第四章 私の名前を呼ぶ人
大きなライブの日。
夏鈴は、舞台袖から新しいコンセプト曲を見ていた。
クラシカルで、上品で、優雅で。
少し前まで、自分も仮の立ち位置に入っていた曲。
スタッフに「似合う」と言われた。
メンバーにも「夏鈴っぽい」と言われた。
自分でも、そう思っていた。
それでも。
本番のステージに、自分はいない。
衣装が照明を受けて揺れる。
指先まで意識された振付。
歓声。
綺麗だった。
本当に。
「……やっぱり、いいな」
夏鈴が小さく呟く。
「見てるの?」
隣から声がした。
紡だった。
「うん」
「つらくない?」
「ちょっと」
「じゃあ見なきゃいいのに」
夏鈴は少し笑う。
「でも、見たい」
「どっちなの」
「どっちも」
入りたかった。
今だって、そこに立ちたかったと思っている。
でも。
だからといって、選ばれたメンバーのステージを嫌いになるわけじゃない。
悔しい。
羨ましい。
綺麗。
好き。
全部、一緒にある。
「面倒くさいね」
紡が言った。
「誰が?」
「夏鈴」
「紡にだけは言われたくない」
「それはそう」
二人で笑った。
曲が終わる。
大きな歓声。
袖へ戻ってくるメンバーたちを、夏鈴は迎える。
「お疲れさま」
笑顔は、ちゃんと本物だった。
悔しいからといって、誰かの輝きを嫌いになるわけじゃない。
選ばれたみんなが素敵だったことと。
自分もそこに立ちたかったこと。
どちらも、本当だった。
◇
「次、全体曲! スタンバイお願いします!」
スタッフの声が飛ぶ。
夏鈴は立ち上がった。
衣装の裾を軽く整える。
背筋を伸ばす。
「夏鈴」
楓花が手招きした。
「行こ」
「うん」
16人が舞台袖に並ぶ。
センターには恋。
その周りに、それぞれの場所を持った15人。
夏鈴も、自分の立ち位置を確認する。
センターじゃない。
フロントでもない。
特別に目立つ場所でもない。
でも。
何度も立ってきた場所だった。
イントロが鳴る。
16人が一斉に光の中へ飛び出した。
眩しい。
客席いっぱいにペンライトが揺れている。
歓声が重なる。
いつもの景色。
――のはずだった。
「こすずー!」
一瞬。
夏鈴の足が、少しだけ軽くなった。
振りは止めない。
視線も外さない。
でも、確かに聞こえた。
「夏鈴ちゃーん!」
今度は別の方向。
夏鈴は反射的にそちらを見る。
ペンライトが揺れていた。
自分に向かって。
かりん、じゃない。
ローザでもない。
ちゃんと。
こすず。
桃澄夏鈴。
夏鈴は笑った。
いつもより少しだけ大きく手を振る。
その瞬間。
胸の奥にずっとあった何かが、少しだけほどけた。
選抜発表では。
呼ばれない。
コンセプト発表でも。
呼ばれない。
でも。
ここでは。
誰かが、自分の名前を呼んでいる。
ずっと。
自分が、その声をちゃんと受け取れていなかっただけなのかもしれない。
◇
曲は続く。
フォーメーションが変わる。
夏鈴の視界に、メンバーたちが入ってくる。
恋。
中央で、まっすぐ前を見ている。
莉歌。
一声で空気を変える。
莉緒。
身体が動くたび、自然に目を奪われる。
真姫。
ほんの少し手を動かすだけで、その場所の空気が変わる。
みんな違う。
光り方も。
届き方も。
誰一人、同じじゃない。
じゃあ。
私は?
