第二十二話 年越し
きてくれてありがとうねー。
大晦日の夜、ルミナの家でテレビを見ていた。
年越し番組が流れていた。芸人が何かを言って、客席が笑っていた。ルミナも笑っていた。僕も、少し笑った。面白かったかどうかは、よく分からなかった。笑い方を覚えた、とどこかで思った。
ルミナの母も一緒にいた。みかんを食べながら、テレビを見ていた。三人でソファに並んでいた。
悪くない夜だった。
悪くなかったが、去年の大晦日はどうだったか、ふと考えた。
去年は、家にいたはずだった。シエルがいて、二人でいたはずだった。年越し番組を見たかどうか、覚えていなかった。でも、家にいたことは確かだった。
今年は、ルミナの家にいる。
来年は、どこにいるだろうか。
その考えを、止めた。
深夜十二時が近づいてきた。
テレビのカウントダウンが始まった。ルミナが「あと少し」と言った。ルミナの母が「今年も早かったわね」と言った。
僕は画面を見ていた。
数字が減っていった。十、九、八、七。
その間に、スマートフォンを少し見た。
シエルからメッセージが来ていた。さっき気づかなかった。
『もうすぐ年が変わりますね』
時刻を見ると、十分ほど前に来ていた。
返そうとした時に、テレビから「三、二、一」という声が聞こえた。
「あけましておめでとう」とルミナが言った。僕の方を向いて、笑った。
「あけましておめでとう」と言った。
ルミナの母も「おめでとう」と言った。三人で、少し笑った。
テレビの中で、花火が上がっていた。
僕はスマートフォンを持ったまま、花火を見ていた。
シエルへの返信が、まだできていなかった。
少しして、ルミナの母が「もう寝ようかしら」と言った。ルミナも「眠くなってきた」と言った。
三人で片付けをして、ルミナの母が先に部屋に戻った。
ルミナと二人になった。
「楽しかった?」とルミナが聞いた。
「うん」
「よかった」ルミナが笑った。「今年もよろしくね、アイル」
「こちらこそ」
ルミナが少し僕に寄りかかった。「ずっと一緒にいようね」と言った。
ずっと一緒に。
その言葉が、今夜は少し重く聞こえた。ずっと、というのがどのくらいの時間なのか。来年も、再来年も、ということなのか。
「うん」と答えた。
ルミナがほっとしたように息を吐いた。
ルミナが眠った後、シエルへの返信を打った。
『あけましておめでとう、シエル』
すぐに既読がついた。
『あけましておめでとうございます、アイルさん』シエルが返した。『返信が遅かったですね』
『ごめん、タイミングが合わなくて』
『分かりました』少し間があった。『今年もよろしくお願いします』
今年もよろしく。
その言葉を、少し頭の中で転がした。今年、という言葉の中に、何が入るのか。また同じような一年が続くのか。それとも、何かが変わるのか。
『よろしく、シエル』と打った。
少し間があってから、シエルが返した。
『アイルさん、一つだけ聞いていいですか』
『うん』
『今年、帰ってきますか』
帰ってきますか。
シエルが直接そう聞いたのは、初めてだった。今まで、遠回しに心配したり、「たまには帰ってきてください」と言ったりしていた。でも、こんなにはっきりと聞いたのは、初めてだった。
しばらく、画面を見ていた。
帰ってきますか。
帰りたい、という気持ちは、ある。あることは、分かっていた。でも、帰れるかどうかは、分からなかった。
『……帰りたい』と打った。
帰ります、ではなく、帰りたい、と打った。できると言い切れなかったから。
シエルからの返信まで、少し時間がかかった。
『そうですか』シエルが返した。『帰りたいと思っているなら、それだけで十分です』
十分です。
その言葉が、少し胸に刺さった。十分、というのは、どういう意味だろうと思った。帰ってこなくても十分、ということか。帰りたいと思っているだけで十分、ということか。
『シエルは、帰ってきてほしい?』と打った。
聞いてから、少し後悔した。こういうことを聞くのは、ずるい気がした。シエルが正直に答えたら、どうすればいいか分からなくなる。
でも、聞いてしまっていた。
シエルからの返信が来た。
『……はい』
一言だった。
はい、と言った。
シエルが、帰ってきてほしいと言った。遠回しでなく、直接。
胸が、静かに、大きく動いた。
動いた感情が何なのか、すぐには分からなかった。でも、何かが動いた。
『分かった』と打った。
『分かった、というのは』
『考える、ということ』と打った。『ちゃんと、考える』
少し間があった。
『そうですか』シエルが返した。それから、もう少し間があってから、続いた。『アイルさんが考えてくれるなら、待っています』
待っています。
またその言葉だった。でも、今夜のその言葉は、今まで聞いた中で一番、重く、温かく、胸に落ちた。
『待たせてごめん』と打った。
『謝らなくていいです』シエルが返した。『ただ、忘れないでください。僕がここにいることを』
忘れないでください。
忘れていたわけではなかった。ずっと、どこかで思っていた。眠れない夜に、雪を見た日に、クリスマスに。ずっと、シエルのことを思っていた。
『忘れてない』と打った。
『そうですか』シエルが返した。『それならいいです』
それから、少し間があってから、来た。
『おやすみなさい、アイルさん。良い年になるといいですね』
『おやすみ、シエル。シエルにも、良い年になってほしい』
『……ありがとうございます』
画面が暗くなった。
天井を見た。
新しい年が、始まっていた。
窓の外は静かだった。年越しの賑やかさは、もうなかった。ただ、冬の夜の静けさがあった。
ルミナが眠っていた。
シエルが、家にいた。
帰りたい、と思っていた。
ちゃんと考える、と言った。
それが、どういうことなのか、まだはっきりとは分からなかった。でも、言ってしまった。シエルに、ちゃんと考えると。
言葉にしたことは、頭の中だけで思っていた時より、少し重くなった。
その重さを、今夜は逃げずに、持っていようと思った。
目を閉じた。
新しい年の最初の夜が、静かに続いていた。
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