第22話:連盟の犬どもを迎え撃て
夜は、明ける前がいちばん嫌いだ。
静かなのに、何かが来る気配だけが濃くなる。
イリーナの熱がようやく少し落ち着いて、部屋に浅い寝息が戻った頃だった。私は窓際に立ったまま、庭の暗がりを睨んでいた。
「来るぞ」
ラグナが低く言ったのと、外の結界がぴしりと鳴ったのは同時だった。
次の瞬間、庭の空気に白い煙が流れ込む。甘い匂い。眠りの香だ。
「うわ、趣味悪……っ!」
ゆうりが舌打ちして、すぐに窓を開け放った。風を通しながら剣の柄で床を叩く。澄んだ音が広がって、煙の流れがわずかに乱れる。
外ではもう、黒い法衣が何人も塀を越えていた。
その先頭にいる男だけが、やけに落ち着いていた。白い手袋、白い法帯。丁寧に一礼までしてくる。
「おはようございます。回収に参りました」
「朝の挨拶みたいに言うな」
「回収とは慈悲です。あの子たちは、正しい祈りの場へ戻るべきなのですから」
その声を聞いた瞬間、寝台の上でイリーナがびくっと震えた。エリスが慌てて手を握る。
「だいじょうぶ。いりーなちゃん、だいじょうぶなの」
泣きそうな声なのに、エリスは逃げなかった。
私は拳を握る。
「役割、もう一回」
「ひなたは正面をお願い」
ゆうりが即答する。
「あたしが術式を切る。ラグナは外周。グレイは移送」
廊下の向こうから、鎧の音がした。
「承知した。子どもたちはこちらで動かす」
グレイさんだ。昨夜のうちに呼んでいた騎士たちも、もう配置についているらしい。
ミレナが毛布を抱えた小さい子たちを集めながら、震える声で言う。
「み、みなさん……こっちです。大丈夫です、ここに来てください」
「こわくても、にげていいよ」
エリスがイリーナの手を引いたまま、他の子にもそう言った。
その小さな声で、何人かの子がようやく動く。
神官隊長が外から札を放った。薄青い光が、まっすぐイリーナへ伸びる。
「やっぱり狙いはあの子か」
ラグナが一歩前へ出て、影の刃で札を断ち切った。
「分かりやすいな」
「当然です。あれはまだ使える。回収価値の高い個体です」
その一言で、頭の中が真っ白になった。
気づいた時には、私は窓を蹴って外へ飛び出していた。
「イリーナは物じゃない!」
着地と同時に、一人目の神官を殴り飛ばす。眠りの香を持っていた男が塀まで吹っ飛んで、動かなくなった。
騎士たちが一斉に押し寄せる。けど遅い。
私は二人目の槍を掴んでへし折り、そのまま三人目の腹に叩き込んだ。
「個体って呼ぶな!」
神官隊長は顔色一つ変えなかった。
「未熟な情です。あなたはいつもそうだ、天川ひなた。目の前の涙に流されて、大きな救済を見失う」
「うるさい」
真正面から踏み込む。
その前に白い詠唱陣が立ち上がった。祈りの強制術式。足元が重くなる。けれど、その陣を横からゆうりの剣が断ち切った。
「説教してる暇あるなら、もっとまともな罠張りなさいよ!」
さらにラグナの影が神官たちの退路を塞ぐ。
「勇者、右は任せた」
「言われなくても!」
外周で騎士と神官が崩れ、グレイさんが子どもたちを裏口へ回していく。
「急げ。目を閉じるな、足元を見ろ」
ミレナも必死に続く。
「エリスちゃん、イリーナちゃんを……!」
「うん……!」
その声を背に、私は最後の距離を詰めた。
神官隊長がようやく一歩下がる。
「回収は失敗でも、位置は確認できました。次は――」
「次なんかない」
拳を叩き込んだ。
鈍い音。白い法帯がひしゃげ、男の体が地面を滑る。止まる前に私はもう一歩踏み込んで、襟を掴んだ。
「慈悲って言ったよね」
男の整った顔が、ようやく歪んだ。
「じゃあ教えてよ。怯えて熱出してる子を、どこに連れてくつもりだったの」
答えない。
代わりに奥歯を噛もうとした瞬間、ゆうりが手首を踏みつけた。
「自害は禁止。あんた、今日は証拠になる側だから」
ラグナが冷たく言う。
「見苦しいな」
その間に、グレイさんの部下が押収した札束と文書箱を運び出してきた。
「記録を確保した。ひなた殿、引け。ここはもう守る場所ではない」
悔しいけど、その通りだった。
私は神官隊長を騎士に引き渡し、保護棟を振り返る。
窓の奥で、エリスがまだイリーナの手を握っていた。イリーナは真っ青な顔のまま、それでも昨夜みたいな熱の暴れ方はしていない。
でも分かる。
ここはもう、安心できる場所じゃない。
「……移そう」
私が言うと、ゆうりが頷く。
「王宮か療院。証拠も子どもも、まとめて運ぶ」
ラグナが短く付け足した。
「今度は守るだけでは足りん。残すために動け」
私は拳を開いて、もう一度だけ閉じた。
次は守る戦ではなく、連れて、逃がして、残す戦いだ。




