第6話:囚われているのは、一人じゃない
返還要求の場が終わったあと、私たちはそのまま王宮の保護棟へ移った。
ミレナは使者の顔を見ただけで震えていたし、今のうちに聞けることを聞かなきゃいけないって、全員が分かっていたからだ。
喉の術式を少しでも緩められないか、ラグナが準備を始める。
ゆうりは部屋の外を見張り、私は寝台の横に座った。
ミレナの喉に浮かぶ黒い筋を見た時、私は正直、殴ってどうにかなる相手じゃないなと思った。
いや、殴りたい気持ちはある。あるけど、喉の中に食い込んでる術式まで拳でどうこうするのは無理だ。たぶん。たぶんだけど。
「完全解除はできん」
ラグナがそう言って、ミレナの首元に指先をかざした。
「だが、少しだけ緩めることはできる。ひなたの癒しを薄く流し続けろ。勇者、お前は外側から干渉を切れ」
「はいはい。便利屋みたいに言わないでくれる?」
ゆうりは文句を言いながらも、すぐに短剣の柄へ手を添えた。淡い光が、刃じゃなく空気そのものに広がる。防壁みたいに、ミレナの周りを薄く囲んだ。
「ミレナ。無理ならすぐ止めるから」
ミレナは小さく頷いた。
「……はい。あの、ありがとうございます」
その声だけでも、もう前より出ている。でも、掠れていて、今にも喉が裂けそうだ。
ラグナが静かに言う。
「始めるぞ。話せる量は多くない。聞くべきことを絞れ」
ゆうりがすぐに切り替える。
「まず一つ。ミレナさん、あなたは“逃げた”の?」
ミレナの指が、毛布の端をぎゅっと握った。
「……ちがい、ます」
声を出した瞬間、喉元の黒い筋がじりっと赤く浮く。私は反射で癒しを流した。ミレナの肩が少しだけ落ち着く。
「わたしは……落とされました」
「落とされた?」
私が聞き返すと、ミレナは怯えたみたいに目を伏せた。
「選別に、落ちたんです」
部屋が静かになる。
「修道院じゃ、ありませんでした。あそこは……試す場所、です。祈り、従順さ、癒しの質……それで、分けられます」
「役に立つ子と、そうじゃない子を?」
ゆうりの声は低かった。
ミレナは頷いた。
「……はい」
言うたびに喉が痛むんだろう。言葉の切れ目ごとに、呼吸が浅くなる。
ラグナが短く問う。
「お前以外にもいたな」
ミレナの目が揺れた。
それから、ゆっくり、はっきり頷く。
「あの子たちは……まだ、います」
私は思わず膝の上で拳を握った。
「何人?」
「正確には……分かりません。でも、十より多くて……もっと、いたかも……」
十人。
胸の奥が冷たくなる。
ミレナは絞り出すように続けた。
「年下の子が……多かったです。わたしより、ずっと小さい子も……」
エリスが、部屋の入口で小さく息を呑んだ。
今日は中に入るのを迷ってたけど、気づいたらそこに立っていたらしい。銀髪が、朝の光に細く揺れる。
私はミレナから目を離さないまま聞いた。
「その子たち、どうなるの」
ミレナの唇が震える。
「役に立つと判断された子は……次へ送られます」
「次ってどこ」
「分かりません。名前は、聞かされませんでした。ただ……上へ、と」
「上?」
「白冠の近くへ」
その言い方だけで、背筋が嫌な感じに冷えた。
ゆうりがすぐに整理する。
「つまり、最初の施設は修道院じゃない。選別場。そこで聖女候補を選って、使える子だけ別口に送る」
「そういうことです……」
ミレナの声は細い。でも、そこで初めて少しだけ芯が入った。
「保護じゃ、ありません。違います……あれは」
喉がまた焼けたらしく、ミレナが口元を押さえる。私は背中をさすった。
「もう十分だよ」
「まだ、言えます……」
「でも痛いでしょ」
「痛い、です。でも……言わないと」
その返事に、ちょっとだけ息が詰まった。
