プロローグ こすずです
「では、次作の選抜メンバーを発表します」
その一言で、部屋の空気が少しだけ硬くなった。
桃澄夏鈴は、膝の上で指を重ねた。
背筋は伸びている。
肩の力も抜けている。
座っているだけなのに姿勢が綺麗だと、昔からよく言われた。
名前が一人ずつ呼ばれていくたび、夏鈴は拍手をした。
「おめでとう」
隣のメンバーにも。
向かいのメンバーにも。
ちゃんと笑う。
期待していない。
そう思っていた。
けれど、残りが二人になったとき。
胸の奥が、ほんの少しだけ速くなる。
もしかしたら。
今回こそ。
最後の名前が呼ばれる。
――違った。
「以上、今回の選抜メンバーです」
夏鈴は誰より先に拍手した。
「おめでとう」
声も震えなかった。
もう慣れている。
少なくとも、そう見えるくらいには。
発表が終わり、スタッフが資料を配っていく。
「あ、これ桃澄さんね」
紙を渡されながら、別のスタッフが名簿を見た。
「桃澄……夏鈴。かりんさん?」
夏鈴は一瞬だけ目を丸くして、それから微笑んだ。
「こすずです」
「あ、ごめん。こすずちゃんね」
「はい」
これも、よくあることだった。
夏鈴、と書いて、こすず。
初見ではほとんど読まれない。
昔の活動名だった“ローザ”の方が、ずっと覚えてもらいやすかった。
でも。
今は、この名前の方が好きだった。
だからこそ。
いつかちゃんと。
この名前で呼ばれたいと思っている。
◇
帰宅してしばらくすると、スマートフォンが震えた。
スタッフからだった。
『次回ライブですが、蒼井真姫が外仕事のため欠席になります』
続けて、もう一通。
『真姫ポジション、夏鈴にお願いしたいです。対応可能でしょうか?』
夏鈴は、しばらく画面を見つめた。
さっきまで。
選抜発表では、一度も呼ばれなかった名前。
なのに。
誰かがいなくなると、呼ばれる。
唇の端だけで、小さく笑った。
「……そっか」
嫌ではない。
むしろ任せてもらえることは嬉しい。
真姫のポジションなら、責任だって大きい。
ちゃんとやりたい。
でも。
胸の奥には、少しだけ別の気持ちが残った。
選ばれるときは、呼ばれない。
穴が空いたときは、呼ばれる。
夏鈴は画面を閉じかけて、もう一度開いた。
そして、丁寧に打ち込む。
『承知しました。対応可能です』
送信。
少しして既読がつく。
夏鈴は椅子から立ち上がり、鏡の前へ向かった。
真姫の立ち位置。
振付。
表情。
確認することは、たくさんある。
「大丈夫」
鏡の中の自分に、そう言ってみる。
きれいに笑えている。
そのことに、少しだけ安心して。
少しだけ、苦しくなった。
ーー続く




