第15話 悪友の指示は絶対
フィオナ・クラウゼアの案内する道は、およそ道と呼べるものではなかった。
木々の間。岩陰。獣道よりさらに細い隙間。
月明かりさえ届かない森の中を、彼女は何の迷いもなく進んでいく。
進みながらも、フィオナは的確に指示を飛ばす。
「そこの根っこは踏まないでね。右の土が柔らかいから、クロが足を取られる」
フィオナが振り返らずに言った。
「そんで、そのまま左。うん、順調! 順調すぎて退屈になってきたよ」
「フィオナ、それは傲慢な考えですよ。その考えで足元をすくわれると何度言えば……」
「でも何とかなってんだから、私ってすごいよね?」
「……それは肯定します。一度痛い目を見れば良いのに、と何度思ったか」
「ひっど! それ悪友に吐く言葉じゃないわ! あははは!」
フィオナは、楽しそうに笑った。
ルナリスは、ソフィアの背中越しにその様子を眺める。
ここまでのやり取りを見て、確信した。やはりフィオナは軽い。口を開けば余計な一言が飛び出す。
だが、その歩みには迷いがない。
クロの足元。枝の高さ。木々の陰。
そして、ルナリスとソフィアの体力。
フィオナは進みながら、全てを見ているのだ。
「フィオナ」
ソフィアが呼ぶ。
「何、ソフィ」
「この道は、本当に白狼砦を避けられるのですか」
「避けられるよ。けど、確実とは言わないかな」
「根拠を聞かせてください」
ソフィアの声が少しだけ低くなる。
フィオナは振り返り、にこりと笑った。
「私が昨日確認した時点では通れた、これは確定情報。さっき鳥が持ってきた連絡にも、この道のことは書かれていない。だから、今ある情報の中では一番安全なルートなんだ」
「あえて秘匿されている可能性は?」
「ないとは言い切れない。けど、このルートが一番安全度は高い。このルート以上に安全なルートがあるんなら、逆に教えて欲しいね」
「……いいえ、ないでしょうね」
フィオナは、少しだけ口元を緩めた。
「ソフィが三日迷って覚えた地形よりは、よほど信用できると思うよ」
「迷ったわけではありません。地形の確認に時間がかかっただけです」
「地形の確認に三日もかかるんなら、それは迷ったって言うんだよ?」
「む……」
ルナリスが思わず笑う。
「フィオナの言う通りね」
「……ルナリス様まで」
「だって、三日でしょう?」
「生存しています。それが全てです」
「そこだけは本当に偉いと思うわ」
「褒められたと受け取っておきます」
フィオナは、けらけらと笑った。
「まさかソフィが人に褒められてるなんてねぇ。今日は良い日だ。フィオナさん、ちょー嬉しい」
「任務中です。無駄話は控えてください」
「はいはいー。じゃあ大事な話をするね」
フィオナの足が止まった。
前方には、崩れた石壁があった。
苔に覆われ、半ば土へ埋もれている。壁の下には、人一人と馬一頭がようやく通れるほどの細い穴が開いていた。
「ここ何だと思う? そう! 答えは昔の排水路」
フィオナは石壁を軽く叩く。
「白狼砦の兵糧庫から余分な水を逃がすために掘られた道でね。砦の外へ出る抜け道にもなってるんだ」
「クロは通れるの?」
ルナリスが尋ねる。
「通れるよ。少し窮屈だけどね」
「なら、急いで通りましょう」
ソフィアが言う。
だが、フィオナは首を横に振った。
「焦んない。まだ通れない。というか、通っちゃダメ」
「何故ですか」
「上に人がいる」
その一言でソフィアの表情が変わる。
碧い瞳が、石壁の上へ向いた。
ルナリスも息を潜める。
だが聞こえてくるのは、森の音。葉の擦れる音。遠くを流れる水の音。それだけだった。
「気配を掴めません」
ソフィアが小さく言う。
「うん。動いてないからね」
フィオナは、笑顔のまま答えた。
「動かないで待つの、相手さん結構得意なんだよ。だからこそ、こっちは動く前に見つけるしかない」
「どうやって?」
ルナリスが尋ねる。
フィオナは、自分の外套の内側から小さな鏡を取り出した。鏡の表面には、細い魔術文字が刻まれている。
「こういう時は風を読むの」
「風?」
「人がいる場所って、それだけで空気の流れが少しだけ乱れるんだ。体温、呼吸、服の衣擦れ音。見えないモノでも、風は嘘をつかない」
フィオナは鏡を石壁の隙間へかざした。
鏡の表面に、淡い白い線が浮かぶ。
一本。二本。三本。
「三人」
フィオナの声が低くなる。
「石壁の上に二人。少し離れた木の上に一人」
「敵ですか」
「私の知る限り、こんな時間にこの場所で息を潜める趣味の人はいないでしょ」
「いますね」
ソフィアが言った。
「フィオナがそうです。突然現れておいて、他人行儀は感心しませんね」
「はーい悪友からの辛辣な指摘、いただきました!」
フィオナは笑った。
だが、その笑顔はすぐに消えた。
「ソフィ。今考えていることを分かっているから言うんだけど、ここでは剣を抜かないでね」
「何故? 敵がいるのなら、排除した方が早いかと」
「ぜんっぜん早くない。むしろ面倒になる」
フィオナは、はっきりと言った。
「ソフィなら三人を片付けるの簡単だと思う。けど倒したら、周囲の敵が全部こっちを見る。白狼砦の包囲網を閉じる理由を、わざわざ私たちが作ることになる」
「……そうですね」
「だから、通り抜ける」
「相手の目の前を?」
「相手の目が届かないところからね」
