第29話:聖印炉
白い舞台の裏へ踏み込んだ瞬間、空気が変わった。
冷たい石の匂いじゃない。湿った地下の匂いだ。香でごまかしてるけど、その下に血と薬品の嫌な気配が混じっている。
「……うわ」
思わず顔をしかめた。
「ほんと、趣味が悪いにもほどがある」
ゆうりも鼻を押さえるみたいに眉を寄せる。ラグナは答えず、壁に走る細い光を目で追った。白い管みたいな光が、石の継ぎ目に沿って奥へ伸びている。
「止まらないでください……こっちです」
先頭のミレナの声は震えていた。けれど足は止まらない。
狭い階段を降りきった先で、私は息を呑んだ。
並んでいたのは寝台だった。けど、休むための寝台じゃない。細い鎖と、祈りの文句が刻まれた輪がいくつもついている。寝かせるためじゃなく、繋ぐための形だと一目で分かった。
「……これ、子ども用じゃん」
寝台の長さが短い。胸の奥がひどく冷えたあと、すぐ熱くなる。
壁の光の管は、その寝台一つ一つへ繋がっていた。さらに奥へ、もっと太い光へ流れ込んでいる。
「上の床紋と同じ流れね」
ゆうりが低く言う。
「壇の飾りじゃなかった。最初から、ここへ流すための線だったんだ」
ミレナが青い顔で寝台の一つを見た。
「……ここで、声が出なくなった子を見ました」
かすれた声だった。
「眠らせるみたいに寝かせて……起きたあと、前より静かになって」
「保護じゃない」
私が吐き捨てる。
「抜いてるだけだ」
その先の部屋で、ようやく“核”が見えた。
円形の広間の中央に、白い炉がある。火は見えない。代わりに、祈りの文句が刻まれた輪が何重にも浮いていて、その中心で光が脈打っていた。生き物の心臓みたいに、どくん、どくんと。
壁から来た光の管は、全部そこへ集まっている。
「……聖印炉、か」
ラグナが炉の脇の刻印を見て呟く。
「分かるの?」
「名前だけだ。だが十分だな」
彼女は炉から伸びる流れを追って、短く息を吐いた。
「王都側にも伸びているな」
「は?」
「途切れていない。遠隔で適性と反応を拾っているんだろう」
喉が詰まる。
やっぱりだ。イリーナの熱は偶然じゃなかった。
***
王都の療院で、イリーナが小さく身をよじった。
「……やだ……」
喉元に赤金の紋が浮かび、熱に浮かされた息が荒くなる。隣の寝台の子も泣き出し、部屋じゅうの空気が一気に不安へ引っ張られた。
エリスは一瞬だけ泣きそうな顔をした。それでも、すぐにイリーナの手を握り直す。
「だいじょうぶ、いっしょ」
震える声で、もう一度言う。
「こわくても、ここにいていいの。ひなたおねえちゃん、きっととめるから」
他の子にも手を伸ばす。
「おてて、つないで。はなさないで」
小さな輪が、ゆっくりできていく。
***
炉の脈動が一段強くなった。思わず喉を押さえる。あの圧だ。イリーナが熱を出した時と同じものが、今は目の前で動いている。
「今ここを止めないと……」
最後まで言い切る前に、気配が落ちた。
「ここまで来てしまったのですね」
振り向く。
セラフィナだった。
白い法衣のまま、地下の薄暗さにも少しも乱れない。上で見せていた綺麗な顔のまま、こんな場所に立っているのが一番気味が悪い。
「この炉があるから、各地の祈りは繋がり、奇跡も選定も保たれているのです」
静かな声だった。
「見えない犠牲を否定すれば、もっと多くが死にます」
「見えないようにしてるだけでしょ」
私は一歩前に出る。
「苦しんでる本人が嫌だって言ってる」
「個の拒絶だけで全体は支えられません」
「それを全体のためって言い換えるな」
セラフィナの目が、ほんの少しだけ細くなる。
「天川ひなた。あなたは一人を見て、すべてを壊そうとしている」
「違うよ」
炉がもう一度脈打つ。
王都で、イリーナが苦しんでる。その想像だけで、足が止まらない。
「止めないと、守った子がまた壊れるから来たんだ」
次の瞬間、セラフィナの足元から白い光が走った。炉と繋がった祈りの輪が、床から一気に立ち上がる。
「ひなた!」
ゆうりの声。
私は反射で身を捻った。光の輪が腕をかすめ、焼けるみたいな痛みが走る。真正面から行けば、そのまま拘束される。
「勇者、炉の制御を見ろ!」
ラグナが叫び、自分は壁の導管へ影を伸ばした。
「ミレナ、奥だ!」
「……はい!」
ミレナが怯えた顔のまま、それでも横の狭い通路へ走る。
私はセラフィナを睨んだ。
「どいて」
「嫌です」
声だけは柔らかい。
「ここから先は、あなたのような怒りに触れさせられません」
「じゃあ、力ずくで行く」
踏み込もうとした瞬間、炉の出力が一気に上がった。
光の管がまぶしく脈打ち、地下奥の扉がガタガタと震え始める。拘束区画だ。向こうにも、まだ繋がれた子がいる。
同時に、胸の奥を嫌な焦りが貫いた。
王都も、限界が近い。
「ひなた様!」
奥へ走ったミレナが、暗い通路の先から振り返る。
顔は真っ青なのに、声だけははっきりしていた。
「こっち……! 奥からなら、まだ逃がせます!」




