第8話 赤い光と、夜襲者
赤い光は、草原の向こうでゆっくりと消えた。
焚火の明かりが届かない闇の中。
灰狼の森の入口付近だけが、ほんの一瞬だけ赤く染まっていた。
護衛騎士たちの空気が変わる。
「敵襲か!」
「武器を抜け! 馬を守れ!」
野営地に緊張が走った。
だが、ソフィア・ストレイルはすぐには動かなかった。
剣を抜いたまま、赤い光が消えた方向を見つめている。
「ソフィア?」
ルナリスが呼ぶ。
「どうしたの。追わないの?」
「追いません。リスクが高いです」
ソフィアは即答した。
「敵が姿を見せたんです。こちらの人数が多いのに、です。つまり、相手は見つけてほしいと思っているはずです」
「囮、ってこと?」
「はい。わざわざ魔力を見せつけるような術式を使う理由がありません。あわよくば追ってきた我らを囲んで叩く。……合理的ですね」
ソフィアは周囲へ視線を走らせた。
焚火。馬車。天幕。護衛騎士。
そして、ルナリス。
一人で守りきるには、いささか守る対象が多すぎる。
(ルナリス様だけに絞るなら、話は変わるのでしょうがね)
今、ソフィアの中には冷徹なソフィアがいた。
護衛対象はルナリスだけだ。あとを切り捨てることが出来れば、ソフィアにとって考えることが少なくなる。
――それを、そのソフィア自身が許すのなら、の話だが。
「敵がこちらの対応を見るために光を使ったのなら、今頃は別の場所から私達の野営地を観察しているはずです」
「じゃあ、どうするの?」
「待ちます」
戦いにおいて、わざわざ不利な場所に出向く必要はない。こちらから手を出さなくて良いのなら、万全の状態で待つだけの話だ。
この判断が生死を分けることがあるのかもしれない。だが、ソフィアの腹は決まっていた。
「敵がこちらへ来るまで」
ルナリスがいる以上、こちらがリスクを冒す必要はない。
ソフィアはじれったくなる気持ちを、鋼の精神で抑え込む。
◆ ◆ ◆
焚火は一つだけ残された。
他の火は消され、野営地の周囲は深い闇に包まれている。
護衛騎士たちは配置につき、馬の周囲には簡易結界具が置かれた。
ソフィアはルナリスの横に立っている。
「本当に、ここにいていいの?」
ルナリスが小さく尋ねた。
「先ほど、私の近くから離れないでくださいと言いました」
「言ったわね」
「ありがとうございます。離れないでいてくれて」
「! べ、別に褒められることじゃないわよ! その代わり、ちゃんと守りなさいよね!」
「心得ています」
ソフィアは真顔で答えた。
ルナリスは少しだけ照れくさくなり、外套の襟を握る。
「……あんた、たまに変な褒め方するわね」
「褒め方に正解があるのですか?」
「あるわよ」
「む……教えてください」
「それは……そうね、今度、恋愛小説を読み直した時にでも教えてあげるわ」
「恋愛小説ですか、そうですね。楽しみにしています。あの犯罪と護衛の本質を多角的な角度から考察してる書物には興味を覚えました」
「言い方が悪すぎる」
その時だった。
ひゅん、と。
空気を裂く音。
「伏せてください」
ソフィアがルナリスの肩を掴み、地面へ伏せさせる。
直後。焚火のあった場所へ、赤い矢が突き刺さった。
ぼんっ、と。矢は着弾と同時に爆ぜ、赤い火花を撒き散らす。
「魔法矢!」
「西側です!」
護衛騎士たちが叫ぶ。
だが次の矢は来なかった。
代わりに、草原の闇から三人の影が現れる。
全員が黒い外套を羽織り、顔を覆っている。
手には短剣。杖。弓。
戦力としては、王城で襲ってきた刺客たちと似ていた。
「また人間の刺客?」
ルナリスが低く呟く。
「見た目は同じですから、その可能性は高そうです」
ソフィアは剣を構えた。
「今回も捕らえます。ただし、半殺しにはしますが」
黒外套の一人が、杖を掲げる。
赤い魔法陣。そこから放たれたのは、先日見たものと同じ黒炎だった。
「また偽物の黒炎ね」
ルナリスが言う。
「よく見抜けました」
「昨日、あんたが説明したでしょう。模倣が粗いって」
その瞬間。
ソフィアはほんの少しだけ、ルナリスを見た。
それは一瞬だった。
けれど、ルナリスには分かった。
今のソフィアは、少しだけ嬉しそうだった。
「段々と荒事に馴染んできましたね」
「全然嬉しくない褒め方!」
黒炎が迫る。
ソフィアは剣を振るった。その軌跡は銀の三日月となり、炎を切り裂く。
だが、黒炎の奥から二本目の矢が飛んだ。
一つはソフィアへ。
もう一つは、ルナリスへ。
「ルナリス様!」
ソフィアが動く。ルナリスへ向かった矢を、剣で弾く。
しかしその間に、もう一人の刺客が地面を蹴った。
短剣を持った刺客。狙いは馬だ。
「馬を狙ってる!」
ルナリスが叫ぶ。
同時にソフィアも指示を飛ばす。
「護衛騎士、馬を守ってください!」
だが刺客は速い。あっという間に護衛騎士の間を抜け、結界具へ短剣を突き立てようとしている。
結界具が壊れれば、馬は恐慌状態になる。
そうなれば、馬が暴れ出し、野営地は崩壊する。それだけ、護衛任務の難易度も跳ね上がる。
「させないわ!」
ルナリスは手をかざした。
「――『月影よ、彼の者にいじらしき引き留めを』」
赤い魔力が草原を走る。
刺客の足元へ魔力がまとわりついた。
「なっ!?」
刺客の動きが鈍る。足が、地面へ沈み込むように重くなる。
「今よ、ソフィア!」
「了解!」
白銀の閃光が走る。
ソフィアは短剣を持った刺客の腕を弾き、膝裏を蹴り抜いた。
体勢を崩した刺客の首筋へ、剣の柄を叩き込む。
「一人目」
刺客は地面へ崩れ落ちた。
「見事なものです、ルナリス様」
「ふん。今さら驚かないでよ」
「驚いてはいません。感心しています」
ルナリスの顔が少しだけ赤くなる。
「……後で、もう一回言いなさいよ」
「了解です。何度でも言います」
「素直に了解しないでよ!」
次の瞬間。
杖を持った刺客が地面へ魔法陣を描いた。赤い光が広がる。
「ソフィア!」
「分かっています!」
ソフィアが走る。
だが、ルナリスは違和感を覚えた。
あの術式。黒炎でもない。攻撃魔法でもない。
これはそう、もっと単純な……!
