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【完結】聖女なめんじゃねぇ!!!  作者: 月宮 かすみ
第2章:聖女解放戦線編
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エピローグ:これから

 朝の光が、療院の中庭へまっすぐ落ちていた。


 洗ったシーツが風に揺れる。薬草の匂いが薄く漂って、その下に、子どもたちの小さな声が混じっている。


 少し前まで、この場所にあったのは、息を潜めるための静けさだった。


 泣き声を押し殺す静けさ。怯えを隠す静けさ。次に何をされるのか分からなくて、ただ固まるしかない静けさ。


 今あるのは、それとは違う。


 まだ全部が消えたわけじゃない。夜中にうなされる子もいる。大きな音で肩を跳ねさせる子もいる。けれど、それでも朝がちゃんと来て、起きて、食べて、外へ出てこられる。


 その“次の朝”があること自体が、前とは違った。


「ひなたお姉ちゃん!」


 呼ばれて振り向くと、エリスが手を振っていた。


 その隣で、イリーナも少しだけためらってから、小さく手を上げる。前みたいに毛布へくるまったままじゃない。まだ細くて、顔色も万全じゃない。けれど、自分の足で立っていた。


「おはよう」


 二人のところまで行くと、エリスが机の上の紙を勢いよく差し出してきた。


「みて。きょう、なまえのれんしゅうしてるの」


 紙の上に、まだ少し歪んだ文字が並んでいる。


 エリス。


 イリーナ。


 その隣には、昨日ようやく自分の名前を教えてくれたばかりの子の文字。


 番号じゃない。


 候補生の印でも、適性の記号でもない。


 自分の名前だ。


「……上手くなったね」


 私が言うと、エリスは得意そうに胸を張った。


「イリーナちゃんも、いっぱいかけたの」


「エリスちゃんが……おしえてくれたの」


 イリーナが少し照れたように紙を抱える。喉元にはもう赤金の紋は浮かんでいなかった。


 その少し向こうでは、ミレナが別の子どもたちのそばに座っていた。


 紙を押さえて、鉛筆の持ち方を教えている。


「ここは、こうです。ゆっくりで大丈夫ですから」


 声はまだ大きくない。でも、震えに飲まれてはいなかった。


 怖さごと抱えたまま、それでも人の隣に座っていられる顔をしている。


「見すぎ」


 背後から声がして、振り返る。


 ゆうりだった。紙束を抱えたまま、呆れた顔でこっちを見ている。


「そんな顔して突っ立ってると、庭番に怒られるわよ」


「感動してたんだけど」


「分かるけど、感動したまま止まる気はないでしょ」


 その通りだ。


 私は肩をすくめて、ゆうりの持っている紙束へ目をやった。


「それ、なに」


「あんたが進めてた癒し学校の件。正式に通ったって」


 差し出された紙を受け取る。


 療養棟の増設案。読み書き担当の人員。生活指導の配置。記録公開の範囲。予算配分。まだ穴はある。でも、もう“夢物語”ではなかった。ちゃんと形として動き始めている。


「ようやく、か」


 思わず口から出る。


「遅い」


「そうね」


「でも、通ったならいい」


 私は紙を閉じた。


「ここから先は、通っただけじゃ意味ないし」


 ゆうりが片眉を上げる。


「随分落ち着いてるじゃない」


「落ち着いてるわけじゃないよ」


 私は中庭の方を見た。


 名前を書く子どもたち。まだぎこちない手つき。けど、確かに自分の名前をなぞっている指先。


「やっと始められるって思っただけ」


「……へえ」


 少しだけ、ゆうりの口元が緩む。


「読み書きと癒しだけで終わらせない」


 私は紙を持ったまま続けた。


「痛い時に痛いって言えること。嫌な時に嫌って言えること。黙って耐えるしかないって勝手に決められないこと。そういうのまで込みで教える場所にする」


 ミレナが顔を上げた。


 エリスも、イリーナも、こっちを見ている。


「“見える位置”に置くのも続ける。帳簿も、会議も、運用も。誰かが勝手に密室で決めて、あとから“必要でした”で押し切れないようにする」


「休む気あるのか?」


 いつの間にか来ていたラグナが、壁際から言った。


「あるよ」


 私は即答した。


「でも、止まらないだけ」


 ラグナは短く息を吐いた。呆れているのか、少しだけ笑ったのか、よく分からない顔だった。


「まあ、お前はそういう顔だな」


 その後ろから、レオニール王子も現れた。


「なら、こちらも止まるわけにはいきませんね」


「うわ、増えた」


「失礼ですね」


 王子は柔らかく笑う。けれど目は真面目だった。


「聖都側の整理はまだ続きます。白冠連盟の残党もいる。制度の穴も多い。だが、もう前の形には戻させません」


「うん」


 私は頷いた。


「戻さない」


 それは、誓いみたいな言葉だった。


 でも大げさに言う気はなかった。ただ、当たり前みたいに言いたかった。


 エリスが、私の袖をちょんと引く。


「ひなたお姉ちゃん」


「ん?」


「つぎ、なにするの?」


 その問いかけが、少しだけ可笑しかった。


 前なら“次”なんて、きっと怖い言葉だった。


 次に何をされるか。次に何を奪われるか。そういう意味でしかなかったはずだ。


 でも今の“次”は違う。


 私はしゃがんで、エリスとイリーナの目線に合わせた。


「まずは、この場所をもっと過ごしやすくする」


「うん!」


 エリスが即答する。


 イリーナも、紙を抱えたまま小さく頷いた。


「それから、勉強」


「べんきょう……」


「うん。でも、難しいことばっかりじゃないよ」


 私は紙の上の文字を指さした。


「自分の名前を書くこと。食べたい時に食べること。眠れない時に眠れないって言うこと。嫌なことを嫌って言うこと。助けてほしい時に助けてって言うこと」


 イリーナが静かに聞いている。


 その隣で、エリスが何度も頷く。


「それ、全部」


 私は二人を見た。


「これからは、勝手に奪われなくていいようにする」


 少しの沈黙のあと、イリーナが紙を持ち上げた。


「ひなた様」


「ん?」


「これ……じぶんで、かけた」


 見せられた紙には、少し歪みながらも、ちゃんと名前があった。


 イリーナ。


 誰かに振られた番号じゃない。


 適性で切り分けるための印でもない。


 この子がこの子として持っているものだ。


「うん」


 私はそれを見て、ゆっくり頷いた。


「いい名前だね」


 イリーナは嬉しそうに紙を抱えた。


 エリスがその肩に寄り添う。


 ミレナは別の子の紙を押さえたまま、少しだけ笑う。


 ゆうりは次の紙束をめくっていて、ラグナは相変わらず壁際で全体を見ている。レオニール王子は、その光景を静かに眺めていた。


 誰も祈っていない。


 誰も跪いていない。


 それでも、この朝はちゃんと守られている。


 聖女って、なんなんだろうと、ふと思う。


 昔ならきっと、答えはひとつしか許されなかった。


 祈る者。捧げる者。削られる者。


 でも今は違う。


 痛いと、嫌だと、行きたくないと、ちゃんと言える朝を残すこと。


 名前を名前のまま持っていられる場所を守ること。


 そのために、見えないところへ押し込められていたものを引きずり出すこと。


 それを聖女と呼ぶなら、悪くない。


 私は立ち上がって、中庭を見渡した。


 返ってきた朝の光。


 紙と鉛筆。


 名前を書く小さな手。


 ここから先を、生きていくための場所。


 終わったんじゃない。


 ここから、ちゃんと始めるんだ。


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