伊勢の大巫女
伊勢の大巫女
伊勢の大巫女は、静かに沈黙を続けていた。
この伊勢の大巫女は、混血であった。
その昔、敦賀に上陸した渡来人が生活の安寧を望み、開いた土地を探し、琵琶湖を左手に見ながら下り奈良盆地に到着した。
この時、先代の伊勢の大巫女が大事に気が付き、櫛田川の川沿いを登り、国見山から降りて、奈良盆地に到着した。
この渡来人として上陸した為政者達は、高貴な王子を抱えていた。
大巫女は、この王子と結ばれるのであった。
そして、縄文の者共をこの為政者達に協力するように伝えた。
奈良盆地の豊かな土地に新たな植物、稲を栽培した。
この栽培には、協力者が必要で、それを縄文の者たちが支えることになったのであった。
また、彼らは水利を活用し、稲の田んぼの水を引いた。
そして鉄器の鎌で耕し、田んぼを広げた。
さらに、焼き物の焼く温度が高くなり、沸騰した焼き物に米粒を入れるとふっくらした新たな食として、皆の腹を膨らました。
また、祭祀を行うときに使う新たなものが与えられた。
2年、3年とときが経つと食糧事情が良くなり、集落としての形も出来てきた。
また、為政者と間に娘が生まれた。
娘は、米作りを学びながら大人になり、席が空いている伊勢に戻ることになった。
伊勢の大巫女が目を開ける。
日本列島では、九州や中国地方、北陸などに渡来人による米作が入り、縄文の民達との共生と言える弥生化が始まり、食糧事情が大きく代わり、新たなステージが始まっていた。
大巫女は、愛知や静岡に広がる米作がもたらす弥生化の動きを見つめていた。
また、伊勢は瀬戸内海を過ぎると行き着く、海の中継地点としても、繁栄していた。
しかし、大巫女には見えないところがあった。三浦半島を過ぎると、大きな平野が広がってる。
しかし弥生化は届いていない。
千葉や水戸には行くこともあり、大巫女にはそこに人が縄文の暮らしがあることは理解していた。
大巫女は、見えない関東の広さに不安があった。
こうして、紀元前6世紀頃の関東では、西からの大きな力を感じながら、縄文の暮らしを続けていた。
ケヤキのリーダーは、巫女達が、流れには逆らわないとの言葉に、つよい思いを抱いていた。
暮らしの変化に順応する。
この事こそが我らの暮らしを守るのだ。そう思うのであった。




