エピローグ:明日の殴り方
夜明け前の王都は、まだひんやりしていた。
《聖塔》の跡地――いまは更地になった大きな穴の縁に、私はスコップを突き立てる。
「では、一発目いくよー。“市民広場”の起工式、開始!」
掛け声と同時に、みんなが笑う。儀式用の金槌も、立派な祝詞もなし。ここでは、最初の一掬いの土が“祈り”だ。
ゆうりが隣で肩を回す。
「筋肉痛不可避」
「癒せばノーカン」
「そういう問題じゃない」
ラグナは軽く手を挙げ、魔族代表団と石材ギルドの親方たちを引き合わせていた。
「この梁は魔王領の灰石で作る。燃えにくく、湿気にも強い」
「助かる。塔より“人”が長持ちする広場にしよう」
エリスは小さな軍手でもそもそ手伝いをしている。スコップは重いから、チョーク係だ。地面に大きな丸を書いて、真ん中に太陽、周りに“笑ってる顔”。
「ひなたお姉ちゃん、ここが“癒し学校”になるところだよ」
「うん。ここから“見方”を教える。痛みを探す目。勝手に諦めない目」
私は拳をぎゅっと握って、掌を開いた。殴る手と、撫でる手は、根っこが同じだ。
***
午前――王宮の小会議室。
分厚い羊皮紙に、王の印璽が押される。
《神殿財産凍結令》《祈祷税停止令》《児童器化の厳罰法》《独立調査委設置令》――七つの布告が正式に法になる。
「異例続きだな」
レオニス三世が苦く笑う。
「でも、やる。逃げない政治を」
レオニール王子が応じる。
私は短く礼をして、言う。
「約束通り、全部“見える位置”に置きます。癒し庁の会議も帳簿も、広場に張り出す」
「炎上したら?」
ゆうりが訊ねる。
「消火器=私」
「物理でいくな」
聖騎士グレイが進み出る。
「治安部隊は“守るため”だけに動く。抗議の盾にはなるが、口は出さない。誓う」
ね、やればできる。
***
昼――《市民療院》の仮棟。
元神官、スラムの草医、魔族の薬師が一つの調剤台を囲む。
「分量は?」
「それ、子ども用」
「こちらは祈祷抜きで効くやつ」
棚の一段に、私が殴って割った“祈祷針”が並ぶ。ラベルには大きく“使用禁止”。展示して笑い飛ばすための博物資料だ。
診察待ちの列に、昔見た顔があった。
手を差し出すと、彼は恐縮して言う。
「あの、聖女様……俺、神殿で世話になった方の……」
「知ってる。あなたも“被害者側”だよ。痛いものは痛いでいい。だから――ほら、座って」
光を流すと、男は鼻の奥を震わせて泣いた。涙は、毒じゃない。出し惜しみしないで。
***
午後――《独立調査委》。
長机の端に“被害者席”があり、真ん中に“市民監査”。壁に“記録係”。
扉が開き、護送されたマール神官が入る。枷は簡素だが堅牢。彼は痩せ、けれど目だけはまだ燃えていた。
「問う」
委員の老人が穏やかに言う。
「あなたは、なぜ“神”にすがった」
マールはしばらく黙り、やがて絞り出した。
「……空っぽのところに座ってみたかった。誰も反論できない座に」
私は、立たない。代わりに、メモに一行書いて掲げる。
《空っぽは、空っぽのままでいい。埋めるために他人を使うな》
マールは私を一瞥し、目を伏せた。
判決は急がない。時間をかけて、証言と記録を積む。裁きは“見える場”で、ゆっくりやる。殴って済ませない。それが今の私の“殴り方”。
***
夕方――《聖塔跡・市民広場》。
瓦礫を積み直した低い壇の上、子どもたちが“第一回・みんなの卒塔婆”ならぬ“卒塔”式。
折れた柱に、色とりどりの布が結ばれている。布にはそれぞれ、短い言葉。
「痛かった」「見ていた」「もう見てる」「生きる」「明日の約束」
エリスは“もう神の言葉は言わないよ”と書いて、柱に結んだ。隣に私は“見張ってる。ずっと”と書いて結びつける。
風がふわりと吹いて、布が踊った。
これは祈りじゃない。目印だ。帰ってくる場所の、色。
***
夜――屋根の上。
私は屋根瓦に座って、星を見た。
女神は今日も、何も言わない。いいよ、それで。
「静かだね」
ゆうりが隣に座る。
「静か……怖い?」
「ちょっと。大きいものを動かすのは、いつだって怖い。でも、怖さの上に立ってる方が、足裏の感覚がはっきりする」
遠く、工区から笑い声。夜食の匂い。鎮まった鐘。
「殴る順番、決めた?」
「だいたい」
私は指を折る。
「一、予算の付け替え。二、癒し学校の教員確保。三、居場所のない子の寮。四、弔いの記録館。五、近隣の国との医療協定」
「六は?」
「寝る」
「大事」
ラグナがひょいと上がってくる。月明かりに角がひとすじ光る。
「北境の町から手紙だ。疫痢が出ている。魔王領の診療隊と合同で行けるか?」
「行く」
即答。
「王都は?」
ゆうりが眉を上げる。
「残る。“仕組み”はもう回り始めた。私が全部を抱えなくていい――私がいなくても回る形にする。それが本物」
私は立ち上がる。街の灯が近くなった気がした。
“聖女”は、塔に縛られない。世界は広い。痛みはそこら中にある。順番に、見に行く。
***
寝床に戻ると、エリスが机に向かって何か書いていた。
「なにそれ」
「“みかたノート”。ひなたお姉ちゃんに教わった“見方”、書いてるの」
小さな字で並ぶ。
『だれかが小さい声を出していたら、聞く』
『いばっている人の後ろに、こわいものがいないか見る』
『痛いって言えたら、それはつよい』
『やさしいの反対は、むししないこと』
私は鼻の奥が熱くなるのをごまかして、ペンを取り上げた。
最後の行に、そっと足した。
『ぶん殴るのは、あしたを残すため』
エリスがこくりと頷いた。
「おやすみ」
「おやすみ、ひなたお姉ちゃん」
灯りを落とす。暗闇は、もう昔みたいに怖くない。
殴って、癒して、笑って、眠る。
それを、日常って呼ぶ。
***
明け方、窓の外で小さな風鈴が鳴った。
ふと目を開ける――胸の真ん中が、あたたかい。
声はない。けれど、確かに届いた。
“あなたの怒りは、世界の痛みに正しく反応している”
“行きなさい。殴りなさい。癒しなさい”
私は布団の中で、握った拳を開いた。
朝になる。始業の鐘。広場の笑い声。焼きパンの匂い。
「じゃ――行ってきます」
聖女の仕事に、定時はない。
でも、出勤の挨拶くらいは、ちゃんと言う。
今日も、明日も。
私は、“明日の殴り方”を選び続ける。




