第29話:王、裁きを問われる
《聖塔》が崩れた翌朝。
パンとスープ、それから屋台の焼きリンゴ――私たちのささやかな朝ごはんは、汗と灰の後味をやっと洗い流してくれた。
「ひなたお姉ちゃん、今日はあったかいね」
エリスが湯気の向こうで笑う。
「うん、あったかい……殴ったぶん、空気が軽くなったのかも」
そこへ、王宮の使者が駆け込んできた。
「至急、玉座の間に。王、公開の“問責評議”を開くとのこと!」
来た。逃げない国王、悪くない。
「よし。じゃ、殴る準備――じゃなくて“話す準備”して行こっか」
ゆうりが呆れたように眉をひそめる。
「言い直しの速度、早すぎない?」
ラグナは肩をすくめる。
「どのみち、拳は要る」
***
玉座の間は、満員だった。
貴族、騎士、職人頭、商人、そして市井の代表。王と王子レオニールが壇上に並び、左右に重臣。中央には、鉄の枷をつけられたマール神官。
王・レオニス三世は重く口を開いた。
「《聖塔》は落ち、神殿の権威は地に伏した。だが、国は“信”の行方を問われる。聖女・天川ひなた。神官マール。双方に問う。“正義”はどちらにある」
ざわめきが走る。私は一歩進み、深く息を吸った。
「じゃ、先に言うね――“痛みを見る側”に、正義がある。以上」
「短い!」
ゆうりが小声で突っ込む。
「じゃあ長いのもやる」
私は続けた。
「要求は七つ」
――――――
一、器にされた子どもたちの即時解放と保護。
二、祈りの徴税(十分の一税)の即時停止。
三、神殿資産を“市民療院”と公教育に転用。
四、癒しの独占の廃止。誰でも学べる“癒し学校”の開設。
五、神殿の犯罪調査のための独立委員会設置。
六、被害者追悼と記録館の建設。
七、“神の名による政治”の停止――つまり、国家と神殿の分離
――――――
玉座の間がどよめく。貴族の何人かは顔色を変え、職人や民代表の眼が光る。
私は肩の力を抜いて笑った。
「難しいかもね。でも、やる。だって“生きてていい”を国のルールにするだけだから」
王は黙っていた。視線が強い。たぶん試している。
そこで、王の手が軽く動き、反対側――マールが前へ押し出された。
マール神官は、ふてぶてしい笑みを崩さない。
「聞き飽きた綺麗事だ。人は導きを求める。私が与えた。秩序と祈りを。塔が崩れようと、“信”は残る。――王よ、騙されるな。『民意』など風のようなものだ」
レオニール王子が一歩踏み出す。
「それでも風が向きを変えた時、帆を張り直すのが統治だ」
「ぬるい」
マールは嘲る。
「――見せてやろう。“信の残滓”を」
マールの囁きに呼応し、傍聴席の一角で数人の貴族が痙攣した。袖口に隠した祈祷針。皮膚の下から黒い糸がにじみ、瞳が空虚に濡れる。残留儀式――!
