第5話:白冠連盟
返還要求の使者が帰ったあとも、王宮の空気はずっと冷えていた。
私たちは謁見室じゃなく、奥の小さな会議室に移された。机の上には、さっきの使者が置いていった封書と、ミレナが描いた白い冠の絵。それから喉の刻印を写した記録が並んでいる。
「……似すぎじゃない?」
私が言うと、ゆうりが眉を寄せた。
「似てる、じゃなくて同じ系統でしょ。紋章の線の流れが一致してる」
レオニール王子が封書を開き、蝋印の欠けた部分を紙に写す。白い冠を思わせる形。綺麗すぎて、逆に気持ち悪い。
「隣国セルヴァート単独の紋章ではありません」
王子は静かな声で言った。
「父上、やはりこれ……白冠連盟のものです」
その名前が出た瞬間、部屋の端で座っていたミレナの肩がぴくっと跳ねた。
私はそっちを見たけど、今は口を挟まなかった。
王――レオニス三世は重い顔のまま、肘掛けに指を置く。
「説明しろ、レオニール」
「はい。白冠連盟。複数国家と大聖堂勢力が組んだ連合体です。名目は平和維持、信仰秩序の保全、越境儀礼の統一」
ゆうりが腕を組んだまま、冷めた目を向ける。
「で、要するに?」
王子は少しだけ息を吐いた。
「聖女を各国で囲い込み、制度として共有し、利益を守るための枠組みです」
私は顔をしかめた。
「共有って、物みたいに言うなって感じなんだけど」
「実際、向こうはそう扱ってるのよ」
ゆうりの声は辛かった。
「国家管理聖女。保全対象。逃亡奴隷相当。あいつら、言葉を綺麗にしてるだけで中身は全然隠してない」
ラグナが窓際で腕を組む。
「宗教、政治、軍事が一つの理屈で結ばれているなら厄介だな。一国の腐敗ではない。制度そのものだ」
その一言で、背筋が冷えた。
一人の悪人を殴れば終わる話じゃない。マール神官みたいな分かりやすいクズをぶっ飛ばすのとは、わけが違う。
王子が続ける。
「そして、連盟から見た今のアストレアは、極めて危険です」
王は短くうなずいた。
「だろうな。聖女の独占を崩し、神殿財産を凍結し、国家と神殿の距離を離し、挙げ句に魔王領とまで手を結びつつある」
ラグナがそこで薄く目を細めた。
「歓迎されるはずもない」
「歓迎どころか、潰したいでしょ」
ゆうりが机を指で叩く。
「ミレナさん一人の返還要求じゃない。向こうはこの国の改革そのものを“異常”として処理したいのよ」
私は思わず前のめりになった。
「だったら、なおさら返せないじゃん」
「感情としては正しい」
ラグナが言う。
「だが、それだけで切り抜けられる相手ではない。向こうは書類を持ち、条約を持ち、信仰を持ち、兵も持つ」
「分かってるよ」
分かってる。分かってるけど、腹が立つ。
痛いって言えないように喉を焼いて、逃げたら返せって来て、その上こっちの方を危険思想みたいに言うんでしょ。ほんと、どの口だよ。
私が黙ってると、王が低く言った。
「ひなた」
「……なに」
「お前の怒りは当然だ。だが、今は殴る時ではない」
「分かってるって」
「顔に出ておる」
「うるさい」
ゆうりが小さく吹き出した。
王にあんな口をきいたのに、場が完全には凍らないあたり、私もだいぶ馴染んでしまっている。
その時だった。
かたん、と小さな音がした。
ミレナだった。
机の上の封蝋印を見つめたまま、顔色が紙みたいに白くなっている。膝の上で握った手が、目に見えて震えていた。
「ミレナ?」
私が近づくと、ミレナは息を詰めた。
「ひなた、様……」
かすれた声だった。まだ喉は万全じゃない。それでも、無理やり言葉を押し出してくる。
「あの印……白冠、です」
「うん」
「連盟の、使いが来る時は……次に、誰かが……消えます」
部屋が静まった。
私はしゃがんで、ミレナと目線を合わせる。
「消えるって、連れていかれるってこと?」
ミレナは頷いた。頷いてから、はっとしたように口元を押さえる。
「ごめんなさい……ごめんなさい、わたし……」
「謝らなくていい」
「でも……あの方たちは、返せと言ったあと、必ず……」
そこで言葉が切れた。
ミレナの体がぐらっと揺れる。私は慌てて肩を支えた。軽い。軽すぎる。
「大丈夫。ここでは消えない」
できるだけ、はっきり言う。
「少なくとも勝手には消させない」
ミレナの瞳が揺れた。怯えてる。でも、それだけじゃない。何か言わなきゃって顔をしてる。
「白冠連盟は……一人を返させるためじゃなくて……見せしめにします」
ゆうりが息を呑む。
「……なるほどね」
ラグナも頷いた。
「脅しと先例潰し、か」
王子の表情が険しくなった。
「アストレアで改革が成功すれば、他国にも飛び火する。だから最初の火種の段階で踏み消す」
王が玉座でもない椅子の上で、ゆっくり背を預けた。
「想像以上に面倒な相手だな」
「面倒で済ませないでほしいんだけど」
私が言うと、王はこっちを見た。
「だからこそ、軽々しく動けぬ」
「でも向こうはもう動いてる」
私の声は、思ったより静かだった。
「ミレナだけじゃない。この国ごと潰しに来てるんでしょ」
誰も否定しなかった。
窓の外では、遠くで木槌の音がしている。市民広場の工事だ。壊したあとに、何かを作る音。
なのに、こっちはその“作る”こと自体を許さない相手と向き合ってる。
だったらもう、話は単純だ。
「……返せないよ」
私はミレナの肩を支えたまま、はっきり言った。
「この子も、この国の今も。どっちも、もう返せない」
ミレナが小さく息を呑む。
そのまま、力が抜けるみたいに私にもたれかかってきた。
倒れたわけじゃない。ただ、張りつめてた糸が切れかけたんだと思う。
私はその背中を支えながら、机の上の白い冠を見た。
綺麗な印だった。綺麗すぎてむかつく。
ああいう綺麗な顔した制度が、一番たちが悪い。
ぶん殴る相手が、一人から世界に増えただけだ。
それだけだ。




