第25話:聖都へ殴り込み
翌朝には、もう出立の話が決まっていた。
「ひなた、荷はこれで全部よ」
療院の裏庭で、ゆうりが布包みを放ってよこす。私は受け取って、中をざっと見た。保存食、包帯、簡易の地図、押収文書の写し。やたら現実的だ。
「夢がないなあ」
「遊びに行くんじゃないんだから当たり前でしょ」
その少し離れた場所で、グレイさんが騎士たちに指示を飛ばしていた。王都側の警備、療院の守り、捕虜の移送先。全部きっちり分けている。
「グレイさんには、王都を守っててほしいんだけど」
私が言うと、グレイさんは短く頷いた。
「承知している。ここを空にする方が危険だ」
その視線の先には、エリスとイリーナがいた。
イリーナはまだ顔色が悪い。エリスはその隣で、当たり前みたいに手を繋いでいる。
「……ごめんね」
私がしゃがむと、エリスが首を振った。
「ううん。わたし、ここにいる」
少し前なら、たぶん寂しそうな顔をしていた。けど今は違う。怖がってはいる。でも、逃げてはいない。
「いりーなちゃん、まだつらいの。だから、わたしがいっしょにいる」
イリーナが毛布を握ったまま、小さく言う。
「……ひなた様、いってらっしゃい」
掠れた声だった。でも、自分から送り出した。
胸の奥が少しだけ痛くなる。
「うん。行ってくる」
私は二人の頭を順に撫でた。
「ちゃんと戻るから。今度は向こうを黙らせてくる」
「ぶん殴るって言いなさいよ、そこは」
横からゆうりが言う。
「王都に子ども置いていく前で言うことじゃないでしょ」
「それもそうか」
そこで、私はミレナの方を見た。
療院の入口のそばで、ミレナは両手をぎゅっと握っていた。顔色はまだよくない。けど、目だけは逸らしていなかった。
「……ミレナも、本当に来るんだよね」
確認みたいな言い方になったのは、たぶん私の方が迷ってたからだ。
ミレナは肩を揺らして、それから小さく頷いた。
「はい」
声は少し震えていた。
「怖いです。でも……聖都の裏を知っているの、たぶんわたしだけです」
ゆうりが押収文書の写しを抱えたまま言う。
「表の記録は文書で追える。でも、搬入口とか裏の導線は、実際に見た人間じゃないと辿れないの」
ラグナも短く続けた。
「案内役が必要だ。ミレナの記憶は使える」
ミレナは唇を引き結んで、もう一度だけ頷く。
「……行きます。逃げてきたままじゃ、終われないから」
その言葉に、私はようやく息を吐いた。
「分かった。無理はさせない。でも、頼る」
「行くぞ。情に浸るにはまだ早い」
ラグナに促されて、私たちは門へ向き直った。
聖都へ向かうのは、私とゆうり、ラグナ、それからミレナだ。
ミレナは最後まで療院の入口を振り返っていた。イリーナと目が合うたびに、少しだけ肩を揺らす。自分と、置いていかれるあの子が、まだきっと重なっている。
それでも、ミレナは足を止めなかった。
***
聖都は、門をくぐった瞬間から気持ち悪かった。
白い。
壁も、塔も、門柱も、やたら白い。磨きすぎた石の白さが昼の光を跳ね返して、目が痛くなる。そのくせ、どこを見ても聖女像が立っていた。祈る姿、微笑む姿、膝をつく姿。全部、同じ顔だ。
「……うわ」
思わず声が漏れた。
「なにここ。息詰まる」
「ひどい趣味ね」
ゆうりも顔をしかめる。
「街全体で“こうあるべき聖女像”を押しつけてくる感じ。気持ち悪い」
ラグナは周囲を見回しながら歩く。
「監視も多い。表立って武装していない分、余計に厄介だな」
ミレナだけは、ずっと俯き気味だった。
聖都の空気を吸った瞬間から、肩が上がっている。視線が勝手に石畳の模様や建物の角へ吸い寄せられているのが分かった。見覚えがあるんだろう。
「ミレナ」
