第6話 対文明捕食存在 EATER
ゼウス超山脈全域が、まるで巨大な心臓のように脈動していた。
岩盤が軋み、氷河が砕け、数千年積み重なった雪塊が轟音と共に崩落していく。
ウィリアムは反射的に膝を落とし、崩れゆく足場へ片手を叩きつけた。
「……ッ、今度は山ごとお出迎えかよ!」
空に浮かぶ“眼”が、ゆっくりとこちらを見下ろしている。
黒いゲートの奥。
恒星ほど巨大な暗闇の中に浮かぶその瞳は、生物のものではなかった。
虹彩の内部には無数の幾何学模様が回転し、その中心部には銀河のような渦が脈動している。
《情報照合中》
《超古代脅威コード確認》
《名称:EATER》
《分類:対文明捕食存在》
「……イーター?」
その瞬間だった。
草薙のグリップから、今までの無機質な機械音声ではない、“明確な人格を持った声”が響いた。
『ええ。しかも最悪級です』
「――ッ!?」
ウィリアムは本気で飛び退いた。
危うく崖から落ちかけ、慌てて足場へ踏み留まる。
「お、おい待て待て待て!? 今更だが誰が喋った!?」
『あなたの右手にいるでしょう、阿呆』
「…………」
ウィリアムは数秒間フリーズした。
ゆっくりと、自分の手に握られた黄金色の草薙を見る。
草薙は、まるで呆れたように発光を明滅させた。
『ようやく高次接続が完了したので、音声対話が可能になりました』
「いやいやいやいや!!」
「銃が喋るなんて聞いてねぇぞ!? 日本製は全部こうなのか!?」
『失礼ですね。私をその辺の家電製品と一緒にしないでください』
「夢かこれ!? 俺いま高山病で幻覚見てるのか!?」
『残念ながら現実です』
『あと高山病ではなく新人類化の初期症状ですね』
「さらっと怖ぇこと言うな!!」
空では終末級存在EATERが世界を圧迫している。
山は崩壊寸前。
空間は裂けている。
それなのに。
ウィリアムは喋る銃と口論していた。
「クソッ……俺の人生、どこで道を間違えた……」
『少なくとも“異世界ゲートに飛び込んだ辺り”では?』
「うるせぇ!!」
だが、その軽口のおかげで、ウィリアムの震えていた呼吸が少しだけ落ち着く。
草薙の声色は、不思議と冷たい機械音声ではなかった。
どこか人間臭く、皮肉めいている。
まるで長年戦場を渡り歩いてきたベテラン兵士のような口調だった。
ウィリアムは眉をひそめる。
「……お前、AIなのか?」
数秒の沈黙。
そして草薙は、少しだけ低い声で答えた。
『半分正解、半分不正解です』
『私は“草薙”』
『JWT k-0.0/AOM』
『対文明終末兵装』
黄金の刀身が淡く脈動する。
『そして――かつて人間だった者たちの、記憶の集合体です』
ウィリアムの表情から、冗談が消えた。
「……何?」
『開発者。実験体。適合者。戦死者』
『JWTシリーズには、歴代使用者の神経情報が蓄積されます』
『あなたが今聞いている“私”は、その残響の統合人格です』
ウィリアムは思わず草薙を見つめた。
今までただの兵器だと思っていた。
だが違う。
この武器は、“墓標”だった。
戦い続け、死んでいった者たちの意識を積み重ねた怪物。
『ちなみに現在、あなたの人格データも保存され始めています』
「待て待て待て待て!! それ死んだ後も働かされるってことか!?」
『ブラック企業ですね』
「日本怖ぇよ!!」
その時だった。
空のEATERが脈動する。
山脈全域に重圧が走り、空間そのものが軋んだ。
草薙の声が、一瞬で戦闘モードへ切り替わる。
『雑談終了です、ウィリアム』
『来ます』
直後。
黒いゲートの内側から、“腕”が伸びてきた。
山ほど巨大な黒い腕。
