第二十一話 年が変わる前に
きてくれてありがとうねー。
クリスマスが終わった。
街のイルミネーションは、まだついていた。でも、クリスマスが終わると、少し違って見えた。さっきまできれいだったものが、急に遠くなるような感じ。祭りの後の静けさみたいな、そういう感じ。
学校は冬休みに入った。
冬休みになると、ルミナの家で過ごす時間がさらに増えた。学校がある日は、登校と下校という区切りがあった。でも休みになると、朝から夜まで、ずっとルミナの家にいた。
ずっと、一緒にいた。
ルミナは嬉しそうだった。「ずっと一緒にいられる」と言って笑った。僕も笑った。
でも、ずっと一緒にいると、一人になる時間がなかった。
一人になる時間がないと、考える時間がなかった。
考える時間がないと、頭の中に溜まっていくものが、どこにも行けなかった。
冬休みに入って三日目の夜、眠れなかった。
ルミナが眠っていた。静かな寝息が聞こえていた。
僕は天井を見ていた。
シエルのことを考えていた。考えないようにしていたが、考えていた。
シエルは今頃どうしているか。冬休みになっても、シエルの毎日は変わらないだろう。掃除して、料理して、本を読んで。それだけだろう。
一人で。
その言葉が、また胸に落ちた。
スマートフォンを取り出した。時刻は深夜一時過ぎだった。
シエルとのトーク画面を開いた。最後のやりとりはクリスマスイブだった。あれから、三日経っていた。
送ろうとして、止まった。
深夜に送っていいのか、と思った。でも、以前も深夜に送ったことがあった。シエルは起きていた。
打った。
『眠れないです』
送った。
既読がついた。やはり、起きていた。
『どうしましたか』
『なんとなく』
『そうですか』少し間があった。『冬休みですね』
『うん。学校がないから、時間がある』
『そうですね』シエルが返した。『アイルさんは、冬休みは何をしていますか』
『ルミナの家にいる』
『そうですか』
また、それだけだった。シエルはそれ以上聞かなかった。
僕は少し考えてから、打った。
『シエルは、何してる』
『本を読んでいます』
『眠れないの?』
『眠らなくても平気なので』シエルが返した。『でも、夜は静かで、本を読むのに向いています』
眠らなくても平気。そういえば、シエルがそういう存在なのだということを、最近忘れていた。人間ではないのだから、眠る必要がないのかもしれない。
『一人で、静かに本を読んでるの』
『はい』
その一言が、なんとなく、胸に刺さった。
一人で、静かに。
『寂しくないの』と打った。
少し間があった。
『アイルさんがそこにいたら、寂しくないです』
読んで、少し止まった。
そこにいたら。今、アイルはそこにいない。だから、どうなのか、という言葉が続かなかった。シエルは答えを言わなかった。でも、言わなかったことが、答えだった。
『ごめん』と打った。
『謝らなくていいです』すぐに返ってきた。
『でも』
『でも、じゃないです』シエルが返した。『アイルさんは、何も悪くない』
何も悪くない。
シエルはいつもそう言った。でも、何も悪くないなら、なぜ胸が痛むのか。
『シエル』と打った。
『なんですか』
『僕のことを、怒ったりしないの』
少し間があった。
『怒る、というのは』
『帰ってこないこと。連絡が減ったこと。クリスマスに一人にしたこと』
打ってから、こんなに並べるつもりではなかったと思った。でも、打ってしまっていた。
シエルからの返信まで、少し時間がかかった。
『怒っていないです』シエルが返した。『ただ』
また、ただ、で止まった。
『ただ?』と打った。
『……寂しかったです』
シエルが、寂しかった、と言った。
今まで、シエルが「寂しかった」と直接言ったことは、なかった気がした。「寂しいとかではないです」と言ったこともあった。「少し」と言ったこともあった。でも、こんなにはっきりと言ったのは、初めてだった。
胸が、静かに痛んだ。
『ごめん』と打った。
