22話・さよならギルバード
コンコンッ。
思案するギルバードの耳にドアをノックする音が届いた。
「誰だ?」
「わたくしよ。メアリーよ」
やれやれとソファーの上に体を起こし、どうぞと声をかける。いま考えていた男の従姉であるメアリーが現れて自然と口角があがる。彼女は赤茶の髪に宝石のルビーのような赤い瞳の持ち主で、オックスと実の姉弟のようによく似ていた。
「やあ。メアリー。どうしたのかな?」
「つれない人ね。カナリー伯爵邸での夜会では情熱的な一夜を過ごしたというのに」
「そうかい? あの晩のことはなぜかよく覚えてなくてね」
「忘れてしまったの? 何度もわたくしの名を呼んでくれたというのに?」
そう言いながら彼女はギルバードの隣に腰掛けてきた。彼女のまとう薔薇の香りが周囲を満たす。その香りにあの晩のことが頭の中でちらついた。
「駄目だよ。メアリー。僕には……」
言葉の続きを紡ごうとした唇を、彼女の長い人差し指が押さえていた。その先は言わないで。と、乞うように顔を寄せてくる。
「その先の言葉を、あなたの口から聞く気にならないわ」
「きみは僕に執着なんてしないだろう?」
「そんなこともないわよ」
メアリーは自分の指にはめた黒薔薇の表面をなぞる。黒薔薇の指輪は、黒曜石で出来ているようで、彼女はそれを愛おしそうに撫でて唇に当てた。そして魅惑的にほほ笑んだ。
「わたくしならあなたを解放してあげられる」
「メアリー、き……!」
メアリーは、唇をギルバードのものと触れ合わせた。メアリーの舌が口内に入り込んで来たと思ったら喉奥に何か押し込まれていた。思わず嚥下してしまったギルバードはメアリーの体を押し離した。
「何を飲ませた?」
「あなたが楽になるお薬を」
数秒までの甘い雰囲気などそこにはなかった。相手を鋭くギルバードは見据えたが、すぐに視界が揺らいできた。
「ギルバード。あなたは目障りだわ」
「め。メアリー……」
メアリーはソファーから立ち上がった。自分の意識を得体の知れないものが抑え込もうとしている。それに抗うように伸ばした手は空を掴んだ。
「お休みなさい。ギルバード。これでお別れね」
「め……!」
ドアから出て行く女の背を見送る事しか出来なかったギルバードが、最後に脳裏に描いたのは銀髪に青い目をした美しい許婚が泣きそうになってる姿だった。