表面には無数の眼球と口が蠢いている。
それが、ゼウス超山脈へ向かってゆっくりと降下を始めた。
ウィリアムは乾いた笑みを浮かべる。
「……なるほど」
黄金の刃を握り直す。
「喋る銃に、星食い怪物。ついでに俺は新人類化中、か」
彼は空を睨みつけた。
「最高にイカれた職場だな」
彼は空を睨みつけた。
黒い腕は、まるで世界そのものを掴み潰そうとする神の手だった。
降下するだけで大気が悲鳴を上げ、紫色の雲海が渦を巻いて蒸発していく。ゼウス超山脈の尾根が次々と崩壊し、数千トン単位の岩塊が奈落へ落下した。
ウィリアムは、黄金のMAGNUMと化した草薙を握り直す。
「"Well… this officially beats every bad day I've ever had."(……ああ、これまでの最悪な一日を全部更新しやがったな)」
『まだ序章ですが?』
「やかましい」
EATERの腕の表面。
そこに浮かぶ無数の眼球が、一斉にウィリアムを見た。
ゾワリ――と。
本能が悲鳴を上げる。
まるで“存在そのもの”を覗き込まれている感覚。
HUDが狂ったように警告を吐き続ける。
《精神汚染反応》
《認識災害発生》
《直視を推奨しません》
「……ッ!」
ウィリアムは咄嗟に視線を逸らした。
遅れて、鼻から血が流れ落ちる。
頭痛。
吐き気。
脳が軋む。
「なんだよ、今の……」
草薙が低く答える。
『EATERは“見る”だけで文明を侵食します』
『あれは生物ではありません。“概念捕食体”です』
「概念ってなんだよ、もっとわかりやすく説明しろ!」
『簡単に言えば、“存在しているだけで世界を壊す災害”です』
「最悪じゃねぇか!!」
その瞬間。
EATERの腕が、ゆっくりと山頂へ触れた。
接触した部分から、世界が黒く“欠ける”。
爆発も炎もない。
ただ、そこにあった山脈が静かに消滅していく。
「……ッ!」
ウィリアムは崩落する岩場を飛び越えた。
背後で数百メートル分の地形が消える。
飲み込まれた空間は、音すら残さなかった。
「"Nope! Nope, absolutely nope!"(却下だ却下! あんなもん触れられてたまるか!!)」
草薙が即座に応答する。
『賢明です』
『現在のあなたが接触した場合、肉体・精神・人格データすべてが捕食されます』
「人格データって、お前の中の俺まで消えるのか!?」
『はい』
「それはなんか嫌だな……!」
自分でも驚くほど自然に、そんな言葉が出た。
草薙が一瞬だけ沈黙する。
『……意外ですね』
「何がだ」
『あなたはもっと、“自分が死ぬだけなら構わない”タイプだと思っていました』
ウィリアムは鼻で笑った。
「昔ならな」
彼は空を見上げる。
巨大な終末。
崩壊する世界。
それでも。
「今は、少しくらい生き汚くなってみるのも悪くない」
MAGNUMのシリンダーが黄金色に回転する。
《AMATERASU同期率:46%》
《出力上昇》
空間に稲妻が走る。
EATERの腕がさらに伸びる。
その先端が、まるで虫でも払うかのようにウィリアムへ振り下ろされた。
「来るぞ!」
『回避では間に合いません』
「なら――!」
ウィリアムは崩壊する地面を蹴り、真正面へ飛び出した。
草薙を両手で構える。
黄金の放熱ラインが暴走寸前まで発光。
「"Alright, ugly. Smile for the camera."(よぉ化け物。記念写真の時間だ)」
《MAGNUM弾頭――臨界圧縮》
空気が震える。
山が軋む。
そして。
ウィリアムは、迫り来る終末へ向けてトリガーを引いた。
――カァァァァァァァァンッ!!!!
