第一章 選ばれないのに、任される
「夏鈴、ここお願いできる?」
レッスン中、振付の先生に呼ばれて、夏鈴はすぐに顔を上げた。
「はい、分かりました」
もともと自分の立ち位置ではない。
でも、誰かが別仕事で抜けたり、急きょフォーメーションが変わったりすると、夏鈴はよく呼ばれる。
「次、二列目の右から二番目。移動だけ気をつけて」
「はい」
音が流れる。
一歩。
二歩。
ターン。
止まる。
夏鈴は隣との距離を見ながら、自分の身体をすっと収めた。
余計な音を立てない。
止まるところでは、きちんと止まる。
腕を下ろす仕草ひとつにも、どこか品がある。
「うん、そこ。大丈夫」
先生の声に、夏鈴は小さく頷いた。
休憩に入ると、新宮楓花がすぐ近くまで来た。
「さすが。振り入れ早いね」
「慣れてるだけだよ」
「それがすごいんだけど」
楓花は笑う。
夏鈴も笑った。
でも。
その言葉が少しだけ胸に残った。
慣れている。
たしかに、そうだった。
誰かがいないとき。
急に位置が空いたとき。
「夏鈴、お願い」
そう言われることに。
「夏鈴なら大丈夫」
そう言われることに。
嬉しい。
ちゃんと信頼されている。
それは分かっている。
でも、ふと。
「……私って、便利だね」
口からこぼれた。
「え?」
楓花が聞き返す。
夏鈴はすぐに笑った。
「何でもない」
「いや、今なんか言ったでしょ」
そこへ一乃瀬紡が、ペットボトルを持ったまま割り込んできた。
「便利って言った」
「紡」
「え、聞こえたし」
楓花が少し眉をひそめる。
「夏鈴、それどういう意味?」
「そのままだよ。急に誰か抜けても、呼んでもらえるし」
紡は少し考えてから、あっさり言った。
「めちゃくちゃ便利じゃん」
「紡!」
「え、褒めてるんだけど」
「褒め方が雑すぎるの」
夏鈴は思わず吹き出した。
「ふふっ」
「ほら、笑った」
「紡のせい」
「結果オーライ」
楓花は呆れたように息を吐く。
そのやり取りで、少しだけ気持ちは軽くなった。
でも。
便利。
その言葉は、まだ残っていた。
本当に、それだけだったら。
少し寂しい。
◇
レッスンが終わっても、夏鈴は一人でスタジオに残っていた。
スマートフォンには、蒼井真姫が映っている。
次のライブ。
真姫が外仕事で不在になる。
その代わりに、夏鈴が真姫のポジションに入る。
夏鈴は動画を止めた。
そして、鏡の前に立つ。
腕の上げ方。
指先。
目線。
振り返るタイミング。
真姫の動きを思い出しながら、何度も繰り返す。
「……違うな」
もう一度。
「やっぱり違う」
夏鈴は自分の姿を見つめた。
所作には、自信があった。
昔からよく言われた。
姿勢が綺麗。
歩き方が上品。
ものを受け取るときの手の添え方まで、お嬢様みたい。
自分でも。
こういう世界観は、似合っている方だと思う。
だからこそ。
「……なんでなんだろ」
誰もいないスタジオで、声が落ちた。
真姫は、こういう曲に呼ばれる。
恋はセンターに立つ。
莉歌は歌で選ばれる。
莉緒はダンスで選ばれる。
じゃあ。
自分は?
「私って、何が足りないんだろ」
できないなら、まだ分かる。
苦手なら、伸ばせばいい。
でも。
呼ばれない理由が分からない。
それが一番苦しかった。
そのとき、ドアが開いた。
「まだいたの?」
白藤莉歌だった。
「あ、莉歌しゃん」
「忘れ物」
莉歌はソファの上に置かれていたイヤホンケースを取る。
それから、夏鈴のスマートフォンを見る。
「真姫しゃんの?」
「うん。明日のために」
「大変そう」
「まあね」
夏鈴は笑った。
そのまま少し迷ってから、口を開く。
「莉歌しゃんは、分かりやすくていいよね」
「何が?」
「歌」
莉歌の眉が、ほんの少し動いた。
「莉歌しゃんといえば歌って、誰でも分かるじゃん」
「……うん」
「莉緒ならダンス。恋ならセンター。真姫ちゃんなら、雰囲気とか所作とか」
夏鈴は鏡を見る。
「私は、何なんだろうね」
少し沈黙が落ちた。
莉歌はイヤホンケースを握ったまま、じっと夏鈴を見る。
「それ、私に言われるとちょっとムカつく」
夏鈴が振り返る。
「え」
「歌があるから悩まないみたいに聞こえた」
「あ……」
「怒ってるわけじゃないよ」
莉歌は少しだけ笑う。
「でも、武器が分かりやすいからって、全部うまくいくわけじゃないし」
夏鈴は何も言わなかった。
「あと、夏鈴がなんで選ばれないのかは、私には分かんない」
「うん」
「私、選ぶ人じゃないから」
その言い方は妙にまっすぐだった。
慰めるでもない。
無理に励ますでもない。
だから少しだけ楽だった。
「でもさ」
莉歌が続ける。
「真姫しゃんの代わりに夏鈴が入るって聞いて、別に不安じゃなかったよ」
「どういう意味?」
「夏鈴ならできるって思ったから」
夏鈴は目を伏せた。
また、その言葉。
夏鈴ならできる。
嬉しい。
嬉しいはずなのに。
「それってさ」
自分でも止められなかった。
「最初から選ぶほどじゃないけど、代わりなら大丈夫ってことなのかな」
莉歌は黙った。
夏鈴自身、言ってから少し後悔した。
「……ごめん。今の、ちょっと嫌な言い方だった」
「だから、分かんないって」
莉歌はすぐ返す。
「でも、代わりって誰でもできるの?」
夏鈴は答えられなかった。
「私だったら、急に真姫しゃんの場所入ってって言われたら普通に嫌だもん」
「莉歌しゃんは歌があるから」
「また言った」
「あ、ごめん」
二人で少し笑う。
莉歌はドアへ向かいながら、振り返った。
「明日、ちゃんと見るから」
「何を?」
「真姫しゃんじゃなくて、夏鈴を」
それだけ言って、莉歌は出ていった。
夏鈴は、しばらくその場に立っていた。
やがて、もう一度スマートフォンを見る。
画面の中の真姫は、やっぱり綺麗だった。
優雅で。
目を引いて。
自分とは違う。
夏鈴は再生ボタンに指を置く。
でも。
押さなかった。
代わりなら、呼ばれる。
最初からは、呼ばれない。
その違いが何なのか。
まだ、分からない。
ただ。
明日のステージに立つのは、蒼井真姫じゃない。
桃澄夏鈴だ。
そこだけは、間違えたくなかった。
ーー続く




