武力としての力
武力としての力
紀元前3世紀頃に共闘による狩りが動き始め、北川辺をはじめ、ケヤキや権現堂は、大きな力を持つようになった。
湿地帯の多いこの地の狩りには、足元、脚半のように草を編んで布のように巻き、足元を固めた。
また、ケヤキの集落の男どもは、夜の獣のあり様を観察する。
獣の巣などの場所をしっかりと見つけ、その収穫にも大いに役立った。
田んぼは、年々、その数を増やしていった。
湿地帯だった場所が、時が過ぎ、紀元前1世紀辺になると、陸地が現れ、田んぼとしての体を大いに成すのであった。
そうなると、利根川や荒川の下流域に弥生化の進んだ集落ができ始めていた。
そうすると、水利や田んぼの作付けの他に、田を守る兵が登場し始める。
兵は、三殿台の集落からの支援が行われており、胸板を備える頑丈な兵であった。
最初に打つかったのは、権現堂であった。
権現堂でも微高地の下に浮き上がった陸地に田んぼが出来ていた。
騒ぎが起きたのは、夏が始まった暑くなった日で、下流の弥生化の集落から兵が何人か押し寄せてきたのだ。
権現堂では、広場で巫女や従者が竹弓の試写を試しているところだった。
田んぼで草取りをしていた集落の者が、広場に来て兵が押し寄せていたことを伝えた。
権現堂の巫女は、従者を連れて向かった。
「おい、何者じゃ。」
構わず兵たちは田んぼに入ろうとする。
「集落の者が大事に育ててるのじゃ、何をするか」
シュッ、
と、兵の足元に弓が刺さった。
兵の動きが止まった。
しかし、また前進してくる。
続けて、
シュッ
「ウォーッ、いて」
兵の肩に弓が当たった。
北川辺の大巫女と権現堂の巫女、ケヤキの巫女が話し合うことになった。
権現堂の巫女が北川辺やケヤキとの連合体の境として、境界を守ることなった。
しかし、北川辺の大巫女は、兵で奪いに来るものは、権現堂の巫女に抑えてもらうとして、普通に移住するものなら、抵抗する必要はないとした。
ケヤキの巫女も権現堂の巫女もそれには抵抗を示さなかった。
こうした人との争いが起きることがあり、武力の方向性が変化していった。
ケヤキの集落では、長瀞から採取した石を使って少し長めの木を使い、木の先に石刃を挟み込み石の部分と手元を草で巻いた剣のうな物を作って、皆に見せた。
まず賛成したのは権現堂の巫女だった。
「おお、これは、刀だな。我のところにも数本くれぬか」
おもむろに持ち上げ、片手で振り回し、具合を見た。
「なかなか使えると思う。」
基本は狩猟だが、対人武力としても、訓練が始まった。
弥生化の兵とは違う形だが、北川辺、権現堂、ケヤキでも対人の武力としての認識が始まっていた。
各集落では、夜間の見回りも始まった。
月が、静かに見守っている。




