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第二章 真姫ちゃんには、なれない

翌日の通しリハーサル。


夏鈴は、蒼井真姫の立ち位置に立っていた。


「じゃあ、頭からいきます」


音が流れる。


一歩。


二歩。


ターン。


目線。


昨日、何度も見た真姫の映像を思い出す。


ここで少し顔を伏せる。


ここで右手を残す。


ここで一拍だけ遅れて振り返る。


夏鈴は、その全部を丁寧になぞった。


曲が終わる。


振付の先生が腕を組んだ。


「うん。位置は問題ない」


「はい」


「ただ」


夏鈴が顔を上げる。


「真姫の真似をしすぎてるかも」


胸の奥が、少しだけ詰まった。


「悪くないよ。むしろ、かなり見てるのは分かる。でも」


少し間があった。


「夏鈴が消えてる」


その言葉が残った。


夏鈴が、消えてる。


「もう一回やってみます」


音が流れる。


今度は少しだけ、自分らしく。


そう思った。


でも。


どこまでが自分らしいのか分からない。


腕の角度を変える。


目線を少し上げる。


それでも気づけば、また真姫の動きに寄っていく。


「うーん」


先生の声。


夏鈴は唇を結んだ。


◇


休憩に入っても、夏鈴は鏡の前から動かなかった。


右手を上げる。


下ろす。


少し顎を引く。


振り返る。


「……違うな」


もう一度。


「やっぱり違う」


「何が?」


後ろから声がした。


夏鈴が振り返る。


「真姫しゃん?」


蒼井真姫が、ドアのところに立っていた。


「なんでいるの?」


「このあと仕事。ちょっと寄っただけ」


「わざわざ?」


「うん」


真姫はそれ以上説明せず、鏡越しに夏鈴を見る。


それから、床に置かれたスマートフォンへ目をやった。


「昨日も遅くまで残ってたでしょ」


夏鈴が少し驚く。


「見てたの?」


「見てないよ」


即答だった。


夏鈴がじっと見る。


真姫は少しだけ視線を逸らした。


「……でも、帰るとき、まだここの電気ついてたから」


夏鈴は小さく笑った。


「それ、見てるのとそんなに変わらなくない?」


「違うでしょ」


「そうかな」


真姫も、ほんの少し笑った。


夏鈴は鏡の方へ向き直る。


「全然うまくいかない」


「何が?」


「真姫しゃんみたいにできない」


「うん」


あまりにも普通に返されて、夏鈴は振り返った。


「そこは否定してよ」


「だって、できないでしょ」


「ひどい」


「私も夏鈴みたいにはできないし」


その言葉に、夏鈴は黙った。


真姫は鏡の前まで歩いてくる。


並ぶと、同じ振りでも立ち方が違う。


真姫はまっすぐで、静か。


夏鈴は柔らかくて、どこか温かい。


どちらも綺麗なのに。


同じではない。


「私の場所だから、私みたいにしなきゃって思ってる?」


「……うん」


「それなら、たぶん苦しくなるよ」


夏鈴は鏡越しに真姫を見る。


「じゃあ、どうしたらいいの?」


真姫はすぐに答えなかった。


少し考えるように、夏鈴を見る。


「それは、私が決めることじゃないよ」


「え」


「私だったらどうするかは言える」


真姫は軽く手を上げた。


指先まで綺麗だった。


「でも、夏鈴がどうするかまで私が決めたら、それってもう夏鈴じゃなくない?」


夏鈴は何も言えなかった。


真姫は続ける。


「代わりって、同じになることじゃないと思う」


その言葉だけが、静かに落ちた。


アドバイスというほど具体的じゃない。


何をどう直せばいいのかも教えてくれない。


でも。


夏鈴の中に妙に残った。


「でもさ」


夏鈴は少し視線を落とした。


「比べられるじゃん」


「うん」


「真姫しゃんの方がよかったって言われるかもしれないし」


「言う人はいると思う」


「やっぱり」


「でも、それは止められないから」


真姫は淡々としていた。


「大事なのは、比べられないことじゃなくて」


少し間。


「比べられても、夏鈴が消えないことじゃない?」


