第11話:列車の中の小さな牢屋
祈りの声が、静かすぎて気持ち悪かった。
夜明け前の線路脇は、冷えた土の匂いが強い。草の先に白く息がかかるたび、遠くから規則正しい車輪の音が近づいてきた。その音に重なるように、細く揃った声が流れてくる。
「清き器に、祝福を」
「清き器に、献身を」
「清き器に、沈黙を」
最後の一つを聞いた瞬間、私は眉をひそめた。
祈りじゃない。
黙らせるための言葉だ。
闇の向こうで、短く影が動く。ラグナからの合図だった。谷側は通れる。見張りも押さえた、という意味だ。
私のすぐ横で、ゆうりが小声で言う。
「予定通り。あたしが入る。あんたは前に出る準備しときなさい」
「分かってる」
「車両は壊さない」
「それも分かってるよ」
「一応もう一回言っといたの」
言い方は呆れてるのに、声は低くて固かった。私も余計なことは返さなかった。
列車のきしむ音が近づいてくる。ふざけている場合じゃない。
白い列車が、乗換地点の手前でゆっくり速度を落とす。
その瞬間、ゆうりが動いた。
線路脇の石積みを蹴って、一番後ろの車両の縁へ取りつく。音はほとんどしない。外から見れば、夜に溶ける影が一つ増えただけだった。私はそのまま前方へ目を向ける。護送騎士が気づくまで、あと少し。
でも、耳だけは後ろを拾っていた。
金具がかすかに鳴る。
鍵が外れる。
扉が、ほんのわずかに開く。
中から流れてきた匂いに、私は息を止めた。
甘い香。
白い布。
薬と汗を、無理やり上から塗り潰したみたいな匂い。
私はまだ車両には入らない。入る役じゃないからだ。ただ、開いた扉の外側、足場のすぐ下から中を見上げる。そこからでも十分だった。
壁に祈りの文句が刻まれている。
小さな席がきっちり並んでいる。
その一つ一つに、子どもが座らされている。
手首か足首には銀の拘束具。
牢屋じゃない。
もっと質が悪い。
きれいに見せかけたまま、心ごと潰す場所だ。
ゆうりが中でしゃがみ込み、いちばん手前の拘束具に工具を差し込む。
「騒がなくていい。助けに来た」
その声で、前列の子が肩を跳ねさせた。年は十にもならない。痩せた首が強ばって、目だけが大きくこっちを見ている。
「し、試練……?」
かすれた声だった。
その言葉に、胸が嫌な感じで冷えた。
ゆうりが眉を寄せる。
「違う。終わりにしに来たの」
「姿勢を乱しては、いけません」
別の子が、小さく震えながら言った。
「泣くのは、罪です」
「怖がるのは、器を曇らせるから」
「できない子は……」
いちばん奥の子が、祈るみたいに手を握ったまま口を開く。
「できない子は、捨てられるの」
ゆうりの手元で、銀の輪が一つ外れた。
「……これ、保護じゃない」
顔は冷静なのに、声だけが冷たかった。
「家畜の積み荷より悪い」
私は足場の下から、できるだけ低い声で言う。
「大丈夫。助けに来たよ」
何人かがびくっとした。暗がりの下から知らない声がしたせいだと思った。だから私はすぐに、もう一度ゆっくり言い直す。
「怖かったよね。もう祈らなくていい」
誰も返事をしない。
返事をしないどころか、余計に混乱した顔をした。優しく言われること自体が分からない、みたいな顔だった。
「うそ……」
前の子が、やっとそれだけ言った。
「やさしくするのは、あとで試すためでしょ……?」
私は一瞬、喉が詰まった。
ああ、そうなるよねと思った。
今までそういうふうに扱われてきたんだから。
「疑っていいよ」
私は扉の外から、その子を見上げたまま言う。
「でも、置いていかない」
奥の小さな子が、震えた声で聞く。
「できない子でも?」
「できないままでいい」
「泣いても……?」
「泣いていいよ」
その言葉の直後、車両の中で誰かの息が乱れた。声はまだ出ない。でも、泣くのを止めるために噛みしめていた口元が、少しだけ崩れた。
ゆうりが次の拘束具に手をかける。
「ひなた、時間」
その一言で、私は前を見る。
車両の前方、護送側の灯りが揺れた。誰かが異変に気づいた。もう始まる。
私は足場から一歩下がる。
「ゆうり、あとは任せた」
「そっちは予定通り、派手にやりなさい」
「言われなくても」
私は最後にもう一度だけ、扉の中へ声を投げた。
「すぐ戻る。だから、今はこの人の言うこと聞いて」
子どもたちの視線が、ゆっくりゆうりへ寄る。
まだ信じ切ってはいない。
でも、さっきよりは少しだけ、怯え方が変わっていた。
それで十分だった。
線路の前へ出る。
冷たい鉄が足の下で鳴る。
白い列車の先頭側で、護送騎士が剣を抜く気配がした。
列車の中の鎖は、ゆうりが外す。
外で進路をこじ開けるのは、私の役目だ。
拳を握る。
もう無駄口は叩かない。
祈りの声が途切れた次の瞬間、私は前へ出た。




