第23話:勇者の役目
この場所は、もう安全圏じゃない。
その実感だけが、夜明け前の空気より冷たく胸に残っていた。
壊れた結界、踏み荒らされた庭、縛り上げられた神官隊長。押収した札の束と文書箱。怯えて泣きそうな子どもたち。
守るものが、多すぎる。
「馬車は裏門に回した」
グレイさんが短く告げた。
「療院まで最短で運ぶ。だが正面通りは使えん。追っ手が来る」
「なら、来たやつから片っ端からぶっ飛ばせばいいでしょ」
「駄目」
即答したのは、ゆうりだった。
「あんたが前で暴れてる間に、子ども攫われて文書燃やされて捕虜が死んだら終わりなの。今回は勝つだけじゃ足りない」
分かってる。分かってるけど、腹が立つ。
その横で、エリスが毛布にくるまったイリーナの手を握っていた。
「いりーな、だいじょうぶ。いっしょ、いくからね」
イリーナは真っ青な顔で、小さく頷く。
「……うん」
ミレナが子どもたちに目線を合わせて、震える声で言った。
「あの、みなさん……すぐに移ります。怖くても、いっしょに来てください」
「順番に乗せるぞ」
グレイさんが騎士たちへ合図を出す。
ラグナは捕縛した神官隊長を見下ろし、淡々と言った。
「こいつは生かして運ぶ。証拠だ」
「わかった」
ゆうりが私を見る。
「ひなた、あんたは先頭。追いかけるのは禁止。道を開けることだけ考えて」
「それ、いちばん難しいやつ」
「知ってる」
知ってて言うなよ、と思ったけど、言い返す前に馬車の軋む音がした。
時間切れだ。
***
まだ空は青みきらない。
裏門から出た一行は、王都の細い裏路地へ滑り込んだ。先頭は私。その後ろに騎士、子どもたちを乗せた馬車、捕虜と文書箱、そして最後尾にラグナ。
息が詰まるくらい狭い道だった。
「右、屋根!」
ゆうりの声が飛ぶ。
ほぼ同時に、屋根の上から札が降ってきた。私は咄嗟に殴り落としかけて、止める。馬車が近すぎる。
その一瞬で、ラグナの影が屋根まで伸びた。
「落ちろ」
短い声。次の瞬間、黒衣の神官が二人まとめて路地に叩き落とされる。
「ひなた、前!」
「分かってる!」
前方の角から、白冠連盟の兵が三人飛び出した。狭い。大きく振れない。
私は最短で踏み込み、先頭の喉元すれすれで拳を止めて腹を打つ。二人目の膝を払って壁にぶつけ、三人目は肩から突っ込んで道の外へ押し出した。
「グレイさん、今!」
「承知した」
騎士たちがすぐに馬車を通す。
後ろで、子どもがしゃくりあげる声がした。
「や、やだ……」
ミレナが必死に宥める。
「大丈夫、大丈夫です……もう戻しませんから」
その声に重なるように、エリスの小さな声も聞こえた。
「こわくても、だいじょうぶ。おてて、はなさないで」
イリーナだけじゃない。隣の子の手まで握っているらしい。
それを確認した瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着いた。
***
次の角で、今度は真正面に障壁が立った。
白い祈りの壁。路地いっぱいを塞いでいる。
「ひなた、壊せる?」
ゆうりが聞く。
「それ聞く?」
「じゃあ壊しなさい」
私は一歩下がって、拳を握り込んだ。狭い路地で大技は危ない。でも止まれば囲まれる。
「全員、耳塞いで!」
叫んで、叩き込む。
白い障壁が鈍い音を立てて割れた。奥で術者が二人まとめて吹っ飛ぶ。
「行ける!」
前へ出ようとした、その時だった。
左の細道を、黒衣の伝令が一人、逃げるのが見えた。
「待て!」
反射で追いかけかけた私の腕を、ゆうりが掴んだ。
「行くな!」
「でもあいつ、増援呼ぶ!」
「分かってる! でも今あんたが離れたら、こっちが崩れる!」
言われた瞬間、視界の端に映った。
馬車の脇で、文書箱を狙っていた神官。捕虜の口を塞ごうとしていた別の兵。イリーナを庇って縮こまるエリス。
ぞっとした。
私は、前しか見てなかった。
ゆうりは違う。
全部見てる。
「ラグナ、左の伝令!」
「任せろ」
影が走る。
「グレイ、文書箱! ミレナ、子どもたち伏せて! ひなたは前だけ見て、道を開けて!」
ゆうりが次々と飛ぶばした指示に、みんなが動く。
私も、ようやく自分の役目を飲み込んだ。
前に立つ。塞ぐやつを殴る。それ以上はしない。
それだけで、道が繋がる。
「ひなた!」
ゆうりが、私の背中に向かって叫んだ。
「ひなたの拳だけじゃ、世界は変わらない!」
振り返らないまま、続く。
「だからあたしが、全部繋ぐ!」
その言葉が、妙に真っ直ぐ背中に入ってきた。
私は歯を食いしばって、前へ踏み込む。
「……上等!」
次の敵を、今度は迷わず殴り飛ばした。
壊すのは私。
繋ぐのは、ゆうり。
それでいい。
***
療院の裏門が見えた時、ようやく全員が息を吐いた。
騎士たちが門を閉め、結界を張り直す。馬車から子どもたちが下ろされ、捕虜も文書箱も無事に中へ運び込まれる。
イリーナはまだ顔色が悪い。でも、倒れてはいない。
エリスがその手を握ったまま、小さく言った。
「ついたよ。もうちょっと、だいじょうぶ」
イリーナが、かすれた声で返す。
「……うん」
ミレナはその場にへたりこみそうになりながらも、子どもたちの数を何度も数えていた。
「全員……います。よかった……」
グレイさんがゆうりに向き直る。
「見事だった。被害ゼロで通したのは、お前の指揮だ」
「そっちは騎士が優秀だったからでしょ」
そう言いながら、ゆうりは壁に背を預けた。さすがに少しだけ息が上がっている。
私はその横に立って、しばらく黙った。
「……ありがと」
「なに急に」
「いや」
うまく言えなくて、頭を掻く。
「私、さっき完全に追いかける方に頭行ってたから」
「知ってる」
「そこは冗談でも否定してよ」
そう返しながらも、否定はできなかった。
療院の中では、エリスがまだイリーナのそばにいる。ミレナは他の子を落ち着かせてる。グレイさんは騎士を回してる。ラグナは捕虜を見張ってる。
誰か一人じゃ、ここまで来られなかった。
前に立つ人間だけじゃ、守り切れない。
運ぶ手も、支える声も、証拠を残す目も要る。
そのことを、私はようやく腹で分かった。
だから次は、この子たちの怯えを、ちゃんと届く声に変えなきゃいけない。