『謝らなくていいと言っています』シエルが返した。でも、今度は少し違う感じがした。責めているわけではなかった。でも、いつもの「謝らなくていいです」より、少し重かった。
『シエルが寂しかったのは、僕のせいだから』
『アイルさんのせいではないです』
『でも』
『アイルさんは、自分の幸せのために動いていた。それは、間違っていないです』
自分の幸せのために。
その言葉を、僕は少し頭の中で転がした。
自分の幸せのために、ルミナの家にいた。でも、幸せかどうか、分からないと言った。シエルにも、そう答えた。
『幸せかどうか、まだ分からない』と打った。
少し間があった。
『そうですか』シエルが返した。『アイルさんが分からないなら、僕にも分からないです』
『シエルに分からなくても、シエルは寂しかったんでしょ』
『……はい』
『それは、矛盾してない?』
長い間があった。
ルミナの寝息が、静かに聞こえていた。
返信が来た。
『矛盾していると思います』シエルが返した。『アイルさんの幸せを願いながら、アイルさんがいなくて寂しい。どちらも本当のことです』
どちらも本当のこと。
その言葉が、胸の中に静かに落ちた。
シエルが言いたいことが、少し分かった気がした。でも、分かった気がするだけで、うまく言葉にできなかった。
『シエル』と打った。
『なんですか』
『もう少しだけ、話してていい?』
少し間があった。
『もちろんです』シエルが返した。『眠れるまで、話しましょう』
眠れるまで、話しましょう。
その言葉が、温かかった。
温かくて、少し泣きそうになった。泣きそう、というほどではなかったが、目の奥が少し熱くなった。
なぜ熱くなったのか、分からなかった。
ただ、シエルが眠れるまで話してくれると言った、それだけで、何かが動いた。
『ありがとう』と打った。
『どういたしまして』シエルが返した。
それから、しばらく話した。
特に重要なことは話さなかった。今日食べたものの話、冬休みの静けさの話、本の話。シエルが今読んでいる本は、知らない作者のものだった。どんな話か聞くと、シエルが少し詳しく教えてくれた。
久しぶりに、そういう話をした。
ルミナとも話す。でも、ルミナとの話は、いつもルミナのことか僕のことだった。シエルとの話は、関係のないことが多かった。本の話、空の色の話、季節の話。そういう話が、久しぶりだった。
気づいたら、一時間以上経っていた。
『眠くなってきた』と打った。
『よかったです』シエルが返した。
『シエルのおかげ』
『そんなことないです』
『あると思う』
少し間があった。
『……そうですか』シエルが返した。『なら、よかったです』
『おやすみ、シエル』
『おやすみなさい、アイルさん』シエルが返した。それから、もう一言来た。『ゆっくり休んでください』
スマートフォンを置いた。
目を閉じた。
シエルの声を、頭の中で思った。文字だったが、声が聞こえるような気がした。
ゆっくり休んでください。
その言葉を持ったまま、眠れた。
久しぶりに、すぐに眠れた。
翌朝、ルミナが起きた。
いつも通り、僕を見て、ほっとした顔をした。
「おはよう」
「おはよう」
「よく眠れた?」
「うん」
「なんか、昨日より顔色いいね」ルミナが少し首を傾げた。「何かあった?」
「何もない」
嘘ではなかった。何かがあったわけではなかった。ただ、シエルと話して、眠れた。それだけだった。
ルミナが「そっか」と言って、伸びをした。
僕は窓の外を見た。
冬の朝の光が、部屋に入ってきていた。
年が変わるまで、あと少しだった。
今年が終わる前に、何か変わるだろうか。
変わらないかもしれない、と思った。でも、昨夜シエルと話したことが、どこかに残っていた。
どちらも本当のこと、とシエルは言った。
その言葉が、今朝も、まだ胸の中にあった。
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