第16話 人類最強の聖騎士は釣られない
「たすけて……!」
森の奥から、幼い少女の声が響く。
その声は弱々しく、怯えている。今にも泣き出しそうな声だった。
だが、ソフィア・ストレイルは動かない。
「こういう手は慣れています。戦場では情に訴えたトラップもありますからね」
それは事実だ。そして、ソフィアはそういうトラップを唾棄している。
「しかし、趣味が悪い。このトラップを仕掛けた奴を見つけたら、叩きのめしたいくらいには」
碧い瞳からハイライトが消失したまま、ルナリスの前へ立つ。
既に剣は抜かれている。けれど、足は一歩も前へ出なかった。
「フィオナ」
低い声で、ソフィアが呼ぶ。
「はいはいー。ちゃんといるよ」
フィオナは排水路の出口付近で膝をつき、外の様子を窺っていた。その表情に、いつもの笑顔はない。
「声は北西。距離は、たぶん百歩くらい」
驚くべきはフィオナの索敵能力だ。元々五感に優れている彼女は訓練を受け、その力を更に伸ばしている。
故に優秀。故に彼女にとってこの職務は天職と言えた。
「本物の子供でしょうか」
「分からない。だから、決めつけない方が良い」
フィオナは、短く答えた。
「それに敵がさっき『餌を置く』って言ってたでしょ? まずは罠だと思って動くべき」
「了解です」
ソフィアは頷く。
「罠というのは前提として、その餌として本物の子供が使われている可能性もあるということですね」
「そうだね。子供の声を流す術式とは聞こえたけど、それが魔力によるものなのか、本物かは言っていないからね」
「なら、確認が必要です」
ルナリスは、二人の間から森の奥を見る。また、声が響いた。
「だれか……たすけて……!」
ルナリスの胸の奥が、少しだけ痛んだ。自分は人間が嫌いだ。
だが、自分が人間を嫌っているからといって、罪のない子供が傷ついて良い理由にはならない。
怒りを抑えながら、ルナリスはじっとその声を聞く。
すると――違和感を覚えた。
「……待って、この声」
ルナリスが、小さく言う。
「ソフィア、フィオナ、ちょっと待って。もう少しちゃんと聞きたい」
ルナリスは赤い瞳を細める。
見えるのは森の暗がり、木々の隙間、声が聞こえてくる方角。
そこに、僅かだが淡い赤い魔力の粒が浮かんでいた。
「やっぱり術式よ、この声」
「断定できますか?」
ソフィアが尋ねる。
「えぇ。声の出方が一定すぎるわ。同じ息継ぎ、震え方。そしてこの声に僅かな魔力を感じるわ。巧妙に隠されているようだけどね」
ルナリスは外套を握る。
「間違いないわ。生きた人間の声じゃない。これは術式が声を真似しているだけ」
「……そうですか」
ソフィアの剣を握る手が、わずかに強くなった。
「やはり気分が良いものじゃありませんね」
「うん。こういうこと思いつく奴はぶっ殺してやりたいもん」
フィオナの返事に怒気が滲んでいた。
「でも、術式だと分かったからこそ使える」
フィオナは、ルナリスを見る。
「ルナリスちゃん。あの手の術式ってルナリスちゃんも使えるの?」
「もちろんよ。何をすればいいの? あいつらに一泡吹かせられるなら、何でもするわ」
「へへっ頼もしいねぇ」
フィオナは石壁の外を指差した。
「まず声の術式はあの倒木の根元にあるわ。あれを見張ってるのは三人。声へ反応して誰かが走ったら、囲みに来るって算段ね」
「つまり、私が飛び出せば、彼らの狙い通りってことですね」
ソフィアが言う。
「そゆこと」
フィオナは、真剣な顔で続けた。
「だから、ソフィは動かない。これはお願い」
「お願い、ですか」
「そう。ルナリスちゃんの隣から離れない。私のためにも、ルナリスちゃんのためにも、飲んでね?」
ソフィアは一瞬だけ黙った。
少し前なら、たとえ止められても、声のする方へ走っていたかもしれない。
しかし、不思議な気分だった。今のソフィアはフィオナの言葉を即、了承した。
「分かりました」
ソフィアは、ルナリスの前に立ったまま答えた。
「護衛対象を優先します」
「よろしい」
フィオナは頷く。
ルナリスは、少しだけ笑った。
「驚いたわ、ちゃんと聞くのね」
「お願いですので」
「それだけ?」
「……仲間の言葉ですので。もちろんルナリス様もそれは例外ではありません」
ルナリスの顔が、少しだけ熱くなる。
「しゅ、集中しなさい」
「? 最初から集中していますが」
「その真顔で言わないで!」
◆ ◆ ◆
ルナリスは排水路の出口へ近づく。
ソフィアはそのすぐ後ろに待機。
フィオナは石壁の影から、外の風を読んでいた。
クロは静かに鼻を鳴らし、三人の背後で待っていた。
「ルナリスちゃん。見える?」
「見えるわ」
倒木の根元に光。あれこそが術式の発信源たる赤い小さな石だ。
そこから、糸のような魔力が伸びている。
ルナリスは改めて声の術式を観察する。