夏鈴は顔を上げた。


真姫は、それ以上は何も言わなかった。


少しして、スマートフォンを見る。


「そろそろ行かなきゃ」


「もう?」


「うん」


真姫はドアへ向かう。


「真姫しゃん」


「なに?」


「……ちゃんと見てたんだね」


真姫は少しだけ首を傾けた。


「何を?」


「私のこと」


「見てないよ」


「またそれ」


真姫は少し笑った。


そして、ドアを開ける前に一度だけ振り返る。


「でも、ちゃんと見てる人はいるよ」


「誰?」


「それも、私が言うことじゃない」


「ずるい」


「そう?」


真姫はそのまま出ていった。


夏鈴はしばらく、閉まったドアを見ていた。


◇


夏鈴はもう一度、鏡の前に立つ。


スマートフォンを手に取る。


真姫の映像を開く。


再生ボタンに指を置く。


でも。


押さなかった。


代わりって、同じになることじゃない。


比べられても、消えないこと。


その言葉を思い出す。


夏鈴は映像を閉じた。


代わりに、歌詞だけを表示する。


一行ずつ読む。


意味を考える。


自分だったら。


この言葉を、どう届けたいだろう。


真姫ならどうするかじゃない。


自分ならどうするか。


「……そっか」


小さく呟いた。


まだ答えは分からない。


でも。


探す方向だけは、少し変わった気がした。


◇


本番。


舞台袖で、夏鈴はゆっくり息を吐いた。


「緊張してる?」


楓花が聞く。


「ちょっと」


「珍しい」


「真姫しゃんの場所だよ」


「でも、立つのは夏鈴でしょ」


夏鈴は一瞬、楓花を見る。


昨日なら、少し引っかかったかもしれない。


今は違った。


「うん」


夏鈴は笑う。


「今日は、夏鈴でいく」


曲が始まる。


ライトがつく。


夏鈴は前へ出る。


最初の一歩。


昨日までなら、真姫の角度を思い出していた。


でも今日は違う。


歌詞を見る。


客席を見る。


自分の呼吸で、一拍置く。


柔らかく笑う。


指先を流す。


真姫より少し近い。


真姫より少し温かい。


夏鈴なりの優雅さ。


完璧じゃない。


一か所、移動が少し遅れた。


隣との距離が、一瞬だけ詰まった。


それでも。


最後まで、自分で立った。


ステージを降りた瞬間、夏鈴は大きく息を吐く。


「終わった……」


「よかったよ」


楓花がすぐに言う。


「ほんと?」


「うん」


そこへ紡も来る。


「真姫ちゃんじゃなかった」


夏鈴が固まる。


「紡」


楓花が睨む。


「いや、褒めてる」


「またそのパターン?」


紡はきょとんとする。


「だって、夏鈴だったし」


夏鈴は少し黙ってから、笑った。


「……ありがと」


◇


帰宅してから。


夏鈴は感想を少しだけ見た。


全部を見る勇気はない。


スクロール。


スクロール。


そこで、指が止まった。


『真姫ちゃんとは違ったけど、夏鈴ちゃんのあの表情、すごく好きだった』


最初に刺さったのは、


――真姫ちゃんとは違ったけど。


やっぱり、比べられる。


そう思った。


でも。


もう一度読む。


『夏鈴ちゃんのあの表情』


そこだけ、何度も見返す。


"夏鈴ちゃんの"


真姫しゃんの代わりじゃなく。


"夏鈴ちゃんの"


「……そっか」


声が漏れる。


比べられても。


消えなかった。


真姫の言葉を思い出す。


夏鈴はスマートフォンを胸元に置いた。


少しだけ、嬉しかった。


でも。


それで全部が解決したわけじゃない。


代役として認められた。


自分なりにできた。


その事実は、ちゃんと嬉しい。


だからこそ。


胸の奥に、もう一つの気持ちが残った。


いつか。


誰かの代わりじゃなく。


最初から。


桃澄夏鈴として。


名前を呼ばれる日は、来るのかな。


その問いだけは、まだ消えなかった。



ーー続く

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