「来る!」
ゆうりが跳ぶ。護衛が動く。が、黒糸は観客席へ拡がり、玉座の間に“幻の講壇”を立ち上げる。甘い声が空気を撫で――人の内側の、依存と不安を舐めた。
「――ひざまずけ。救われたいだろう?」
瞬間、私は床を殴った。
拳から“魂癒し”の波が広がる。床石の目地を伝い、人の足の裏から“痛みの所在”だけを静かに呼び覚ます。
頼りたさじゃない。立ち上がりたい理由の方を。
「立て。自分の足で」
バリ、と空気が割れる音。黒糸が剥がれ、貴族たちががくりと膝をついた。
私の横でラグナが指を弾き、糸の根を燃やし、ゆうりが器用に祈祷針を叩き落とす。
マールの口元から笑みが消えた。
「貴様……!」
「三回目だよね、マール」
私は歩み寄る。
「一回目、戦場。二回目、広場――三回目は玉座の前。場所はグレードアップしたけど、やることは同じ」
「神の名において――」
「神の名で人を支配するの、もう古いよ」
拳が鳴った。
ドゴッ。マールの身体が横倒しに転がり、歯が床に跳ねた。
「三度も私に殴られるなんて、ほんとついてないね。改心のチャンス、三回もあったのに」
静寂――次いで、拍手が一つ、二つ。
やがて渦になって玉座の間を満たした。
***
王は手を上げ、静けさを戻す。
しばし、皆を見渡し、言葉を選んだ声で告げた。
「布告する」
――――――
一、神殿の独占権を剥奪、宗務財産を凍結。
二、《聖塔》跡地に“市民広場”を設け、癒し学校と療院を併設。
三、子どもを器とする行為を禁じ、違反は国家反逆罪とする。
四、独立調査委員会を設置し、神殿犯罪を洗い出す。委員長は市民から選出。
五、暫定として“民政・癒し庁”を立ち上げ、天川ひなたを実務指揮官に任ず。監査に勇者・神崎ゆうり、外交連絡に魔王ラグナ。
――――――
「……異例だが、今は異例を要する」
玉座の間が沸いた。
私は小さく息を吐く――進んだ。殴っただけじゃない、掴んだ。
「ただし」
王の眼が細くなる。
「天川ひなた。問う。そなたは王権を覆すつもりはあるか?」
真正面から来た。
私は肩をすくめ、少し笑った。
「椅子を殴るために来たわけじゃない。座ってる人が“痛みを見ない”なら、代わりに見せる。それでもダメなら、そのときは――椅子ごと片づける」
王の眉が僅かに上がり、やがて苦笑の気配が口元に滲む。
「脅しと約束を一息で言う女だ――良い。共に進もう」
レオニール王子が前へ出る。
「私が“調査委”の連絡役をする……父上、国の形を変えるなら、若い手も要る」
「任せた」
***
評議は昼を跨ぎ、夕刻まで続いた。
被害者の証言、癒し学校の構想、税の付け替え、交易路の再設計――“殴る聖女”のくせに、しゃべり倒して、決め倒した。
途中、聖騎士グレイが現れ、玉座の前で膝をついた。
「陛下。私は聖女の“行動”に賛同いたします。剣は守るためにある。ならば、剣はこの“変化”を守るべきです」
王は静かに頷き、剣の柄に触れた。――王国の矛は、今、向きを変えた。
***
夜、外に出ると、王都の空は満天の星だった。
広場では人々が自発的に掃除を始め、崩れた石を積み直し、子どもたちがチョークで地面に絵を描く。
エリスはその真ん中で、太陽が塔を“ぽかん”と殴る絵を描いていた。
「上手」
「えへへ。ひなたお姉ちゃんの、必殺“ぽかん”」
「必殺技名が平和」
笑っていたら、後ろから王子が来た。レオニールは絵を眺めて、少しだけ真面目な顔で言う。
「……彼らは見ている。明日の朝も、明後日の朝も。だから、逃げない政治をしないと」
「うん。逃げない拳で殴るから」
「そこは言い方……」
横からゆうり。ラグナは珍しく微笑んでいた。
「殴るかどうかはともかく、進むのは確かだ」
私は空を見上げ、掌を開く。
女神は、今日も返事をくれない。けど、それでいい。
祈りは“誰かの声”を奪うためじゃない。“誰かの声”を聞くためにある。そう決めたから。
「明日から、本格始動ね」
「うん。“癒し庁”、朝礼から殴り込み」
「朝礼を殴り込みって言うのやめな?」
「……努力する」
***
部屋に戻ると、エリスが私の外套を掴んだ。
「ひなたお姉ちゃん……ありがと」
「うん。こちらこそ」
「わたしもね、いつか“ぽかん”できるようになりたい」
「じゃあ、殴り方じゃなくて――見方から教えるね」
「見方?」
「人の“痛い”を見る目。できるだけ優しく、でも逃げない目」
エリスが頷き、布団にもぐる。
私は灯りを落とし、静かな部屋に座る。拳を開く。掌の真ん中に、今日の温度が残っている。
殴って、癒して、変える。
“聖女の明日”は、ここからが本番だ。