「やっぱり術式自体が粗い。ただ声を作って、響かせることしか考えていない。オモチャねオモチャ」
「オモチャか。ねえルナリスちゃん、アレ真似できそう?」
「? ええ」
ルナリスは、静かに手をかざした。
「でもどうするの? 確かにあれと似たようなのは出来るけど……」
「向こうが罠を張っているんだ、こっちも罠を張らなきゃ不公平でしょ?」
ニッと笑いながら、フィオナが言う。
「声の術式を使って欲しいの。あの方角、位置は声の術式から少し遠い方が良い」
「……なるほど。そういうことね」
ルナリスの赤い瞳が細くなる。
フィオナの思惑を、完全に理解した顔だった。
「なら、あの木が多い所の方が良いわね。分かりづらくなるだろうから」
「ルナリスちゃん、あったま良いー」
ソフィアはルナリスをちらりと見た。
「大丈夫そうですか?」
「誰に言ってんのよ、魔力を使うことなら私に任せなさい」
ルナリスは息を整えた。
「――『月影よ、迷い人を西の木漏れ日へ』」
赤い魔力が、地面を這うように伸びる。
光は、ルナリスとフィオナが狙いをつけた木の根元へ触れた。
一瞬だけ木の根元が赤く光る。
――次の瞬間。
『しまった! これは罠です! 早く逃げましょう!』
森の西側から声が響いた。
待ち伏せしていた者たちから見れば、罠に気づき、逃げようとしている状況だ。
すぐに木々の上で、葉が揺れた。石壁の上でも、微かな足音がする。
「二人、動いた」
敵の移動を感知したフィオナが囁く。
「けど一人残ってる」
「敵の数は」
「近くに三。少し離れた場所にも、まだいるかも」
ソフィアは剣を構えた。
「排水路を抜けますか」
「抜ける。今しかない」
フィオナが即答する。
「行こう、皆!」
三人と一頭が、排水路の出口を抜けようとした。
――その瞬間。
ひゅん、と。暗がりから矢が飛ぶ。
狙いはクロだ。
「クロ!」
ルナリスが叫ぶ。だが、矢は届かない。
ソフィアの剣が一閃する。
乾いた音とともに、矢は真っ二つになり、地面へ落ちた。
「右です」
ソフィアの声が低くなる。
「殺意を確認しました」
「来るわ」
フィオナが言う。
「もちろん、分かっています」
ソフィアは答えたのと同時、右の木陰から黒外套の男が飛び出した。
短剣を握り、ルナリスへ向かってくる。対し、ソフィアは一歩だけ前に出る。
そして半歩だけ横へずれ、男の腕を掴む。
「っ!?」
短剣を捻り落とす。続けて、足を払う。
男が倒れたところへ、剣の柄を首筋へ叩き込んだ。
「一人」
男は声もなく気を失った。
ソフィアはそれ以上、攻撃をしなかった。ただ、倒れた敵から視線を外し、ルナリスの前へ戻った。
「ルナリス様、怪我は?」
「ないわ」
「良かった。そしてクロは?」
黒馬は、緊張したように鼻を鳴らしていた。
フィオナが慎重にクロの脚を確認する。少しして、フィオナは指でオーケーサインを作った。
「ソフィアが矢を叩き落としてくれたおかげで無傷よ」
「ルナリス様とクロが無事なら、良かったです」
「うん、そうだね。それに、今のは良かったよソフィ」
フィオナが、ほんの少しだけ笑った。
「ひたすら我慢していた。偉いよ、ソフィ」
「当然です」
「そう? 昔のソフィなら、あの木陰の奥まで走ってたと思うけど」
「……それはそうですが、今は違います」
ソフィアは、フィオナを見た。
「私は、仲間からお願いを受けましたので」
フィオナは一瞬だけ目を丸くする。
それから、小さく頷いた。
「よろしい! フィオナさん、いま感激で泣きそうだよ」
その時のフィオナの笑顔はいつもより輝いていた。
◆ ◆ ◆
三人とクロは、森の暗がりへ入る。
背後では、静寂が広がっていた。
『しまった! これは罠です! 早く逃げましょう!』、と言わせた術式は既に効果を停止している。敵は自分たちが西の方角へ逃走したのだと踏み、捜索を続けているのだろう。
フィオナは歩きながら、小さく呟いた。
「これで数十分は稼げる」
「あれだけやって、たった数十分だけ?」
「相手も馬鹿じゃないからね。もしこれで一時間でも確保できるなら、私らの大勝利だよ」
フィオナは笑わなかった。
「でも、その数十分で白狼砦の外側を抜けられる。ここから先は、絶対に私の足跡を踏んで」
「分かりました」
ソフィアが答える。
「だそうです。クロ、分かりましたか?」
「クロにまで言うの?」
「仲間ですので」
クロは、少しだけ鼻を鳴らした。
ルナリスは、思わず笑う。
「返事をしたわ」
「……偶然です」
「まだ言うの?」
「ですが、従っています」
ソフィアは、少しだけだけ声を落とした。
「私達は仲間です。従ってくれているのなら、そういうことだと思っています」
夜の森を三人と一頭が駆けていく。
ルナリスが作った声で時間を稼ぎ、この包囲網を突破する。必ずだ。




