第28話:聖塔突入――扉は拳と祈りで開く(後編)
聖核室――《神の声を媒介する器》と言われる部屋は、思ったより粗末だった。広く白い円形の空間に、中央だけが禍々しく黒ずんでいる。そこに、あの砕いた偽神の“灰”が薄い膜となって貼り付いていた。
そして、その前に。
「ようこそ。我が《聖塔》へ――“ぶん殴る聖女”」
マール神官がいた。白衣は血と煤で汚れ、腕には包帯。けれど目はぎらぎらと光っている。私の拳を二度食らった男の目じゃない。もっと悪い。確信犯の目だ。
「逃げたって聞いたけど、まだここにしがみついてたんだ」
「私は逃げてなどいない。“神意の正統”を護っているのだ」
「どの口が」
マールはゆっくり杖を掲げ、聖核に突き立てた。灰がざわめく。嫌な唸りが耳の奥をこする。
「貴様が砕いた偶像は“器”に過ぎん。祈りは消えぬ。信仰は残滓を育てる。民の不安、恐怖、依存――それがあれば、いくらでも“神”は戻ってくる」
床から黒い糸が無数に伸び、私の足首へ絡みつこうとする。
私は踏み込んだ。癒しの熱で糸を焼き切る。
「戻してどうすんの? また子どもをはめ込むの? また“神の名”で人を黙らせるの?」
「秩序だ。救済の形だ。人は導きを求める。ならば私が――」
「うるさい」
距離を詰める。マールの護符が爆ぜ、視界が白く染まる。瞬間、重力がひっくり返り、床が天井になった。体が跳ね上がる――
「このっ!」
天井に手を叩きつけ、逆回転。足で衝撃を逃がし、着地。頭が少し痺れる。ラグナが反対側で結界を切り裂き、ゆうりが疾走、杖を叩き落としに行く――
マールは笑った。
「来ると思っていたよ、勇者殿」
床の紋が反転、縁取りが赤く光る。ゆうりの足が一瞬沈んだ。束縛陣!
「っ……!」
私は反射で拳を床に叩き込み、陣の“縫い目”を破る。ゆうりが自由を取り戻し、滑るように後退。
「連携、上出来」
「ありがと。じゃ、行くよ」
偽神の灰が集まり、黒い腕が生えた。偽神の劣化コピー。でも、数が多い。一本一本の力は軽いが、触れれば精神に刺が残るタイプ。
「あたし、外周で払う。中心頼む」
ゆうりが盾の角度で腕を逸らし、ラグナが短詠唱で炎輪を展開。私は真っ直ぐ、マールへ。
「ねえ、マール。二回殴られて懲りないなら――三回目、受ける?」
「その程度の拳なぞ、私は神に選ばれし――」
「違う。あんた、自分に選ばれただけ」
踏み込み、心臓を横薙ぎに狙う。拳が空気を裂く。マールは杖の残片で防ぐ――ふりをして、聖核側へ半歩退いた。逃がさない。
伸ばした左手に、冷たい何かが触れた。灰の腕だ。感情の残滓が爪の間から滲み、手首に絡み、記憶を覗こうとする。
“恐れろ”“ひざまずけ”“救われたいだろう”――
「うん、救われたい人はここにいる」
自分を指差す。
「だから私が、私を救う。で、あんたを殴る」
右拳、最短距離。マールの顎へ――届く前に、床が裂け、黒い槍が噴き出した。回避。頬に浅い切創。血の匂いが広がる。
「ひなた!」
「平気!」
血を拭う。熱が走る。心拍が上がり、視界のコントラストが増す――怒り、じゃない。輪郭のはっきりした“決心”だ。
「“神”は、誰かの痛みを踏み台にするなら、全部偽物。私が正しい神を知ってるわけじゃない。でも、偽物は、殴れば粉になる」
拳に光が満ちる。女神が夢で置いていった“魂癒しの力”が、芯まで灯る。殴れば砕けるんじゃない。届けば、変わる。
「――殴るの、許可する」
自分に言って、踏み込む。
マールの周囲が黒い花弁のように閉じ、私を包み込もうとする。閉じる前に、中心を貫く。拳が胸骨に当たる直前、私はほんの少し“力の向き”を変えた。骨じゃない。その後ろにあるもの。
「目、覚ませ」
ドン、と内側に向けて押す。衝撃は肉体を通り抜け、彼の背に貼り付いた“自己正当化の殻”を割る。ひび。軋み。短い沈黙。
「――っ、あ……」
マールの目が揺れた。黒い灰がばさりと剥がれ落ちる。隙だ。ゆうりの柄打ちが手首を弾き、ラグナの封呪が足元を縫う。
「拘束、完了」
ラグナが冷たく言い捨てる。私は息を整え、聖核を振り返った。
灰膜は、まだそこにある。薄くなったが、消えてはいない。祈りの残滓はしぶとい――そして。
「……エリスの、匂いがする」
胸がきゅっと縮む。偽神の“器”にされたときの痕だ。あの子の祈りの断片が、まだ核に引っかかってる。
「触るな、聖女。そこは――」
「うるさい。もう終わらせる」
私は聖核に手を置いた。冷たく、ざらつき、そして泣いている。
「もう、休んでいいよ」
指を組む。祈りを編み直す。献身でも、服従でもない。頼り頼られる双方向の綱。そこに“明日も生きたい”という小さな声を結ぶ。
ひゅう、と風が通る。灰がほどけて舞い、核の黒が白へ戻る。塔の心音が、やっと正常に落ち着いた。
「……これで、《聖塔》の“神の声”は止まった。もう誰も、ここに祈っても、支配されない」
振り返る。マールは縛に伏してこちらを睨む。
「お前は……何者だ……」
「ただの人間。癒して、殴って、また癒す人間」
その時――床下から鈍い振動。塔が低く唸った。
ラグナが目を細める。
「自壊の仕込みか。撤退を急げ! 子どもたちを連れて先に!」
「ひなたは?」
「締めの片付け。すぐ追う」
ゆうりがうなずき、子どもたちを守って走る。ラグナはマールを引きずり、私に一瞥。
「死ぬなよ」
「死なない。私、聖女だから」
皮肉を飛ばし、最後にもう一度、聖核へ掌を当てた。
「ねえ、女神。見てた? 私は今日も、人間やってるよ」
返事はない。ただ、塔の重さが一枚分軽くなった気がした。
***
外に飛び出すと、東の空が白み始めていた。夜がほどける。風が冷たい。
「ひなた!」
ゆうりが手を振る。子どもたちは毛布に包まれ、エリスがその中から顔をのぞかせた。
私は駆け寄り、エリスの頬に触れる。
「痛くない?」
「……うん」
微笑む。少し安心したその瞬間――背後の塔で、爆ぜる音。
《聖塔》の上層が、ゆっくりと崩れ始めた。祈りの重しが落ち、虚飾が剥がれ、ただの“建築物”に戻っていく。
私は空を見上げ、肩で息をしながら、拳を軽く掲げた。
「一枚、終わり。次は――王だね」
王は民を見る。神殿は沈む。街は目を覚ます。
“次の一撃”は、国そのものへ。
拳を握り直し、私はみんなに向き直った。
「行こう。朝ごはん、食べてから」
「そこは譲らないんだ……」
ゆうりが笑い、エリスがくすっと小さく笑った。ラグナは無言で頷き、捕縛されたマールは、まだ現実を飲み込めずにいた。
王都の朝が始まる。
私たちの“明日”も、ここから始まる。




