第19話:ぶっ壊れてるのは、そっちだ
王都の門が見えた瞬間、ようやく私は息を吐いた。
走り通しだった。肩は重いし、腕も痺れてる。それでも、抱えていた小さな体がちゃんと温かいことに、少しだけ救われる。
「門を開けろ! 保護対象だ!」
先に駆けていたラグナの声に、門番たちが慌てて動いた。開いた隙間を抜けると、保護棟の前にはもう灯りが集まっていた。
「こっち……! こっちなの……!」
エリスが毛布を抱えて走ってくる。後ろではミレナも青い顔のまま立っていた。
「だいじょうぶ、です……もう、ここは……」
言い切る前に声が震える。それでも、その手はちゃんと伸びていた。
私は腕の中の子をエリスに渡す。
「お願い」
「う、うん……!」
毛布に包まれた子どもたちが、怯えた目でこちらを見ていた。泣いている子もいる。声も出ない子もいる。
全員じゃない。
その事実だけが、喉に引っかかったままだった。
「……ひなた様」
かすれた声に振り向くと、回廊で最初にこっちへ走ってきた女の子が、毛布を胸まで引き上げたまま私を見ていた。
「だいじょうぶ?」
しゃがんで目線を合わせると、その子は小さく頷いた。頷き方はまだぎこちない。体の半分くらいは、向こうの言葉に縛られたままなんだと思う。
「ここまで来た子は、もう返さない」
そう言った瞬間、外から荒い足音が飛び込んできた。
「ひなた殿!」
グレイだった。鎧も外していない。相当急いで来た顔だ。
「白冠連盟の使者が門前に来た。騎士もいる」
「早いね」
「候補生の引き渡しを要求しているようだ。民衆の前で、我が国を糾弾している」
私は眉をひそめる。
その呼び名だけでも十分腹が立つのに、グレイはさらに続けた。
「候補生は連盟の管理財であり、速やかに返還されるべきと――そう主張している」
管理財。
物みたいに言った。あの泣いていた子たちを。
「……ふざけんな」
低く漏れた声に、エリスがびくっと肩を震わせた。私はすぐ息を吐いて、頭を撫でる。
「ごめん。怖がらせた」
「う、ううん……」
でも、怒りは引かなかった。
ゆうりが額を押さえる。
「まあ、出るわよね」
「止めますか」
グレイが一応といった顔で聞く。
ラグナが先に答えた。
「止まらんだろう」
「はい。止まりません」
私は立ち上がった。
「ここをお願いします。絶対に、誰にも触らせないで」
「承知しました」
毛布にくるまった子どもたちを一度だけ振り返る。さっきの女の子が、今度はちゃんと私の言葉を聞いていた。
「すぐ戻る」
それだけ言って、私は門前へ向かった。
夜明け前の薄い空の下、白冠連盟の旗がやけに白々しくはためいていた。使者と騎士団、その前に集められた民衆。事情を知らない者にとっては、声の大きい方が正しく見える。
「アストレア王国は連盟所属の聖女候補を不当に拘束している!」
「速やかに返還せよ!」
「異端者を匿う王国に秩序を語る資格はない!」
ざわざわと群衆が揺れる。
私はその真ん中を割って前へ出た。
「返しません」
門前の空気が止まった。
使者が目を細める。その目にあるのは、侮りだった。
「異端の聖女、天川ひなた」
「便利な呼び方ですね」
私は鼻で笑った。
「で? 返還って何ですか。あの子たち、荷物でしたか?」
使者の頬が引きつる。代わりに一歩前へ出たのは、騎士団長格だった。長槍を持った大柄な男。いかにも“正しさ”を着込んだ顔をしている。
「規律なき聖女は災いだ。感情で子どもを攫い、秩序を乱す存在に、聖女を名乗る資格はない」
その言い方が、どうしようもなく気に入らなかった。
攫った。秩序。資格。
どの口が言うんだ。
「黙れ」
門前のざわめきが、その一言で止まる。
私は騎士団長を睨んだまま、白盾に刻まれた紋を指した。
「泣いてる子を黙らせて、痛い子を列に戻して、それで聖印? 奇跡? 笑わせんな」
一歩、前へ出る。石畳が鳴った。
「守れもしないくせに、聖女を語る?」
拳を握る。喉の奥が熱い。腹の底が煮えるみたいだ。
「ふざけんな!」
地面を蹴った。
長槍が唸る。速い。けれど見える。半歩だけ体をずらし、穂先を肘で弾く。そのまま懐へ潜り込んだ。
「なっ――」
「――聖女なめんじゃねぇ!!!」
拳を胸当てへ叩き込む。鈍い音。騎士団長の巨体が揺れた。踏みとどまる。硬い。
横から騎士が二人、斬り込んでくる。銀の閃きがそれを止めた。
「主役はあんたでしょ! 横見てる場合じゃない!」
ゆうりだ。さらに外側では、ラグナがもう一人の足を払って進路を塞いでいる。
「ひなた、長引かせるな」
「分かってる!」
騎士団長が怒声を上げ、槍を捨てて白盾を構えた。
「異端をここで断つ!」
「やってみなよ!」
白盾が突っ込んでくる。祈祷印つきだ。まともに受ければ重い。
でも、私は受けない。真正面から踏み込む。
盾の中心へ、拳を振り抜いた。
祈祷印が割れる。
「なんだと!?」
乾いた破砕音。次の瞬間、白盾が真ん中から砕け、騎士団長の身体がそのまま後ろへ吹っ飛んだ。後続の騎士を二人まとめて巻き込み、門前の石畳を無様に転がる。
どよめきが広がった。
私は倒れた騎士団長を見下ろす。
「痛いのに痛いって言えない制度が、壊れてるんだよ! 人を道具にしてる側が、正しい顔をするな!」
使者が息を呑む。
その後ろで、民衆が顔を見合わせた。
「……帰りたい顔じゃなかったぞ」
「怯えてたじゃないか」
「どっちが本当なんだ?」
そこへ、保護棟の方から小さな足音が聞こえた。
振り向くと、毛布にくるまったあの女の子が、エリスに支えられながら立っていた。ミレナも一緒だ。青い顔のまま、それでも前へ出ている。
「もどりたく、ない……」
震える声だった。でも、それで十分だった。
門前が完全に揺れる。
使者が焦ったように声を張り上げた。
「惑わされるな! その娘らは異端者に脅されて――」
「違います……!」
ミレナの声だった。かすれているのに、はっきり届く。
「あれは、保護なんかじゃありません」
「もどりたく、ないです」
使者の顔色が変わる。
私は一歩踏み出した。
「聞こえたよね」
連盟側の騎士たちは、もう前へ出られなかった。砕けた白盾、石畳に転がる騎士団長、怯えたままこちらへ寄る子ども、そして民衆の目。さっきまで向こうにあった“正しい顔”が、全部ひっくり返っていた。
ラグナが静かに剣を収める。
「終わりだな」
「はい」
ゆうりが肩で息をしながら、呆れたように笑った。
「ほんと、あんたは門前で国際問題を殴るのね」
「向こうが先に売ってきた喧嘩だし」
「そういう問題じゃないのよ」
私は白冠連盟の旗を睨んだ。
セラフィナの声は、まだ胸の奥に残っている。
あなたは逃げた人。
だったら何だ。
逃げたから、ここに立ってる。
逃げたから、今度は奪われる側じゃなく、止める側に立てる。
「次は門前じゃ済ませないからね」
小さく吐き捨てると、民衆のざわめきが今度は明らかにこちらへ寄った。
怖れだけじゃない。疑いだけでもない。
流れが変わる音だった。