私が呼ぶと、彼女ははっとしたように顔を上げた。
「は、はい」
「無理ならすぐ言って」
「……だいじょうぶ、です」
全然だいじょうぶそうじゃない。けど、ここで無理に止めても余計に固くなる顔だった。
だから私は、それ以上は言わなかった。
***
宿代わりに取った小さな旅籠へ向かう途中、最初の面倒が来た。
「そこの方々」
白い外套を羽織った男が二人、路地の出口を塞ぐ。柔らかい声音なのに、目は笑っていない。
「見慣れない顔ですね。どちらから?」
「観光ですって言ったら信じる?」
私が返すと、片方が薄く笑った。
「この街は信仰の都です。軽口は歓迎されません」
「じゃあ歓迎されるように頑張って」
その瞬間、相手の指先が動いた。足元の石畳に、細い光の輪が走る。拘束系の術式だ。
「ひなた、下がって」
ゆうりが前に出るより早く、私は半歩ずらして輪を外れた。ついでに目の前の男の手首を払う。詠唱が崩れ、光が途切れた。
「いきなりそれ?」
「不審者確認です」
ラグナが背後からもう一人の首筋へ影を滑らせる。
「確認にしては手際が良すぎるな」
男が息を呑む。やっぱりこいつら、ただの見回り役じゃない。
ゆうりが剣を抜かずに鞘で足を払った。男が膝をつく。
「監視隊か何か知らないけど、初日からこれってどうなの」
「……あなた方は、どう見ても巡礼ではない」
「で、だから縛るの?」
「必要なら」
その答えで十分だった。
私は男の外套の胸元を掴んで、壁に叩きつける。
「必要って、便利な言葉だね」
低い声が出た。たぶん、王都でセラフィナが言った“必要な痛み”がまだ胸に残ってたんだと思う。
「こっちも、その言い方はもう聞き飽きた」
男たちを路地の端へ転がして離れると、ゆうりが息を吐いた。
「派手にやりすぎ」
「まだ手加減したよ」
「基準がおかしいの」
でも、これで分かった。聖都は最初からこっちを嗅ぎ回ってる。歓迎される客じゃないってことだ。
***
夜。
旅籠の狭い部屋で、机に簡単な地図を広げる。外では祈りの鐘が鳴っていた。時間を知らせる音のはずなのに、聞いてるだけで首輪を締められるみたいな音だ。
「昼の二人、やっぱり監視隊の下っ端だな」
ラグナが奪った印章を机に置いた。
「巡礼導線の外を歩く人間を拾う役だろう」
「面倒な街」
私が言うと、ミレナがぴくっと反応した。
それから、地図の端を指先でなぞる。
「……ここ」
「ん?」
「この通り、昼は巡礼用です。でも……夜に、小さい台車が通る音がしていました」
全員が黙った。
ミレナは少しずつ、記憶を引っ張り出すように続ける。
「白い布をかぶせた、低い台車です。正面じゃなくて、建物の裏を通って……下へ」
「下?」
ミレナが頷く。
「見習いの時、窓から一度だけ見ました。運ばれていた子は、声が出ていませんでした」
空気が変わる。
ゆうりがすぐに地図へ身を乗り出した。
「どの建物の裏?」
ミレナの指が、聖都中央の大聖堂群から少し外れた石造りの一角を示す。
「ここです。昼は人が少なくて、夜だけ香の匂いが強くなる場所でした」
ラグナが目を細める。
「搬入口だな」
私も地図を見る。表の華やかな通りじゃない。巡礼路の裏、聖女像の影に隠れる位置だ。
なるほど。表は祈り、裏では運ぶ。
「ほんと、分かりやすく嫌な街」
私が呟くと、ゆうりが小さく笑った。
「でも、ようやく入口が見えた」
ミレナはまだ震えていた。でも、指は引っ込めなかった。
「……そこから、下へ入れます」
私は机の上の地図を見たまま、ゆっくり息を吐いた。
王都では届いた。
じゃあ次は、この白い街の喉元まで行く。
表の祈りの顔じゃない。
その下で、何を運んで、何を隠してるのか――そこを暴く道が、ようやく見えた。