「待って!」
ルナリスが叫ぶ。
「その魔法陣、爆発じゃない! 転移術よ!」
ソフィアの足が止まる。
直後、杖の刺客の足元から赤い光が噴き上がった。
ルナリスの言う通り、逃げるつもりのようだ。
「逃がしません」
ソフィアが剣を投げた。
「えっ」
ルナリスが目を丸くする。
白銀の剣は、一直線に飛ぶ。
狙いは魔法陣の中央。なんとソフィアは、術者の持つ杖へ正確に投擲してみせたのだ。
ぱきん、と。杖と魔法陣が砕けた。
「な、何を……!」
杖の刺客が後ずさる。
「術式の核を破壊しました」
ソフィアは淡々と言った。
「逃げられません」
「信じられない! 剣を投げたの!?」
「えぇ、拾えば良いだけなので、咄嗟の飛び道具には便利です」
ソフィアは地面を蹴る。
武器を失っているはずなのに、彼女の勢いは変わらない。
杖の刺客の胸倉を掴み、そのまま地面へ叩きつけた。
「二人目」
杖の刺客も、気を失った。
残るは弓の刺客だけ。
弓を持つ男は、距離を取ったまま闇へ退こうとしていた。
「逃げるわよ!」
「逃がしません」
ソフィアは地面に刺さった剣へ手を伸ばす。
だが、その瞬間。
「ソフィア、止まって!」
ルナリスの声が飛んだ。
ソフィアは弓の刺客の足元を見た。そこには小さな赤い魔法陣が描かれている。
「そこ、術式がある! 近づいたら――」
魔法陣が赤く光る。
「……なるほど」
ソフィアは立ち止まった。
「罠ですか。ありがとうございます。発見が遅れていたら吹き飛ばされていましたね」
「私に感謝しなさいよね!」
弓の刺客が笑う。
「『さすが魔王の娘だ。気づくか』」
「その声」
ルナリスの表情が変わった。
人間には人間の言葉が、魔族には魔族の言葉がある。
敵が使う言葉はルナリスの耳に良く馴染んだ。何故ならばそれは、ルナリスたち魔族の扱う言語なのだから。
「……人間のくせに、魔族の言葉がお上手なのね」
刺客は少しだけ肩をすくめた。
「『魔族を殺すなら、魔族を知らなければならない』」
その言葉に。
ソフィアの目が、細くなる。
「それは、私の台詞です」
「というか、ソフィアも分かるの?」
「『もちろんです。それに、相手の言葉が南の魔族領の者の発音に似ていることも分かりますよ』」
すると刺客は舌打ちし、元の言葉に戻った。
「ちっ。人類最強が魔王の娘を守るなど。聖騎士様ってのも随分と暇なもんだな」
「護衛任務ですので」
「和平など、成立させるわけにはいかない」
刺客は弓を引いた。
矢は、ソフィアではなく。地面の魔法陣へ向けられていた。
「止め――」
矢が放たれる。魔法陣へ突き刺さる。
直後、赤い光が弾けた。爆発ではない。
草原の奥に、赤い光の柱が立ち上がる。
まるで夜空へ向け、何かへ位置を知らせるように。
「信号弾の術式!?」
ルナリスが叫ぶ。弓の刺客は笑った。
「ラディアへ向かう道は、一つではない」
次の瞬間。
刺客の身体を、黒い煙が包んだ。
「待ちなさい!」
ルナリスが手を伸ばす。
だが、煙が晴れた時。
そこには誰もいなかった。
残されたのは、赤く染まった草と、焦げた匂いだけだった。
「逃げられたわね」
「はい。無念です」
ソフィアは静かに答える。
「ですが、二人は捕らえました」
「それで満足なの?」
「……いいえ」
ソフィアは拳を握る。
「不服です」
いつもの平坦な声だった。だが、その奥には怒りが滲んでいた。
「敵はルナリス様を狙っています。せっかくここまで来た和平を壊そうとしています。ならば私は、敵の情報を全て引き出し、二度と近づけないようにします」
「……あんた」
ルナリスは、少しだけソフィアを見る。
怖くないわけではない。
敵がいる。しかも、こちらの行き先を知っている。
――それでも。
「さっき、私のこと感心したって言ったわよね」
「言いました」
「じゃあ次は、もっともっと感心させてあげるわ」
ルナリスは赤い瞳を細める。
「私だって、ただ守られているだけの姫じゃないもの。貴方におんぶにだっこじゃカッコ悪いわ」
ソフィアは少しだけ頷いた。
「そうですか……。えぇ、分かりました。期待しています」
焚火の火が、夜風に揺れた。
そして草原の向こうでは。
赤い光の柱が、ゆっくりと夜空へ消えていった。




