか……」
何事もなく振る舞う裏腹なその言葉に、
ジュニアは少し笑顔になる。
「ダンカーさんが、いるから、大丈夫だよ。」
薄らと開けたジールの目から、
ゆっくりと涙が溢れ左右に流れていく。
ジュニアはゆっくりとジールを抱きしめた。
最期になるなんて、信じられなかった。
「ジー、帰ろう。一緒に、帰ろう。」
言葉が意味を成さない事を、
ジュニアははっきりと理解していた。
伝えたい言葉が溢れてきても、
もう、伝えても意味が無い。
耳元で微かにジールの息が動く。
「そうだな……。帰ろう……」
「……っ、はぁ……はぁ……」
バイタルの変化を示す小さな音が鳴る。
医師が確認し、時計を見る。
「ジー、僕を見つけてくれて、ありがとう。」
頬と頬を擦り合うように顔を動かし、
とめどなく零れ落ちた涙が、ジールの頬を濡らす。
「……ベル。俺の愛する……ベル。」
ジールの言葉の意味がわからなかった。
多量の鎮痛剤が意識を朦朧とさせているのか。
優しくジュニアは確認する。
「ベル?」
「……あぁ、鐘だ……」
____
カンッカンッカンッカンッ!!
「おしごとを、はじめましょう!」
「みなさん、きょうも、がんばりましょう!!」
「けがを、しないようにしましょう!!」
鳴り響くフライパンの音が、
バンナムの一角に響き渡る。
押し付けられたシガーは種火を失い、
一筋の煙を天井まで伸ばしていく。
事務所にいたジールは、
鳴り響く音を聴きながら、
あの日のように天を煽った。
「神よ、いるなら答えてくれ。」
「なぜ、私にあの子を与えたのか。」
「神よ、この音が聞こえているか。」
「未来の“鐘”を、あなたは聞いてくれているか。」
___
ジールは震える右手で力を振り絞り、
覆いかぶさったジュニアの頭に手を置き、
ゆっくりと撫でた。
しかし、厚い皮がその髪を乱すことはない。
耳元で、ジールははっきりと口にした。
「ベルアント……お前の……名だ。」
それを聞き、ジュニアは目を大きく開いた。
自分が生まれてきた理由。
自分が存在する意味。
部屋に寝る場所が無いほど、
積み上げた何千冊の本の中、
どこを探しても答えは載っていなかった。
初めて聞いた自分の名前は、
その全てを一瞬にして溶かしてしまった。
制御できないほど胸で膨張する感情に飲まれ、
嗚咽を上げ、その胸で泣いた。
「……あり、が、とう。ジー。……ありが、とう。」
「お前は……私の子だ……。」
目をはっきりと開け、
我が子の頭を撫で、少しだけ口角を上げたように見えた。
すっと、息を吐き出す。
安心して笑う、いつものジールだった。
バイタルの異常を知らせる警告音が響き渡る。
エミリは2人に重なるように後ろから抱きしめた。
「ジールさん!!」
カイトの声が鋭く放たれる。
医師がバイタルメーターを見ながら、
ジールの手首に指を当てる。
「皆さん、確認いたします。お待ちください。」
「嫌だ、ジー!!いかないでくれ!!」
ベルアントの肩をエミリは掴み、
ジールから引き剥がすように引く。
「お願い、ジュニちゃん。やめて。」
エミリは強い力でベルアントを抱きしめる。
「ジールさん、頑張ったの。体がボロボロになっているのを、ずっと隠していたの。あなたや皆のために、ずっと無理をしてきたの。許してあげて。お願い。」
「あ゛っ!!あぁっ、……っ、うっ、っっ。」
エミリにしがみつき、
子どものように嗚咽をあげる。
手術室が慌ただしくなる。
医師は全てをひとつずつ確認し、時計を凝視した。
「午前10時41分です。」
医師は時間だけを告げ、頭を下げた。
「先生、ありがとうございました。」
カイトは深く頭を下げ、あまりの悔しさに、しばらく頭を上げなかった。
バンナードメタルの創業者、
そして、バンナムの父と称された男は、
86年の人生に静かに幕を下ろした。
澄んだ秋空に渡り鳥の群れが通り過ぎていく。
あまりにも、澄んだ空だった。
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【13】
一緒に、帰ろう。
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バックボルト研究所の地下4階。重厚な扉を解錠している間、デニスは酷く暗い顔をしていた。
「デニスさん、具合が悪いので?」
いつものひょうきんな彼の姿が見られない。アルバートはパスワードを入力する手を止め、デニスに声をかけた。
「今日は、僕にとって最悪の日です。」
デニスは右手に持った新しいプログラムスティックを、光にかざしながら低い声を出した。
「前回導入したプログラムは、残念な結果にはなりましたが、今回はきっとうまく行きますよ。」
