第9話:祈祷列車を止めろ
小部屋の空気は、さっきまでよりもずっと重くなっていた。
油灯りの火が揺れるたび、机の上の三枚の紙の影が薄く伸びたり縮んだりする。狭い部屋なのに、やけに寒い。血の匂いはもう薄れているのに、代わりに紙の白さが目についた。
第三移送列車。祈祷列車。三日後。
器候補、十一。上位送致、一。
整った字だ。だから余計に腹が立つ。子どもを運ぶための記録を、こんなに綺麗な字で書くなよと思った。
最初に動いたのはゆうりだった。二枚目の地図を自分の方へ引き寄せ、机の端を指で押さえる。
「三日後なら、駅で待つのは遅い。正面から入れば、護送ごと子どもを囲われる」
細い指が国境沿いの線路をなぞっていく。途中で止まったのは、乗換地点の少し手前だった。
「止めるならここ。速度が落ちる区間がある」
ラグナが横から覗き込み、低い声で言った。
「旧交易路が近いな。今は潰れているはずだが、保守坑が残っていれば谷側へ抜けられる。少人数なら先回りできるだろう」
「じゃあ、裏はラグナ」
私が言うと、ラグナは短く頷いた。
「私が押さえる。見張りがあるなら先に潰す。逃げ道も塞ぐ」
「前は私だね」
言った瞬間、ゆうりが嫌そうな顔をした。
「言うと思った。でも先に釘を刺す。客車に勢いで突っ込まない」
「まだ何もしてないんだけど」
「あんたはしてなくても、しそうなの」
「失礼だな」
「事実でしょ」
反論しかけて、少しだけ詰まった。心当たりがないわけじゃない。ゆうりはそれを見て、はあ、と小さく息を吐く。
「ひなたの役目は、護送の目を全部引きつけること。前で暴れていい。騎士を止めていい。でも中を開ける前に車両を壊したら終わり」
「……分かった」
「今ちょっと間があった」
「ちゃんと分かったって」
「その返事も信用しづらいのよね」
ラグナが小さく息を吐いた。
「お前たち、そこを長引かせるな」
「長引かせてないよ。大事な確認」
「不安材料の確認だな」
ひどい。でも否定しきれないのが悔しい。
グレイさんが腕を組んだまま、机の上の紙へ目を落とした。
「表で騒ぎが起きれば、護送は子どもを盾に使う。その前に指揮役を崩せれば早い」
「騎士団の癖、分かるの?」
「少しはな」
短い返事だったけど、頼もしさは十分だった。
グレイさんが机の上の紙に目を落としたまま続ける。
「私は王都側を抑える。保護棟を空にするわけにはいかんし、門の記録もいじっておきたい。表の追手を鈍らせる」
それはつまり、私たちが外で動いている間、この場所を守ってくれるってことだ。
ミレナが三枚目の紙を見たまま、小さく息を吸った。喉元を押さえながら、それでも目は逸らしていない。
「……乗換地点で、選別が入ることがあります」
部屋がしんとした。
ゆうりが顔を上げる。
「選別?」
「印の強い子から……別の車両へ移されます。だから、その前で止めないと……たぶん、間に合いません」
上位送致、一。
その一人だけ、先に切り分けるつもりだ。
「最悪」
私が吐き捨てると、ミレナはかすかに頷いた。
「祈祷列車では、ずっと祈らされます。泣かないように。考えないように。逆らわないように……」
言いながら、指先が震えていた。
「違います……あれは、保護なんかじゃありません」
小さい声なのに、その一言はやけにはっきり聞こえた。
私は拳を握る。机の上の木目が見えるくらい近くで、三枚の紙をにらんだ。
十一人。
数字で書くな。名前で呼べ。泣く子どもを荷物みたいに数えるな。
そんな気分だった。
部屋の隅で、毛布が少し動いた。エリスが起きていたらしい。眠そうな目のまま、こっちを見ている。
「ひなたお姉ちゃん……」
「起きてたの?」
「……うん」
エリスは机の紙を見て、それからミレナを見た。
「そのこたち……くる?」
私はしゃがまず、そのまま答えた。変に柔らかく言うより、今ははっきり言った方がいい気がした。
「連れてくる。そのための話をしてる」
エリスは小さく頷いた。それ以上は言わなかったけど、その頷きがやけに重かった。
ゆうりが地図の上を指で二度叩く。
「大筋はこれ。列車は乗換地点の前で止める。ラグナが裏道、ひなたが前、あたしは車両側。鍵と拘束具、封印があるなら、そこはあたしがこじ開ける」
「雑に言うと、殴る役と、切る役と、逃がす役?」
「雑すぎるよ」
「でも分かりやすいじゃん」
「分かりやすいのは認める」
ラグナが地図を折りたたみ始めた。
「今夜のうちに裏道を見てくる。通れるならそのまま使う。潰れていれば別の抜け道を探す」
グレイさんも扉の方へ向き直る。
「私は門と記録だ。夜明けまでに当たる」
みんな、もう動く顔をしていた。
さっきまで部屋に張りついていた重さが、少しだけ形を変える。苦しいだけの重さじゃない。行き先が決まった重さだ。
ゆうりが最後にもう一度だけ地図を開き、乗換地点の手前を指先で押さえた。
「明日、ここを詰める。誰がどこで止めるか、誰が中へ入るか。どこまで壊して、どこを残すか。そこまで決めて、ようやく動ける」
私はその場所を見る。
細い線。小さな印。紙の上だとただそれだけだ。
でも、三日後にはそこを列車が通る。祈らされて、黙らされて、運ばれる子どもたちを乗せて。
「分かった」
今度はゆうりも何も言わなかった。
小部屋の油灯りが、地図の端を照らしている。
その光の下で、最初の配置が決まった。




