第26話:ようこそ、異端者
旅籠の狭い部屋で、私たちは地図を囲んだまま、聖都の裏へ入る手順を詰めていた。
搬入口の位置、見張りの巡回、表の巡礼路をどう避けるか。ミレナの記憶を辿りながら、ゆうりが順に潰していく。
「今夜すぐは動かないの?」
私が聞くと、ゆうりは地図から目を上げなかった。
「動きたいのは分かるけど、入口が見つかっただけで、中の構造はまだ読めてない。急ぐほど、向こうの土俵に乗る」
ラグナが短く頷く。
「焦るな。中枢は逃げん」
そうして、結局その夜は潜らずに終わった。
***
翌朝、旅籠の戸をやけに丁寧に叩かれた。
「白冠連盟より、天川ひなたへ」
開けると、白い法衣の使いが二人。顔は無表情、声だけが妙に整っている。
「本日正午、大聖堂前広場にて公開聖裁を執り行います。異端の聖女として、出頭を命じます」
命じます、ね。
私は紙片を受け取って、一度だけ目を通した。文面まで気取っていて腹が立つ。
「どうするの」
横からゆうりが覗き込む。
「行く」
即答したら、ミレナが小さく肩を揺らした。
「……ひなた様」
「大丈夫。逃げるために聖都まで来たんじゃないし」
私は紙を畳んで机に置く。
「向こうがわざわざ舞台作ってくれるなら、使わせてもらう」
ラグナが壁にもたれたまま言った。
「表で目を引け。その間に私は裏を見ておく」
「うん。昨日見つけた搬入口も、たぶん今日で警戒が上がる」
ゆうりが腕を組む。
「じゃあ、あたしは表で中立をやる。嫌だけど」
「似合ってるよ、勇者様っぽくて」
「そういうの今いらない」
ぴしゃりと返されて、少しだけ気が楽になった。
ミレナはまだ青い顔のままだったけど、逃げたいとは言わなかった。
「……わたしも、行きます」
「無理はしなくていい」
「でも、見れば……分かることが、あるかもしれません」
その言い方が、もう前のミレナじゃなかった。
***
正午の広場も、白すぎた。
天幕も、壇も、法衣も、全部が息苦しいくらい白い。そこに金糸だけが過剰に縫い込まれていて、清らかというより押しつけがましい。
観衆は静かだった。王都の広場みたいなざわめきじゃない。喋っていいのかすら迷ってる沈黙だ。
壇上の中央に、白冠連盟の大司教が立つ。
歳は読めない。老いているのに弱く見えず、声を張ってもいないのに、広場の端まで届く。
「ようこそ、異端の聖女」
微笑んですらいないのに、言葉だけが柔らかい。
「あなたにも弁明の機会は与えましょう。白冠連盟は、いつでも秩序ある対話を重んじます」
その隣に、セラフィナがいた。
白い法衣、白い手袋。昨日と同じ、静かな顔。
「天川ひなた」
名前を呼ばれただけで、胸の奥がざらつく。
「あなたは、まだ怒りを救済だと信じているのですね」
「そっちは、まだ痛みを必要経費だと思ってるんだ」
返すと、セラフィナはほんの少しも崩れなかった。
「痛みを受け入れる強さも、聖女には必要です」
「イリーナにもそう言うつもり?」
一瞬だけ、空気が止まる。
セラフィナは目を伏せもせずに答えた。
「個の痛みだけを見て秩序を崩せば、より多くが苦しみます」
「……は?」
「救済とは、選別でもあるのですよ」
それを引き継いだのは大司教だった。
静かすぎる声で、とんでもないことを言う。
「すべてを救うなど、子どもの夢です。聖女は祈り、王は統べ、民は従う。それで世界は保たれてきました。秩序には、代価が必要なのです」
腹の底が熱くなる。
今この瞬間も、王都ではイリーナが熱を出すかもしれない。エリスがその手を握ってる。その上で、こいつは代価って言った。
でも、今日はそこで終わらせない。
私は一歩だけ前へ出て、止まった。
「じゃあ聞くけど、その代価って、誰が決めてるの」
「必要を見極める者です」
「都合のいい人だけでしょ」
「違います」
セラフィナが、ひどく穏やかな声で言った。
「あなたは、役目から逃げたのです」
その言葉が、思ってたより深く刺さった。
逃げた。そうだよ。逃げた。逃げなきゃ壊れてた。
でも今は、そこで飲まれない。
「逃げたよ」
私ははっきり言った。
「死なないために、壊されないために。で、逃げた先で分かった。あんたたちが守ってるの、信仰じゃない。壊れた仕組みだよ」
観衆が小さくざわつく。
大司教は視線だけでそれを鎮めた。
「若い聖女は、痛みを憎むあまり、世界の重さを知らない」
「そっちは、世界の重さって言葉で子どもを潰してるだけだ」
殴りたい。今すぐ壇を蹴り上げたい。
でも、違う。
今日の私は、そこで終わるために来たんじゃない。
その時だった。
足元の石が、かすかに震えた気がした。
ほんの一瞬。耳鳴りみたいな、あの嫌な圧。イリーナの熱の時に感じたのと似ている。
私は言葉を切って、石畳へ視線を落とす。
壇の下に刻まれた床紋が、表の装飾と少しずれていた。祈りの文句で隠しているけど、線の流れが下へ向いている。
「……ひなた様」
すぐ後ろで、ミレナの掠れた声がした。
「この模様……見たこと、あります」
「どこで」
「運ぶ部屋の、前です」
喉が冷える。
やっぱりある。
ここはただの裁きの舞台じゃない。
ゆうりが、表情を変えずに口だけ動かした。
「気づいた?」
「うん」
「なら今日は、ここで暴れないで」
悔しい言い方だったけど、正しかった。
大司教は私たちの小さなやり取りまで見ているみたいに、ゆっくり宣言する。
「本日の公開聖裁は、ここまでとしましょう。異端の聖女には、己の過ちを省みる時間も必要ですから」
省みるのはそっちだろ、と思ったけど飲み込む。
セラフィナが最後に私を見る。
「天川ひなた。まだ間に合います。役目へ戻りなさい」
「そっちはもう、戻れないとこまで来てるよ」
それだけ返して、私は壇を降りた。
***
広場を離れて、祈りの鐘の音が少し遠くなった頃だった。
ラグナが路地の影から現れる。
「裏は繋がっていた。壇の真下まで導管が走っている」
「やっぱり」
「ようやく中枢だ」
ゆうりが短く息を吐く。
「明日は表だけじゃ終わらない」
ミレナはまだ震えていた。でも、後ずさりはしなかった。
「……下、あります。あの匂いも、音も、同じです」
私は広場の白い塔を振り返る。
上では祈りの顔をして、下ではまだ子どもを使ってる。
なら、見る場所はもう決まってる。
明日、終わらせるのは裁判の続きじゃない。
その下で動いてるものの方だ。