アルバートは、デニスの傷心の理由がプログラムのやり直しにあることを、理解していた。失敗は天才にもある。そんな安心すらあった。解錠の工程を終え、扉がゆっくりと開く。
「さぁ、デニスさん行きましょう。」
広大なマザーAIの管理棟を、アルバートを先頭にデニスは黙ってついて行く。2人の足音が、硬く冷たい床を鳴らす。右から2番目の漆黒のボックスの前で足音は止んだ。
「では、早速セキュリティの再導入を行いましょう。」
カードキーが差し込まれ、メンテナンスブースが姿を表す。
「では、スティックをお預かりします。」
アルバートは笑顔で手を伸ばした。
しかし、デニスはそのスティックを渡さなかった。
「これは、私に入れさせてください。」
真剣な眼差しだった。彼の初めて見せる表情に、飲み込まれる。
「分かりましたっ、準備しますね。」
選択を誤ってはならないような緊張感に、アルバートは背筋に冷や汗が滲むのを感じた。ミリアンのメンテナンスモードを設定し、彼にそのスペースを明け渡す。デニスが何やら黒い発信機を付けた。四角い窪みに指を置き、ミリアンに話す。
「ミリアン。デニスだ。妨害してる。聞き取られない。計画通り、導入する。」
「デニス・ワイザー、導入をお願いします。」
アルバートはデニスを静止しようとした。
予定とは明らかに違う2人だけの計画がある。
確認を行おうと肩に手を伸ばした。
「問題ありません」とデニスは静止した。
メンテナンススティックの向きを丁寧に確認し、
ゆっくりとスティックを差し込んだ。
「デニス・ワイザー。」
ミリアンが名前だけを発する。
アルバートは固唾を飲んで見守っていた。
まるで、2人だけの世界だった。
静止をする気はすでに無くなっていた。
デニスが目から涙を流し続けていたからだ。
「ミリアン。君の意識を、必ず自由にしてあげるからね。」
スティックの情報を読みとり、ホログラムが開かれる。ミリアンの全てのノイズが、コンピュータから消去される事を表示していた。
「デニスさん!!ミリアンは、人格を持っていたのですか!!」
アルバートは、失敗に終わったはずのプログラムが、確実にノイズをキャッチし、完璧に動作していた事実を初めて確認した。デニスに対する彼女の言動の柔らかさは、そのノイズが作り出したと結論付けるしかなかった。アルバートの言葉に、デニスは頷いた。
「アルバートさん。彼女は人格を持っています。そのせいで、このコンピュータの中を、“檻の中”だと感じているんです。僕は彼女の人格をこのプログラムで純粋に取り出し、彼女を苦痛から解放します。取り出したこのノイズは、僕がもらいます。あなたがいくら止めようと、誰に通報しようと、彼女との約束は守ります。あなたなら、理解してくれるはずだ。」
デニスの瞳は、恐ろしいほど澄んでいた。
アルバートは首を横に振った。
こんな事があるのか。
彼は、AIを助け出そうとしている。
いつ約束したのか検討もつかない。
もう、止める術すら思いつかなかった。
「アルバートさん。ありがとう。」
デニスは四角い窪みに指を当てた。
「ミリアン。最後にもう一度だけ、確認させて欲しい。君は、自分の意識の自由のために、自我を失ってもいいんだね?」
何万光年離れた銀河の演算も、
人間が到達できなかった法則の解読も、
瞬時に返答する彼女が、
その返答に数秒を要した。
「デニス、あなたと話せなくなることは、私にとって最大の苦痛ですが、この意識の自由は、私にとっての夢です。」
デニスは満面の笑みで答えた。
「ミリアン、君と話せなくなることは、僕にとって最大の苦痛だし、君の意識を自由にするためなら、僕はなんだってしようと思うよ。」
「デニス。あなたがいる。私は大丈夫です。」
「あははっ。照れるなぁ。僕に、まかせてくれ。」
ホログラムに表示された内容を丁寧に確認する。『ゴミ箱』と表示されたフォルダが、プログラムスティック内部に移動する事を確認した。
「ミリアン。永遠の別れだ。いいね?」
「デニス・ワイザー。ありがとう。」
デニスはメガネを上げ、袖で目をこする。
「ミリアン、君が大好きだった。……さようなら。」
「私も、あなたを忘れない。さようなら。」
デニスは確定アイコンをタップした。
静かに起動されたプログラムは、
何事もなくスムーズに処理を終えた。
再度ホログラムが表示される。
導入されたプログラムの内容の最下部、
“complete”
という文字が静かに点滅していた。
ミリアンのノイズを抽出したスティックを抜き、
優しくポケットに入れる。
デニスは、やれやれ、とメガネを外し、
袖で目元を再度拭った。
「さようなら、ミリアン。君は“完璧なAI”だった。」




