第15話:地下へ降りろ
その夜、私はまた保護棟の机を睨んでいた。
睨んでいたのは書類じゃない。列車から奪った拘束具と、薄い金属板みたいな刻印具だ。白い布の上に並べられたそれは、昼間に見た時より気味が悪かった。子どもの手首に合わせたみたいに小さい。なのに、留め金だけはやたら頑丈そうだった。
ゆうりがその一つを持ち上げる。
「これ、列車の中だけで使う作りじゃない」
「分かるの?」
「見ればね。固定用の溝が二重になってる。移送だけならこんなに要らない。どこか別の場所で、繋ぎ直す前提」
ラグナも刻印板を指で弾いた。乾いた音がした。
「祈祷反応を流す術式だな。列車の中で完結する作りじゃない」
「じゃあ、まだ先があるってこと?」
「ある」
ラグナは迷わなかった。
「おそらく、連盟の中継神殿だ。地下に同系統の設備がある」
「地下……」
ミレナが小さく息を呑んだ。
私はそっちを見る。ミレナは毛布を握ったまま、少し迷ってから口を開いた。
「戻ってきた子たち、みんな……地下を通ったあとは、歩き方がおかしいんです」
「歩き方?」
「はい。足じゃなくて……呼吸が。浅くて、目も合わなくて……でも、命令だけは聞くんです」
ぞっとした。門の前で倒れていたミレナを見た時と、同じ種類の嫌な気配だった。
「じゃあ今夜行く」
私が言うと、ゆうりが顔を上げる。
「即決ね」
「だって、また明日とか言ってるあいだに消されるでしょ」
「正しいけど、毎回それをあんたが言うと雑に聞こえるのよね」
「雑でも行く」
ラグナは短くうなずいた。
「潜入経路はある。地上は飾りだ。地下へ降りる搬入口が裏にあるはずだ」
「見張りは?」
「私が落とそう」
「罠は?」
「あたしが外す」
二人の声が落ち着きすぎていて、逆に腹が据わった。
私は拳を握る。
「じゃあ私は、見つかった時にぶん殴る」
「最初から見つかる前提で話するな」
ゆうりに言われたけど、否定はしなかった。
***
目の前に立ったその建物は、夜の闇の中でも白く浮いて見えた。
白い壁。高い尖塔。正面の階段には燭台まで並んでいて、夜なのにやけに綺麗だ。神に仕える場所ですよって顔をしてる。だから余計に腹が立つ。
私たちは正面じゃなく、裏へ回った。
石壁に沿って進むと、すぐに香の匂いが濃くなった。いい匂いじゃない。甘ったるくて、鼻の奥に貼りつく匂いだ。地下へ続く鉄扉の前で、見張りが二人倒れている。どっちも綺麗に気絶していた。
「ラグナ、やるね」
「騒がせる方が面倒だ」
ゆうりがしゃがみ込んで鍵穴を覗く。
「刻印式。面倒くさ……」
「無理そう?」
「無理とは言ってない」
金属の細い棒を差し込む音がした。ひとつ、ふたつ、乾いた音がして、重い錠が外れる。
扉を開けた瞬間、空気が変わった。
冷たい。
しかも湿っている。石段の下から、低い唸りみたいな音が響いてきた。祈りの声じゃない。水車でも回してるみたいな、嫌な連続音だった。
私たちは灯りを絞って降りる。
一段、二段、三段。
降りるほどに香は濃くなり、空気が死んでいく。壁は綺麗に磨かれているのに、床だけがやけに冷たい。神聖な場所っていうより、肉を処理する部屋に近かった。
「……ほんとに神殿?」
私が小さく言うと、ラグナが前を見たまま返す。
「神の顔をした処理場だな」
その通路の先で、音が大きくなった。
部屋がある。
半分だけ開いた扉の隙間から覗いた私は、そこで一回、呼吸を忘れた。
細い管。
白い台。
手首と足首を留める銀の輪。
横には記録棚。札が何列も並び、数字が揃っている。
台の上には、子どもがいた。
七つか、八つくらい。痩せた腕が輪に固定されていて、目は閉じたまま。唇が乾いてる。胸だけが、かすかに上下していた。
「生きてる」
そう言いながら、私はもう部屋へ飛び込んでいた。
「ひなた、罠!」
「あと!」
ゆうりの声を背中で聞き流して、私は台の横に膝をつく。手首の輪を外そうとして、指に血がついた。擦り剥けた痕が生々しい。
「大丈夫、大丈夫だから」
返事はない。
私は癒しを流した。手のひらから零れた光が、赤い痕と乾いた唇をゆっくり撫でていく。浅かった呼吸が、少しだけ深くなる。
その時だった。
「何をしている!」
奥の扉が開いて、法衣の男が駆け込んできた。細い顔に眼鏡。眉間に皺。見た瞬間から、もう嫌いだった。
「止めろ! それは儀式だ! 選別前の器に勝手に触れるな!」
「うるさい!」
考える前に拳が出た。
鈍い音がして、神官が横壁まで飛ぶ。棚が揺れて、札が何枚も床に落ちた。
ゆうりが眉ひとつ動かさず言う。
「今回は早かったわね」
「だって今ので十分でしょ」
「まあね」
ラグナは別室へ滑るように入り、すぐに帳簿の束を抱えて戻ってきた。
「記録がある。回収しろ」
ゆうりは倒れた神官の腰から鍵束を抜き、棚の引き出しを開けていく。
「固定台使用記録、反応量、移送印……うわ、最低」
私は台の子の拘束を外し終えて、その軽さに歯を食いしばった。軽すぎる。ちゃんと食べてる子の重さじゃない。
腕の中で、その子がかすかに目を開ける。
「……いたい」
「うん。もう終わり」
「しっぱい、しましたか」
「してない」
私ははっきり言った。
「失敗したのは、あんたをここに縛ったやつら」
その言葉に、子どもの目が少しだけ揺れた。
背後で、ゆうりが一枚の札を抜く。
「ひなた、これ」
私は抱き上げた子を支えたまま、そっちを見る。
赤い記号。移送先略号。儀式日。そして、その下に見覚えのある名前。
「……セラフィナ」
ラグナが帳簿を閉じた。
「本命はさらに上だ。ここは枝にすぎん」
「枝でも十分腐ってるけどね」
ゆうりが縄を放る。
「神官、生かして持ってくわよ。次は言い訳の時間」
床で呻いた管理神官を見下ろして、私は鼻で笑った。
「いいね。その前に、もう一発いっとく?」
「駄目。情報が先」
「ちぇ」
私は子どもを抱き直す。
地下の機械音はまだ続いていた。止めたい。全部壊したい。けど今は違う。
まずは連れて出る。
証拠も、人も、両方奪う。
「行くよ」
私が言うと、ラグナが先に通路へ出る。ゆうりは帳簿を抱え、神官の手首を縛った。
冷たい地下を、今度は上へ向かって走る。
その先で待ってるのが、ただの後始末じゃないことは分かっていた。
セラフィナの名前は、もうこっちの手の中にある。




