第20話:正しい顔をした地獄
門前のどよめきは、一晩経っても消えなかった。
砕けた白盾の噂も、連盟の騎士団長が石畳を転がった話も、朝には王都じゅうへ広がっていたらしい。そのせいで――というべきか、案の定というべきか、昼前には中央広場へ人が集められていた。
「弁明、ね」
私は広場の端から壇上を見上げる。
白冠連盟の旗、白布を張った仮設の壇。昨日の門前よりずっと整っているぶん、かえって気持ち悪かった。
ゆうりが腕を組んで言う。
「昨日あれだけ無様さらしたんだから、黙って帰れないでしょ」
「だからって、いちいち白くて眩しいの腹立つ」
「そこ?」
そこだよ。すごくそこだよ。
私の横で、ラグナが短く釘を刺す。
「今日は先に喋らせろ。余計なことは言うな」
「分かってる」
「本当にか?」
「……たぶん」
自信はない。
だって、私の少し後ろでは、ミレナがもう青い顔をしている。毛布にくるまったままの救出組の子たちも、広場のざわめきだけで肩をすくめていた。ここに来るまで、何人かはちゃんと歩けなかった。あの白い旗を見るだけで震える子もいた。
壇上へ、昨日の使者が上がる。
「王都の皆様、本日は誤解を解くために参りました」
柔らかい声。いっそ穏やかなくらいだ。
「我々白冠連盟は、聖女候補を傷つけるためではなく、救済の秩序を守るために在る組織です。一部の未熟な候補生が恐怖を覚えるのは、選定の過程で避けがたい負荷があるからにすぎません。しかしそれは、より大きな加護のために必要なこと――」
「必要、ね」
私が吐き捨てるように言うと、ゆうりが横目で見る。
「まだだからね」
「まだ殴ってないじゃん」
「顔がもう殴ってるのよ」
壇上の空気が変わったのは、その時だった。
白い布幕の奥から、ひとりの少女が現れた。
白い法衣。揺れない姿勢。静かすぎる目。
セラフィナだ。
広場のざわめきが、妙な形で途切れる。綺麗だからだ。整いすぎていて、正しそうに見えるからだ。だから余計に腹が立つ。
ミレナが小さく息を呑んだ。
「……セラフィナ、様」
セラフィナは観衆へ軽く視線を落とし、それからこちらを見た。私のことも、ミレナのことも、泣きそうな子どもたちのことも、全部見えてるはずなのに、その顔は少しも揺れない。
「皆さまに、不安を与えてしまったことは遺憾です」
声は柔らかかった。
「選定に痛みが伴うこと自体は、誤りではありません。聖女とは、痛みを知るだけでなく、受け入える強さを持つべきものです。これは必要な痛みなのです」
ぞわ、とした。
昨日の騎士団長や神官どもより、ずっとぞっとする。怒鳴りもしない。見下しもしない。ただ、正しいことみたいに言う。その方が、ずっと悪質だ。
子どものひとりが、私の服の裾を掴んだ。
「……ひなたさま」
「うん」
「いたいの、がまんしないと、だめ……?」
胸の奥が焼けた。
「駄目に決まってるでしょ」
私がそう返した瞬間、壇上からセラフィナがこちらへ言葉を向けた。
「天川ひなた。あなたは、そうして痛みから目を背けたのですね」
昨日と同じ棘が、胸の奥に刺さる。
でも、ここで止まってたまるか。
「目を背けたんじゃない。痛いのに痛いって言えない場所がおかしいって、言ってるだけだよ」
ざわめきが走る。
使者がすぐに口を挟んだ。
「ご覧ください。これが扇動です。未熟な子らに“苦しみは不要だ”と思わせ、聖なる務めそのものを――」
「未熟なのはそっちでしょ」
思わず一歩出た私の手首を、ゆうりが掴んだ。
「ひなた」
「離して」
「今日は駄目」
「でも――」
「ここで殴ったら、向こうの思う壺」
分かってる。分かってるけど、腹立たしい。
ラグナも低く言う。
「耐えろ。今は言葉で崩れる」
その時、ミレナが震えながら前へ出た。
「……違います」
かすれた声だった。
でも、広場は静まり返っていたから、ちゃんと届いた。
「あれは、保護じゃありません」
「痛みを受け入れれば、救われるなんて……嘘です」
「壊れて、声も出なくなった子を、わたしは見ました」
使者の顔が強張る。
「逃亡聖女の証言など――」
「逃げたから、言えるんです」
ミレナは一度だけ喉を押さえた。それでも目を逸らさなかった。
「戻りたい子なんて、いません」
後ろで、救出された小さな子が泣きながら首を振った。
「いや……」
「もう、やだ……」
その小さな声が、広場の空気を確かに揺らした。
なのに、セラフィナだけは静かだった。
「恐れはあるでしょう。ですが、恐れのない救済などありません。選ばれるためには、ふさわしい痛みが必要なのです」
そこまで言い切るのか。
私はセラフィナを睨み上げる。あの子は本気だ。本気でそう思ってる。だから厄介だし、だから放っておけない。
「……それ、子どもの前で言うなよ」
思ったより低い声が出た。
「泣いてる子を見て、それでも必要だって言うなら……やっぱり、ぶっ壊れてるのはそっちだ」
セラフィナはほんのわずかに目を細めた。
でも、それだけだった。
「では、あなたが正すのですか。怒りで、否定で、壊すことで」
「そうだよ」
私は一歩だけ前へ出る。
「壊すよ。子どもを泣かせるための“正しさ”ならね」
今度こそ広場が揺れた。
民衆は昨日みたいに歓声を上げない。ただ、引いている。怖がっている。白くて整った言葉の中に、地獄があるって、ようやく見え始めた顔だった。
使者はそれ以上続けられなかった。弁明の顔を保てないと悟ったのか、形式ばった礼だけ残して壇上を下がる。セラフィナもまた、白い法衣の裾を揺らして引いた。
去り際、あの子は一度だけ振り返る。
「天川ひなた。あなたは、まだ痛みの意味を知らない」
むかつくくらい静かな声だった。
私は殴れなかった。
この場では、殴らない方がいいと分かっていたから。
でも、その代わりに胸の奥で、別のものが固まった。
***
広場を離れる途中、ゆうりが息を吐く。
「最悪」
「うん」
「殴らなくて正解。でも最悪」
「分かる」
ラグナが前を見たまま言う。
「顔が割れたな」
「うん」
「連盟のな」
私は振り返らなかった。
白くて正しそうな顔をしたまま、子どもを壊せる場所。あれが敵の本体だ。
昨日は門前で連盟の騎士を転がした。
今日は、その奥にある地獄の顔を見た。
だったら次は、もう決まってる。
「……弁明の次は、本丸だね」
小さく言うと、ゆうりが横で剣の柄を叩いた。
「やっと話が早くなったわね」
「最初から早いよ、私は」
「そういう意味じゃないのよ」
毛布にくるまった子どもが、また私の裾を掴む。
その小さな手の熱を感じたまま、私は拳を握った。
正しい顔をした地獄なら、
正しい顔のまま、壊してやる。




