第8話:夜の保護棟
何も見えない。
見えないのに、嫌な感じだけははっきりあった。
私は庭の暗がりを睨んだまま、一歩だけ前へ出る。背後ではミレナが扉の隙間に立っていて、エリスがその服の端を掴んでいた。
「中に入ってて」
できるだけ静かに言う。
ミレナは頷いた。でも足がすぐには動かない。怖いんだと思う。そりゃそうだ。自分を取り返しに来る夜なんて、怖くないわけがない。
グレイが私の横に並んだ。
「……いるな」
グレイの手が、静かに剣へ伸びた。
次の瞬間、塀の外で鈍い音がした。
見張りが一人、声もなく崩れる。
「は?」
私が走るより早く、庭の端の影が三つ動いた。黒い法衣。白い仮面。足音がほとんどしない。夜の中に溶けるみたいに、まっすぐ保護棟へ向かってくる。
「グレイ!」
「左を取れ!」
それだけで十分だった。
私は左へ飛ぶ。最初の一人が短剣を抜くより先に、拳を横から叩き込んだ。仮面が割れて、相手の体が庭石の上を転がる。
でも軽い。嫌な軽さだ。鍛えた騎士じゃない。もっと速さだけに寄せた動き。
二人目が窓へ走る。
「させるか!」
足を払う。避けられる。速い。ならばと袖を掴んで引き戻すと、そいつは体を反転させながら私の喉を狙ってきた。
ためらいのない軌道だった。殺すためじゃない。喉だけを黙らせるための刃だ。
ぞっとした瞬間、横から剣閃が入った。
グレイだ。
「聖女に触れるな」
低い一言と一緒に、刺客の短剣が弾き飛ばされる。続けざまに踏み込み、胸当てごと叩き落とすみたいな斬撃。重い。速い。正面から折りに来る剣だった。
さっきまで静かだった庭が、一気に戦場になる。
残りの一人は、窓際まで辿り着いていた。
保護棟の窓。ミレナの部屋。
ふざけんな。
私は地面を蹴った。相手が懐から取り出したのは、細い針みたいなものだった。喉狙い。やっぱりそうだ。こいつら最初からミレナの口を塞ぎに来てる。
「うるっさいんだよ!」
拳が先に届いた。
腹に入った感触は軽いのに、骨が折れる音は重かった。刺客は窓の下に叩きつけられ、息を吐いて動かなくなる。
庭の反対側で、金属音が弾けた。
振り向くと、最後の一人がグレイと打ち合っている。いや、打ち合いじゃない。グレイが押してる。真正面から。迷いなく。
「退け」
刺客が低く何か呟いた。聞き取れない。けど、その声にぞわっとした。祈りみたいな響きだった。
次の瞬間、そいつは自分の胸元に手を突っ込む。
「自害する!」
ゆうりの声が上から降ってきた。
え、なんでいるの。
見上げると、保護棟の屋根の上にゆうりが立っていた。剣を抜いたまま、鋭い目でこっちを見下ろしている。
「早く止めて!」
「なんで屋根の上!?」
「屋根が死角になると思ったのよ!」」
言い返してる場合じゃない。
私は最後の刺客に飛び込んだ。胸元の何かを掴む。硬い筒だった。紙でも刃でもなく、封筒みたいな感触。
そのまま相手の手首をへし折るつもりで捻る。骨が鳴る。刺客が初めて苦鳴を漏らした。
そこへグレイの剣の腹が落ちる。
頭部への強打。刺客の体が沈む。
静かになった。
夜番の兵が遅れて駆け込んでくる。庭に倒れた仮面。白い欠片。黒い法衣。油の灯りが揺れて、全部がやけに生々しく見えた。
私は息を整えながら、掴んだ筒を見た。
白い蝋印。白冠の印。
「……当たりだね」
ゆうりが屋根から飛び降りる。
「中、無事?」
「ミレナとエリスは平気」
そう言ったところで、扉が開いた。
ミレナが真っ青な顔で立っている。エリスはその後ろで震えていた。でも逃げてない。えらい。
「終わったよ」
私はできるだけ普通の声で言った。
「もう大丈夫」
ミレナの視線が、地面の白い仮面に落ちる。唇が震える。
「あの人たち……連盟の、回収役です」
「回収役?」
「逃げた聖女と……喋る聖女を、消す人たちです」
胸の奥が冷たくなる。
やっぱり、取り返しじゃない。最初から口封じだ。
グレイが短く言った。
「中で開ける」
私たちは保護棟の小部屋へ移った。机の上に筒を置く。ラグナも来ていて、蝋印を一目見て眉を寄せる。
「術式封がある。雑に破るな」
指先が光る。蝋が静かに割れる。中から出てきたのは、折りたたまれた薄い紙が三枚。
一枚目は名前の列。年齢。状態。選別印。
二枚目は地図。国境沿いの線路と、乗換地点。
三枚目を見た瞬間、ゆうりが舌打ちした。
「……最悪」
「なに」
私は横から紙を覗き込む。
そこには、整った字でこう書かれていた。
第三移送列車 祈祷列車
出発日――三日後
その下に、小さく並ぶ記号。
器候補、十一。
上位送致、一。
ミレナが息を呑んだ。
「まだ、そんなに……」
私は紙を握った。
三日後。
遅いと消える。
なら、もう迷ってる暇なんてない。
ゆうりが顔を上げる。さっきまでの呆れ顔は消えていた。
「作戦、組むわよ」
ラグナも頷く。
「祈祷列車を止める」
グレイが剣の柄に手を置いた。
「今度は守るだけでは足りない」
私は紙を見たまま、笑った。全然楽しくないのに、笑うしかなかった。
「うん。じゃあ今度は、迎えに行こうか」
三日後。
祈祷列車。
十一人。
上等。
今度はこっちから迎えに行く。