フィオナは、石壁の穴を指差す。
「排水路は、砦の真下へ繋がってる。今から中を通れば、上の三人には見つからない」
「中に罠がある可能性は?」
ソフィアが即座に尋ねる。
「ない」
「断言しますね。根拠は?」
「まず昨日確認した時にはなかった。そこから新しく仕掛けるには、人手と時間がいる。あの三人が外を見張っているなら、中はまだ手薄な可能性が高い」
フィオナは、ソフィアを見る。
「確かなのですか?」
その瞬間、フィオナの眼が細くなった。
「誰にモノ言ってんの? この状況において、このフィオナさんが断言してんの。それ以上の判断材料がいる?」
「いりませんね。最近、高級料理が多かったので舌が肥えていたようです」
「よろしい。なら、さっさと本物の高級料理食べて、舌を矯正してね」
ルナリスは驚いた。フィオナがあのソフィアを完全に言い負かしたのだ。
ルナリスの知るソフィアは、任務に関することなら何でも即座に判断する。どんな状況になろうともだ。
だが、ソフィアはフィオナの言葉を優先した。そのやり取りに、ルナリスは少しだけ羨ましさを感じた。
「分かりました。フィオナの案内に従います」
「んじゃ、ここからは質問禁止。声も最小限。クロの手綱はソフィが持って。ルナリスちゃんは私の後ろ」
「何で私が後ろなのよ」
「魔力が一番大事だから」
「……分かったわ」
フィオナは続ける。
「あ。あと大事なことなんだけど、助けを求める声が聞こえても、勝手に動かないこと」
ソフィアの目が、わずかに細くなる。
「人質がいる可能性があります」
「そりゃあるよ」
フィオナは頷いた。
「だからこそ、敵の狙い通りに全員で飛び出さない。今の敵が欲しいのは、ルナリスちゃんから離れたソフィだと思う」
「私を分断したい、と」
「うん。ソフィが一人で敵を追えば、ルナリスちゃんは守りが薄くなる。逆にルナリスちゃんを狙えば、ソフィは必ずそっちへ戻る」
「それは戻ります」
「だよね」
フィオナは少しだけ笑う。
「だーかーら、あんたは分かりやすいの」
「合理的な行動です」
「うん。でも、だから敵にとっても読みやすい」
ソフィアは反論しなかった。
ルナリスは、少しだけ胸が詰まる。
ソフィアは、自分を守るためなら敵へ向かう。
それを知っている。
だからこそ、その強さを利用されるのは嫌だった。
「とはいえ、人命を優先するのは人として道理では……」
「迷ってるんなら、私が言うわ」
ルナリスが、ソフィアの背中へ向けて言った。
「ルナリス・ヴェルグリムが明言するわ。助けを求める声が聞こえても、まず私のところへ戻りなさい。勝手に一人で行かないで」
「……ルナリス様」
「これは護衛対象としての命令よ」
ルナリスは腕を組む。
「守るって言ったなら、ちゃんと守りなさい」
ソフィアは少しだけ目を見開く。
「承知しました」
やがて、フィオナが、満足そうに笑った。
「ソフィ、ルナリスちゃんに全く勝てないね」
「? 戦闘の話なら、私は勝ちますが」
「違うんだなぁこれが。でもまぁ、いつか分かった方が良いよ、ソフィはね」
フィオナは石壁の穴へ身を滑らせる。
「じゃ、行こうか」
◆ ◆ ◆
排水路の中は暗かった。
水はほとんど流れていない。だからこそ湿った石の匂いが、鼻につく。
フィオナが先頭。その後ろにルナリス。ソフィアがクロの手綱を引き、最後尾を守る。
誰も喋らない、無音の空間。
直後、石壁の向こう。具体的には上の方から、微かな声が聞こえた。
『……月は傷つけるな』
ルナリスの肩が、僅かに揺れる。
『銀だけを前へ出せ。あいつが動けば、姫の周りが薄くなる』
ソフィアの手が、剣の柄へ伸びる。
だが、その手は、途中で止まった。
先ほどのルナリスの言葉。そしてフィオナの指示。
それを思い出し、ソフィアは、ゆっくりと手を下ろした。
ルナリスは、その背中を見る。
いつもなら、誰かが危険に晒されていると分かれば、彼女は走る。即、剣を抜く。
けれど今は、動かなかった。
自分たちを守るために。
信じると言った仲間の言葉を守るために。
『……それで。本当に餌を置くのか?』
『置く。森の北側に、子供の声を流す術式を仕掛ける』
フィオナの足が止まる。笑顔が消えた。
『銀なら、必ず釣れる』
ルナリスの指先が震える。
子供の声、助けを求める声。
それを餌にして、ソフィアを引き離すつもりなのだ。
フィオナは振り返らず、小さく唇を動かした。
「……聞いたね」
声は、ほとんど聞こえないほど低かった。
「だから、絶対に一人で動かない」
ソフィアは頷く。
「はい」
ルナリスも、小さく頷いた。
排水路の出口が、少しずつ近づいてくる。
その時だった。
森の奥から――。
「たすけて……!」
幼い少女の声が、響いた。
暗い森の中。あまりにもはっきりと、助けを求める声で。
「気分が良いモノじゃありませんね」
ソフィアの碧い瞳から、ハイライトが消えた。
だが、彼女は動かなかった。ただ、ルナリスの前へ立ち、剣を抜いた。
「……ルナリス様。私の後ろへ」
フィオナも、いつの間にか短剣を逆手に握っていた。
いつもの笑顔は、どこにもなかった。
「いい子だよ、ソフィ」
森の奥から、もう一度。
「たすけて!」
再び声が響いた。
それが本物か、偽物か。まだ誰にも分からなかった。




