表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/35

第三十三話 揺れる

きてくれてありがとうねー。

 二月になった。

 寒さが一番厳しい季節だった。朝、外に出ると、空気が刺さるように冷たかった。息が白くなって、すぐに消えた。

 ルミナとの毎朝は、変わらず続いていた。

 でも、少し前とは違っていた。ルミナが変わろうとしていた。それは、小さな変化だった。覗き込んでくることが減った。「早く帰ってきて」という言葉が減った。一人でいる時間を、少しだけ作るようになっていた。

 その変化が、僕の中に何かを積み重ねていた。

 積み重なったものが、何なのか、まだ分からなかった。


 ある朝のことだった。

 学校に向かう途中、分かれ道に差し掛かった。

 今日も、まっすぐ進むはずだった。

 でも、足が、少し止まった。

 止まった理由が、自分でも分からなかった。ただ、止まった。

「どうしたの?」ルミナが気づいた。

「なんでもない」と言って、また歩き始めた。

 まっすぐ進んだ。ルミナの家の方向に。

 でも、分かれ道を過ぎてから、少し長く振り返った。

 今日は、長く振り返った。


 昼休み、一人でいる時間があった。

 ルミナが最近、時々一人の時間を作るようになっていた。今日も、「少し一人でいてくる」と言って、どこかに行った。

 一人で弁当を食べた。

 窓の外を見た。空が青かった。冬の青空。

 こういう時間が、最近少し増えていた。一人でいる時間。考える時間。

 シエルのことを、考えた。

 シエルと最後に会ったのは、冬休みの最終日だった。それから、もう一ヶ月近くが経っていた。

 会いたい、という気持ちが、今日は少しはっきりしていた。

 会いたい。

 その感情が、自分の中にあることを、今日は隠さずに、そのまま感じていた。

 ルミナが戻ってきた。

「どうだった?」とルミナが聞いた。

「静かだった」

「私も、静かだった」ルミナが席に着いた。「一人でいるの、少し慣れてきたかも」

「そう?」

「うん。最初はすごく不安だったけど、最近は少しだけ、大丈夫になってきた」ルミナが少し笑った。「アイルのおかげかもしれない」

「僕のおかげ?」

「正直に話してくれたから」ルミナが窓の外を見た。「アイルがいなくても大丈夫かもって、自分に言い聞かせてたら、少しずつ、そういう気がしてきた」

 アイルがいなくても大丈夫かもしれない、と自分に言い聞かせてきた。

 その言葉が、胸に落ちた。

 ルミナが、一人でそういうことをしていた。誰にも言わずに。

「……すごいね、ルミナ」と言った。

「すごくないよ」ルミナが笑った。「ただ、変わりたかっただけだから」


 放課後、ルミナの家への帰り道。

 いつもの道を歩きながら、僕は少し、今日のことを考えていた。

 分かれ道で足が止まったこと。会いたいという気持ちがはっきりしていたこと。ルミナが一人でも大丈夫になってきたこと。

 色々なことが、今日積み重なっていた。

「ねえ、アイル」ルミナが言った。

「うん」

「今日、なんか考えてることある?」

「ある」

「言える?」

 少し考えた。

「……シエルに会いたい、と思ってた」と言った。

 ルミナが少し止まった。歩きながら、でも、少し止まった感じがした。

「そっか」ルミナが静かに言った。

「ごめん」

「謝らなくていい」ルミナが言った。「正直に言ってくれたんでしょ」

「うん」

 また少し沈黙があった。

「……行ってきたら?」ルミナが言った。

 驚いた。

「行ってきたら、って」

「今日、うちに来なくていいよ」ルミナが静かに言った。「シエルのところ、行ってきなよ」

「でも」

「でも、じゃなくて」ルミナが少し笑った。笑っていたが、少し無理をしているような笑顔だった。「私、変わろうとしてるから。アイルが会いたい人に会えないのは、変じゃん」

