第28話:壊れてるのは、どっちだ
白い舞台の上で、まだあいつらは立っていた。
記録を突きつけられても、ミレナの声が届いても、大司教は崩れない。
崩れないまま、静かな顔で秩序を語る。
気味が悪かった。
「本日の聖裁は、引き続き執り行います」
大司教の声が広場に落ちる。
「異端の聖女が持ち込んだ断片と、白冠連盟が守ってきた秩序。そのどちらが世界を保つに値するのか――神意の前で、明らかにいたしましょう」
断片、ね。
人が熱を出して苦しんだことも、声を奪われたことも、あいつらにとっては“断片”で済むらしい。
私は壇の下で、ゆっくり息を吐いた。
「ずいぶん便利な言葉が好きだよね」
「便利ではありません」
答えたのは、セラフィナだった。
白い法衣の裾も、声の温度も、相変わらず乱れがない。
「必要なのです。痛みも、選別も、祈りも。すべてを否定した先に残るのは、混乱だけです」
「混乱させてるの、そっちでしょ」
「違います」
その否定だけ、少し硬かった。
「あなたはいつも、目の前の一人に心を奪われる。けれど聖女は、もっと大きなもののために在るべきです」
「大きなものってなに」
「世界です」
迷いがなかった。
それが腹立たしい。
「じゃあ、その世界ってやつのために、イリーナが熱を出すのも仕方ないって言うつもり?」
「苦しみを通るからこそ、聖性は磨かれるのです」
「……は」
笑いそうになった。笑えない方のやつだ。
「壊れてるのは、どっちだよ」
広場が、しんと静まる。
セラフィナは眉ひとつ動かさなかった。
「壊れているのは、役目から逃げたあなたの方です」
「逃げたよ。死なないために」
「それでは、聖女ではありません」
「だったら別にいい。子ども潰して平気な顔してる聖女より、そっちの方がましだから」
観衆がざわめいた、その時だった。
足元の石畳が、びり、と鳴った。
昨日感じたのと同じだ。もっと強い。耳鳴りみたいな圧が、壇の下から一気にせり上がってくる。
「っ……!」
思わず喉を押さえる。
嫌な感じだった。イリーナの発熱の時、喉元に浮いた赤金の紋を見た時と、同じ気配。
「ひなた様!」
ミレナが青ざめた顔で床紋を指す。
「この模様……見たこと、あります……!」
壇の縁に刻まれた祈りの模様が、淡く白く脈を打っていた。表の装飾に見せかけて、線が全部、真下へ流れている。
ラグナが低く言う。
「床の下で何か動いている」
「今ここで?」
「証明に見せかけて、別のことを始めたか」
大司教は、それでも顔を崩さない。
「神の前では、隠された歪みもまた露わになります」
「歪んでるのはそっちだって言ってんの!」
怒鳴った瞬間、胸の奥に冷たい痛みが走った。
違う。私じゃない。
遠くで、誰かが同じ圧に焼かれてる。
脳裏に浮かんだのは、療院の寝台だった。毛布を握る小さな手。泣きそうな顔で、それでも離れないエリス。
***
療院の部屋で、イリーナが小さく息を呑んだ。
その直後、喉元に赤金の紋が浮かび上がる。
「……っ、やだ……」
毛布の上で体が跳ねた。隣の寝台の子も、耳を塞いで震え始める。部屋のあちこちで、小さな呻きが重なった。
エリスは一瞬だけ固まって、それからイリーナの手を握り直した。
「いりーなちゃん、だいじょうぶ。わたし、ここにいる」
声が少し震えている。けれど逃げなかった。
「みんなも、だいじょうぶ……こわくても、いっしょ」
自分に言い聞かせるみたいに、もう一度言う。
廊下の向こうで騎士が駆ける音がした。グレイの声も聞こえる。
でも、エリスは待つだけじゃなく、泣いている子の毛布を引き寄せた。
「おてて、つないで。はなさないで」
イリーナの唇がかすかに動く。
「……ひなた、さま……」
エリスは首を振った。
「だいじょうぶ。ひなたお姉ちゃん、きっと、とめるから」
***
耳鳴りが強くなる。壇の下から、白い脈動が一度、どくん、と跳ねた。
私はもう迷わなかった。
「ゆうり」
「分かってる」
ゆうりは紙束を抱えたまま、壇の脇へ視線を走らせる。
「表の芝居はここで終わり。もう“裁き”じゃない、ただの起動実験よ。ラグナ、入口」
「ある。昨日の搬入口と繋がっているはずだ」
大司教が初めて、少しだけ声を低くした。
「どこへ行くおつもりですか、異端の聖女」
「決まってるでしょ」
私は壇を見上げる。
「下だよ」
セラフィナが一歩前へ出る。
「やめなさい。そこから先は、あなたのような未熟な怒りが触れていい場所ではありません」
「だから、壊れてるって言ってんの」
「違います」
「違わない。上で綺麗ごと言いながら、下で子どもに流してる時点で終わってる」
セラフィナの白い手袋の指先が、ほんの少しだけ強く握られた。
それでも声は静かだった。
「あなたは、何も分かっていない」
「そっちは、分かろうとしてない」
次の瞬間、私は壇の脇へ走った。
騎士が二人、前へ出る。けど遅い。ゆうりの鞘が一人の足を払って、ラグナの影がもう一人の視界を塞ぐ。ミレナは震えながら、それでも昨日見つけた通路の方角を指した。
「ひなた様、そっちです……!」
床下の脈動が、もう一度鳴る。
今度ははっきり分かった。
ここを止めない限り、王都の子たちも終わらない。
なら、もう次にやることはひとつしかない。
白い舞台の裏へ蹴り込んで、私たちはそのまま下へ向かった。