この子、ずっと“言えなかった側”だったのに、それでも今は言おうとしてるんだ。
ラグナが術式を押さえたまま、低く促す。
「重要な点だけだ。急げ」
ミレナは何度か呼吸して、それから私を見た。
「ひなた様」
「うん」
「遅いと……消えます」
その一言で、私の中の何かが真っ直ぐ立った。
「は?」
思ったより強い声が出た。ミレナがびくっとする。しまった、と思って慌てて声を落とす。
「ごめん。続けて」
「選ばれなかった子、壊れた子、逆らった子……いなくなります。部屋が、空になるんです。でも、誰も聞いてはだめで……」
ミレナの目の焦点が少し遠くなる。
「“祈りに還った”って、言われます」
私は立ち上がった。
「助けに行く」
ゆうりが即座に反応した。
「待ちなさい」
「待てないでしょ、今の聞いて」
「聞いたわよ。でも場所も人数も警備も移送経路も分からない」
「だから探しながら――」
「突っ込んでも全滅するって言ってるの!」
分かってる。分かってるけど、分かった上で腹が立つ。
「じゃあ何もしないの?」
「あたしはそう言ってない!」
空気がぴんと張る。
ラグナの声が、そこに落ちた。
「感情で動くなとは言わん。だが順序は守れ」
私は睨むみたいにラグナを見た。
「順序守ってる間に消えたらどうすんの」
「だからこそ、外す手順を誤るなと言っている」
ラグナは淡々としていた。でも冷たいわけじゃない。
「敵はお前一人を怒らせればいい相手ではない。制度だ。隠し、運び、消し、正当化する仕組みそのものだ。穴も見取り図もなく飛び込めば、お前まで呑まれる」
正論だ。腹立つくらい正論。
ゆうりも腕を組んだまま言う。
「行くなら、助けるために行くの。捕まるためじゃない。まず情報と証拠。場所、運搬、関係者、次の動き。そこを取る」
私は何か言い返しかけて、止まった。
寝台の上のミレナが、真っ青な顔でこっちを見ていたから。
「あの、ごめんなさい……わたしのせいで……」
「違う」
私は即答した。
「それは違う。ミレナのせいじゃない」
「でも、わたしが言ったから……」
「言ってくれてよかった」
今度はちゃんと、柔らかく言う。
「知らなかったら助けに行くって言えなかった。だから、言ってくれてよかったよ」
ミレナの目に、うっすら涙が滲んだ。
その時、今まで黙っていたエリスが、入口から小さく声を出した。
「……わたしも」
全員がそっちを見る。
エリスはまだ不安そうだった。でも、逃げなかった。
「わたしも、あの子たち、いなくなるの、やだ」
小さな手がぎゅっと握られている。
「おそいと、だめなんだよね」
ミレナが、ゆっくり頷く。
「……はい」
エリスは唇を引き結んで、それから私を見た。
「ひなたお姉ちゃん。たすけるために、ちゃんと知るのも、たすけることだよね」
胸に、ずしんと来た。
ああ、そうだよな。分かってる。分かってるんだよ。
私は息を吐いて、頭をかいた。
「……うん。そうだね」
ゆうりが少しだけ肩の力を抜く。
「ようやく聞いた」
「でも助けに行くのは決定だから」
「そこは否定してないわ」
ラグナも短く頷いた。
「次は会議だ。王と王子も巻き込め。外交、軍事、証拠、保護。その全部を並べてから動く」
私は寝台の脇に戻って、ミレナの手を取った。
「待たせるつもりはないから」
ミレナは細い指で、かすかに私の手を握り返した。
「……はい」
その返事はまだ弱い。でも、完全に諦めた人の声じゃなかった。
窓の外から、木槌の音が聞こえる。
広場を作る音だ。未来のための音。
でも今は、それだけじゃ足りない。
作るなら、取り戻さなきゃいけない。
消される前に。
祈りに還った、なんて嘘で塗りつぶされる前に。
「私を怒らせたこと、絶対に後悔させるから」