 アイルが会いたい人に会えないのは、変じゃん。

 その言葉が、静かに、胸に落ちた。

「本当に、いいの?」

「いいよ」ルミナが頷いた。「ただ、後で、連絡だけして」

「する」

「うん」ルミナが笑った。「行ってきな」


 分かれ道に戻ってきた。

 今日は、曲がった。

 迷わずに、自分の家の方向に。

 歩きながら、少し、胸が動いた。

 ルミナが行ってきな、と言った。それが、本当に嬉しかった。ルミナが変わろうとしていることが、本当のことだと分かった。

 でも同時に、ルミナが無理をしているかもしれない、という感覚もあった。

 どちらも本当のことだった。


 家に着いた。

 玄関を開けた。いつもの匂いがした。

「おかえりなさい」シエルの声がした。

「ただいま」

 リビングに入ると、シエルがいた。今日は本を持っていた。でも、ページを開いていなかった。

「今日は来ると思っていなかったです」シエルが言った。

「ルミナが、行ってきなって言ったから」

 シエルが少し止まった。

「……ルミナさんが」

「うん」

 シエルが少し目を細めた。何かを考えているような顔だった。

「どうぞ、座ってください」シエルが言った。

 ソファに座った。シエルがお茶を淹れてくれた。

 二人で、しばらく静かにいた。

「シエル」

「なんですか」

「会いたかった」と言った。

 シエルが少し止まった。

 今まで、そういうことを直接言ったことはなかった。会いに行く、とか、また来る、とかは言っていた。でも、会いたかった、という言葉は、今日が初めてだった。

「……そうですか」シエルが静かに言った。

「うん」

「僕も」シエルが少し間を置いてから、続けた。「会いたかったです」

 その言葉が、今日は特別に、温かく胸に落ちた。

 二人で、お茶を飲んだ。

 窓の外は、寒そうだった。でも、部屋の中は温かかった。

 こういう時間が、好きだった。

 今日は、その気持ちを、言葉にしようと思った。

「シエル」

「なんですか」

「ここにいると、落ち着く」

 シエルが少し止まった。

「……そうですか」シエルが静かに言った。「よかったです」

 よかったです、という言葉が、今日は少し、照れているような感じがした。

 シエルが照れることがあるのか、と思ったが、そうなのかもしれなかった。

「シエルは、落ち着く?」と聞いた。

「僕は」シエルが少し考えた。「アイルさんがいると、落ち着きます」

「いない時は?」

「……少し、そわそわします」

 そわそわ、という言葉が、シエルから出てくるのが、少し意外だった。でも、そう言った。

「そわそわするんだ」

「はい」シエルが少し視線を逸らした。「あまり、言いたくなかったですが」

「なんで」

「……なんとなく」

 なんとなく、と言って、シエルが窓の外を見た。

 白い息が、窓の外でうっすら見えた。寒い日だった。

 シエルがそわそわする、という言葉が、頭の中に残った。

 シエルも、そういう感情があるのだ、と改めて思った。分かっていたが、改めて、思った。


 夕飯を食べて、少し話して、夜になった。

 今日は泊まらないつもりだった。ルミナに連絡する、と言っていたから。

「帰ります」と言った。

「そうですか」シエルが立ち上がった。

 玄関で靴を履いた。シエルが見送った。

「ありがとう、今日」と言った。

「どういたしまして」シエルが言った。「また来てください」

「うん、また来る」

「約束ですよ」

「約束」

 ドアを開けた。外は暗くて、冷たかった。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい」シエルが言った。「気をつけて」

 ドアを閉めた。

 歩き始めた。

 今日は、ルミナが行ってきな、と言った。シエルが会いたかった、と言った。

 どちらも、本当のことだった。

 ルミナの家に向かいながら、今日のことを全部持っていた。

 シエルがそわそわする、という言葉を、特に、持っていた。

 冬の夜の空気が、冷たかった。

 でも、胸の中は、少し温かかった。


面白かった人は続きも見てね〜!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