以前なら、その問いだけで苦しくなった。
歌。
ダンス。
センター。
何か一つ。
分かりやすい言葉を、自分にもつけたかった。
でも。
真姫の代役をした日。
完璧にはできなかった。
それでも、自分なりに届けた。
急な変更があれば、何度も別の場所へ入った。
振りを覚えて。
位置を合わせて。
求められた場所で、ステージを止めなかった。
誰かの代わりだったとしても。
そこに立っていたのは、いつも自分だった。
「こすずー!」
また聞こえる。
夏鈴は、迷わずその方向を見る。
胸を張って。
笑った。
自分の光は。
一番強くないかもしれない。
一番分かりやすくないかもしれない。
でも。
ないわけじゃない。
ちゃんと。
ここにある。
◇
ライブが終わり、楽屋へ戻る。
扉を開けた瞬間。
「こすずー!」
紡が真正面から叫んだ。
夏鈴は足を止める。
「……なに、その客席の真似」
「めっちゃ呼ばれてたじゃん」
「聞こえてた?」
「聞こえるでしょ、あれは」
楓花もタオルを首にかけたまま笑う。
「私も聞こえたよ」
「え、そんなに?」
「そんなに」
「ちょっと恥ずかしいんだけど」
「なんでよ」
そこへ莉歌も戻ってきた。
「何の話?」
紡が即答する。
「夏鈴が人気者だった話」
「盛らないで」
「でも名前呼ばれてたよね」
「莉歌しゃんまで聞こえてたの?」
「聞こえてた」
「……もうやだ」
夏鈴が両手で顔を覆う。
紡が覗き込む。
「しかも、ちゃんと“こすず”だった」
夏鈴はすぐに顔を上げた。
「そこ?」
「大事じゃん」
「まあ……大事だけど」
「嬉しかった?」
「ちょっと」
「ちょっと?」
楓花まで聞いてくる。
夏鈴は少し視線を逸らした。
「……かなり」
「素直」
「今日は素直でいいの」
そのとき。
「何盛り上がってるの?」
真姫が楽屋へ戻ってきた。
紡がすぐ答える。
「夏鈴が名前呼ばれて喜んでる」
「だから言わなくていいって」
真姫は夏鈴を見る。
「聞こえてたよ」
「真姫しゃんまで?」
「うん」
夏鈴は少しだけ期待するように、真姫を見た。
「……で?」
「で?」
「何かないの?」
「何かって?」
「感想」
真姫は少しだけ考える。
そして。
「前より、ちゃんと夏鈴だった」
夏鈴の表情が止まる。
あの日。
――比べられても、夏鈴が消えないこと。
真姫が言った言葉を思い出す。
「……それだけ?」
「うん」
「もっと褒めてもいいんだよ?」
「褒めたけど」
「短い」
横から紡が入る。
「真姫ちゃん、採点厳しめ」
「採点してない」
莉歌が笑った。
「でも分かる。今日、ちゃんと夏鈴だった」
「莉歌しゃんまで同じこと言うの?」
「嫌なの?」
夏鈴は少しだけ黙る。
それから。
「……嫌じゃない」
「じゃあ喜べばいいじゃん」
「紡は黙ってて」
「なんで!」
笑い声が広がる。
夏鈴も。
その真ん中で、ちゃんと笑った。
◇
帰り道。
夜風が、火照った頬に気持ちよかった。
夏鈴はスマートフォンを開く。
『こすずちゃん、今日すごくよかった』
『全体曲で夏鈴ちゃんに目がいった』
『笑顔かわいかった』
『所作やっぱり綺麗』
ひとつずつ読む。
今は。
素直に嬉しかった。
前なら。
「でも選抜じゃないし」
そうやって、自分で打ち消していたかもしれない。
でも今日は。
嬉しいものは、嬉しい。
それでいいと思えた。
スマートフォンを閉じる。
それでも。
胸の奥には、まだ消えていないものがある。
選抜に入りたい。
コンセプトにも入りたい。
誰かの代わりじゃなく。
最初から。
「桃澄夏鈴がいい」
そう言われたい。
その気持ちは。
今日のライブで消えなかった。
むしろ。
少しだけ強くなった。
だって。
自分にも、ちゃんと光がある。
そう思えたから。
だったら。
もっと前へ行きたい。
もっと見つけてほしい。
もっと、自分の名前を呼んでほしい。
夏鈴は夜空を見上げる。
「……まだ、終われないな」
小さく笑った。
◇
その夜。
家に帰って、髪をほどいた頃。
テーブルの上のスマートフォンが震えた。
スタッフからの連絡だった。
夏鈴は何気なく画面を開く。
『次作について、近日中にメンバー発表を行います』
指が止まった。
また。
あの時間が来る。
一人ずつ。
名前が呼ばれていく時間。
前なら。
期待しないようにしていた。
最初から諦めたふりをして。
呼ばれなかったときに、少しでも傷つかないように。
でも。
夏鈴は画面を閉じなかった。
「……そっか」
胸が少しだけ高鳴る。
怖い。
また呼ばれないかもしれない。
呼ばれなかったら、きっと悔しい。
それでも。
期待してみたいと思った。
選ばれたいって。
もう隠さなくてもいいと思った。
夏鈴はベッドに腰を下ろす。
もう一度、画面を見る。
そして。
ほんの少しだけ笑った。
「今度こそ、って思ってもいいよね」
答える人はいない。
それでも。
夏鈴はスマートフォンを胸元に抱いた。
次に名前が呼ばれるとき。
そこに自分の名前があるかどうかは。
まだ分からない。
それでも今度は。
ちゃんと待ってみようと思った。
期待したまま。
逃げないで。
自分の名前が。
呼ばれるかもしれない、その瞬間を。
ーー完




