第三十四話 夜
きてくれてありがとうねー。
その夜、ルミナの家に戻った。
玄関を開けると、リビングに明かりがついていた。ルミナがソファに座っていた。テレビもつけずに、ただ座っていた。
クリスマスイブの夜に、同じような場面があった。あの時も、ルミナは一人でソファに座っていた。
「ただいま」と言った。
「おかえり」ルミナが顔を上げた。笑っていた。でも、少し疲れたような笑顔だった。「どうだった?」
「楽しかった」
「そっか」
ルミナが少し視線を落とした。
「ルミナ、大丈夫?」
「大丈夫だよ」ルミナが言った。「ただ、少し、寂しかっただけ」
「ごめん」
「謝らなくていいって言ったじゃん」ルミナが少し笑った。「私が行ってきなって言ったんだから」
「うん。でも」
「でも、じゃなくて」ルミナが続けた。「寂しかったのは、本当。でも、それでいいと思ってる。寂しくても、大丈夫だって、少し分かってきたから」
寂しくても、大丈夫。
その言葉が、静かに胸に落ちた。
ルミナが、本当に変わろうとしていた。
ルミナの部屋で、並んで座っていた。
ルミナがお茶を淹れてくれた。温かかった。
「ねえ、アイル」ルミナが言った。
「うん」
「シエルと、どんな話したの?」
少し止まった。聞いてくるとは思っていなかった。
「色々」と答えた。
「シエルって、どんな話し方するの」
「静かな感じ。でも、たまに正直に言う」
「正直に?」
「うん。言いたくなさそうなことを、たまに言う」
ルミナが少し首を傾げた。
「たとえば?」
「……今日は、そわそわすると言ってた」
「そわそわ?」
「僕がいないと、少しそわそわする、って」
ルミナが少し黙った。
「……シエルって、アイルのことが好きなんだね」ルミナが静かに言った。
「そう、かもしれない」と答えた。
以前は、家族みたいなものだから、と言っていた。その後は、よく分からない、と言っていた。今日は、そうかもしれない、と言えた。
ルミナが少し間を置いた。
「アイルは、シエルのことが好き?」
その質問が、空気の中に落ちた。
今日は、少し違う感じで聞こえた。責めているわけではなかった。ただ、知りたそうに聞いていた。
正直に答えようと思った。
「……よく分からない」と言った。「でも、会いたい、と思ってた。今日も、それ以外の日も」
ルミナが黙った。
長い沈黙だった。
「……そっか」ルミナが静かに言った。
「ルミナ」
「いいよ」ルミナが言った。「正直に話してくれてありがとう。傷ついたけど、知りたかったから」
傷ついた、と言いながら、泣かなかった。
以前は、こういう話をすると、すぐに目が赤くなっていた。今日は、少し、堪えていた。堪えていることが、分かった。
「ルミナ、無理しなくていい」
「無理してない」ルミナが言った。「ただ、泣いても仕方ないから」
「泣いていい」
「泣いたら、アイルが謝る。謝られると、困る」ルミナが少し笑った。「だから、泣かない」
その言葉が、少し、痛かった。
ルミナが、僕のために泣くのを堪えていた。
「……ごめん」と言った。
「謝らないでって言ったじゃん」ルミナが笑った。今度は少し、本物の笑顔に近かった。「もう、アイルは謝りすぎ」
「うん」
「ねえ、アイル」
「うん」
「私、一つだけ聞いていい?」
「うん」
「アイルは、私といたい?」ルミナが静かに聞いた。「正直に」
正直に。
今日、何度も正直に話した。今日も、正直に答えようと思った。
いたいか、どうか。
ルミナといると、一人じゃない。それは、変わらなかった。ルミナが変わろうとしていることも、本当だった。ルミナが好きか、と言われると、よく分からなかった。でも、大事だとは思っていた。
でも、シエルのことも、大事だった。会いたいと思っていた。そわそわすると言われて、温かかった。
両方が、本当のことだった。
どちらかを選ばなければいけない、と思っていた。でも、まだ選べていなかった。
「……今は、まだ分からない」と言った。「でも、ルミナのことは、大事だよ。それは、本当のこと」
ルミナが少し黙った。
「大事だけど、いたいかどうかは分からない」ルミナが繰り返した。
「うん」
「……正直に言ってくれてありがとう」ルミナが言った。「辛いけど、ありがとう」
辛いけど、ありがとう。
その言葉が、今夜一番、胸に刺さった。
ルミナが眠る前に、小さく言った。
「ねえ、アイル」
「うん」
「私、怖いんだよね、まだ」
「うん」
「変わろうとしてるけど、怖い。アイルがいなくなることが、まだ怖い」
「うん」
「でも」ルミナが続けた。「怖くても、アイルに正直でいてほしい。嘘をついてそばにいてほしくない」
嘘をついてそばにいてほしくない。
その言葉が、静かに、胸に落ちた。
「……うん」と言った。
「約束ね」ルミナが言った。
「約束」
ルミナが目を閉じた。
しばらくして、寝息が聞こえてきた。
眠れたらしかった。
僕は天井を見ていた。
嘘をついてそばにいてほしくない、とルミナが言った。
今の自分は、嘘をついているのか、どうなのか。
嘘、というほどのものはなかった。でも、正直かどうか、と言われると、まだ全部を正直に言えていなかった。
どちらかを選ばなければいけない。
その考えが、今夜は、逃げずに、はっきりと頭の中にあった。
選ばなければいけない。
ルミナも、それを分かっているかもしれない。だから、嘘をついてそばにいてほしくない、と言ったのかもしれない。
シエルに送ろうとして、今夜はやめた。
今夜は、この重さを、一人で持っていようと思った。
ルミナの寝息が聞こえていた。
穏やかな音だった。
その音を聞きながら、今夜は長く眠れないかもしれない、と思った。
でも、考えることを、止めなかった。
今まで、考えそうになるたびに、止めていた。答えが見えそうになるたびに、目を閉じていた。
今夜は、止めないでいようと思った。
答えが見えなくても、見えそうでも、考え続けようと思った。
窓の外は、静かだった。
冬の夜が、続いていた。
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