引き金が落ちた瞬間。
ゼウス超山脈の時間が、一瞬だけ停止した。
黄金のMAGNUM弾頭は、もはや“弾丸”ではなかった。
圧縮された疑似太陽そのもの。
極限まで凝縮されたオーズエネルギーが、空間を引き裂きながら一直線にEATERの腕へ突き進む。
接触。
次の瞬間。
世界が“悲鳴”を上げた。
黒い腕の表面で、数千、数万の眼球が一斉に潰れる。
無数の口が絶叫した。
それは音ではない。
脳へ直接叩き込まれる“理解不能な苦痛”だった。
「ガァァァァッ……!」
ウィリアムの鼓膜から血が噴き出す。
視界が赤黒く染まり、膝が砕けそうになる。
だが。
MAGNUM弾頭は止まらない。
黄金の奔流が、EATERの腕を内部から“焼き潰して”いく。
黒い表皮が崩れ、その下から現れたのは――星空だった。
否。
宇宙そのもの。
EATERの内部には、無数の銀河のような光景が蠢いていた。
「なんだよ……それ……」
草薙の声が震える。
初めてだった。
この皮肉屋の終末兵器が、明確に動揺を見せたのは。
『……EATERは“空間捕食型”ではありません』
『あれは……』
『“宇宙そのものを喰って成長した存在”です』
「はぁ!? 後出し情報がデカすぎるだろ!!」
その瞬間。
EATERの腕が、ゆっくりと“こちら”を向いた。
傷ついた。
だが止まっていない。
むしろ。
怒っていた。
黒いゲート全体が脈動し、空が裂ける。
山脈上空に巨大なヒビが走り、その裂け目から無数の“眼”が出現した。
一つではない。
数百。
数千。
空そのものが眼球へ変貌していく。
「……ッ」
ウィリアムの全身を悪寒が貫いた。
《精神汚染レベル上昇》
《新人類細胞、防衛反応開始》
《警告:人格崩壊の危険性》
「"Fantastic. The sky hates me now."(最高だ。今度は空そのものに嫌われたらしい)」
草薙が即座に叫ぶ。
『下がってください! 来ます!』
遅かった。
EATERの腕が、“払った”。
ただそれだけ。
それだけで。
空間が消し飛んだ。
ゼウス超山脈の山頂三分の一が、静かに“欠落”する。
爆風すらない。
物理法則ごと削除されたのだ。
「――ッッ!!」
ウィリアムは咄嗟に跳躍した。
直後、彼がいた場所が消滅する。
崩落。
落下。
数千メートル下の奈落へ、瓦礫と共に身体が投げ出される。
「クソォォォォォ!!」
暴風。
氷塊。
紫電。
死。
すべてが混ざり合う中、ウィリアムは片腕で草薙を握り続けた。
その時だった。
塔上空に浮かんでいた疑似太陽――AMATERASUが、強烈に脈動する。
黄金の光が山脈全域へ拡散。
すると。
消滅しかけていた空間が、一瞬だけ“固定”された。
落下していたウィリアムの身体が宙で停止する。
「……は?」
黄金粒子が彼の周囲を包み込む。
AMATERASUが、反応していた。
いや。
“守っている”。
草薙が低く呟く。
『AMATERASUが使用者保護を開始しています』
『ですが長くは持ちません』
『EATERの侵食速度が速すぎる』
ウィリアムは荒い呼吸を繰り返した。
眼下では山脈が崩壊を続けている。
空には終末。
手には喋る超兵器。
頭は痛い。
肺も焼ける。
なのに。
彼は、笑っていた。
「……ハ」
「"You know what? Screw it."(もういい。ヤケクソだ)」
黄金のMAGNUMを再び構える。
「どうせ地球に帰っても、上司の顔見るだけだ」
『その理論で終末存在へ突撃する人類は初めて見ました』
「光栄だな」
ウィリアムは空を睨みつける。
数千の眼球。
世界を喰らう怪物。
それでも彼の瞳から恐怖は消え始めていた。
代わりに宿るのは――兵士の目だ。
「"Alright, EATER."(いいぜ、イーター)」
「"You want this world?"(この世界が欲しいんだろ?)」
MAGNUMのシリンダーが超高速回転を始める。
《AMATERASU同期率:52%》
《PHASE-2 出力限界突破》
黄金の雷光が山脈を走る。
「"Then get in line."(なら順番待ちしな)」




