第14話 銀閃光の悪友
森の遠く。木々の隙間から、黒い鳥が一羽、飛び立った。
その嘴には、小さな紙片がくわえられている。
紙片には、人間の術式と同じ赤い光が浮かんでいた。
「ソフィア」
ルナリスが呼ぶ。その一言だけで、石垣へ背を預けていたソフィアの目が開いた。
眠りから覚めた人間の目ではない。碧い瞳には、最初から警戒の色が宿っている。
ソフィアにとって、全ての時間が警戒の時間帯なのである。
「敵ですか」
「分からない。でも、あの鳥。紙を運んでるわ」
ルナリスが空を指差す。
「通信術式よ。あの紙に情報を書いて、鳥に届けさせてる」
「見えます」
ソフィアが静かに答えた。
「紙片に、薄い魔力があります。強い術式ではありませんが……誰かへ何かを伝えようとする意志のようなものを感じます」
「意志が見えるの?」
「見えるというより、分かります。ですが、何を伝えたいのかは分かりません」
ソフィアは剣を握った。
「追いますか?」
「鳥を?」
「運が良ければ通信先を辿れる可能性があります」
「空を飛んでいるのにどうやって?」
「ひたすら走ります。多少の障害物なら切り倒して行くので、追うことは十分に可能かと」
「目立ってどうすんのよ! それこそ敵にバレバレよ」
「む……」
ルナリスが叫んだ、その時だった。
「はいはい、そこまで! 大丈夫だよソフィ。あとはこの私にまっかせなさーい!」
森の上。太い枝の上から、少女の声が響いた。
ルナリスの印象は、とても軽い感じの声だった。危機感というものが、あまりにも薄い声だった。
黒い鳥が、ふわりと枝の方へ旋回する。
そして――なんと、木の上にいた少女の伸ばした手へ、素直に降り立った。
「よしよし。偉いねえ。うーん、君、美人ちゃんだね。毛の色がキレイキレイ!」
少女は鳥の頭を撫でる。
ゆるく波打つ焦げ茶の髪。
灰色の外套。
腰には短剣と、小さな革鞄。
表情には、最初から笑顔が浮かんでいた。
「ということで久しぶり。私がいなくて泣いてなかった、ソフィ?」
少女は枝から飛び降りる。着地の音は、まるでしなかった。
ルナリスはその少女が本当に存在しているのか、怪しくなってしまった。
「寝起きの顔、相変わらず怖いね」
「軽口は変わってないようですね、フィオナ」
ソフィアが名前を呼んだ。
ルナリスは、少しだけ目を見開く。
あのソフィアが。初対面の相手へ向けるような形式的な呼び方ではなく、普通に名前を呼んだ。
「久しぶりですね」
「どこが久しぶりなのさ、二日ぶりだよ」
「任務前の訓練場以来です」
「それを久しぶりって言うなら、ソフィは世界中の人間と絶縁してることになるよ」
フィオナと呼ばれた少女は、いつもの笑顔のまま肩をすくめた。
そしてルナリスを見る。
「へえー! 貴女が魔王の娘ちゃん!?」
「……そうだけど」
「私はフィオナ・クラウゼア。ソフィの同期で、悪友で、今は王国情報局の外勤官だよ。よろしくね、魔王の娘ちゃん!」
あまりに光のオーラを纏って接してくるので、ついルナリスは一歩引いてしまった。
「……私が怖くないの?」
「何で? 私のこと殺そうとか傷つけようとか考えているなら怖くなるけど、そう思ってるの?」
「そんなわけないでしょ! 馬鹿にしないで!」
「じゃ、大丈夫じゃん! あはは!」
ソフィアとは別方向で新しい人間だと、ルナリスは思った。
全く、怖がっていない。それどころか、ソフィアへの態度とそう変わらない調子で接してくれる。
「あまりルナリス様に軽々しく接しないでください。あと悪友というのは訂正させてください。」
ソフィアはジト目になった。
「フィオナが一方的にそう呼んでいるだけです」
「そこは否定するんだ」
「そもそも友かどうかも怪しいでしょう」
「もー! いっつもそういうこと言う! まぁいいや! いつものソフィでフィオナさん安心!」
フィオナは、楽しそうに笑った。
ルナリスは戸惑う。あのソフィアが、会話をしている。
それも、ルナリスへ向ける時とは違う。
少しだけ素っ気なくて、少しだけ反応が早い。
しかも、この少女は。
ソフィアのことを、最初から『銀閃光』ではなく、『ソフィ』として知っている。
「……フィオナ、だっけ? あんたは何故ここにいるの?」
ルナリスが尋ねる。
フィオナは、鳥がくわえていた紙片を外した。
「副団長の指示だよー」
「ガルド副団長の?」
ソフィアの目が細くなる。
「私には何も聞かされていません」
「当たり前でしょー。聞いてたら、絶対ソフィは挙動不審になる。確信があるね」
「なりません」
「いいや、絶対なるね」
「……フィオナの位置を把握しようとはしていたかもしれません」
「ほらね」
フィオナは、にこにこと笑っている。
「副団長はハナっから旅程が漏れてる可能性を疑ってた。だから、本隊とは別に私を動かしたの」
「情報の流れを追っていたのですか?」
「そゆこと。橋を壊した連中。灰狼に首輪を付けた連中。あとは、昨日の夜襲の連中。ソフィとルナリスちゃんはモテモテだ」
フィオナは紙片を軽く振った。
「誰がルナリスちゃんよ」
「可愛いと思わない?」
「私、魔王の娘なんだけど」
「かんけーないかんけーない! 可愛い子にはちゃんをつけたくなるんだよね! あっはっはっ!」
「はぁ……これ以上、何を言っても無駄な気がしてきたわ」
ルナリスにとって、フィオナは苦手な部類かもしれない。嫌い、という意味ではない。
あまりにも自然と距離を縮められる、縮めてこようとするその人間性に、ある種の憧れを感じるほどだ。
その手の人間と関わりがなかっただけに、戸惑っているという言い方のほうが正しいのかもしれない。
そんな気持ちを向けられているとは知らないフィオナは、森の中を見回す。
「結論から言うと、この森には敵の目がいっぱいある。ソフィが川をぶった斬った時は、目どころか森全体がびっくりしたと思うけど」
「必要な処置でした」
「うん。だろうね」
フィオナは、あっさり頷いた。
「ルナリスちゃんを守るには、それが一番早かったんでしょ?」
「……そうです」
「なら、正しい」
フィオナは、少しだけ笑顔を薄くした。
「でもね、ソフィ」
「何ですか?」
「正しいことを一人でやって、勝手に死ぬのは禁止」
森の空気が、少しだけ変わった。
フィオナの声は柔らかい。だが、その声色には冗談の感情は込められていない。
「川を斬るのも、敵に突っ込むのも。誰かを守るためならやるんでしょ。知ってるよ」
フィオナは、ソフィアの目を見る。
「でも、あんたが帰ってこなかったら、守られた人も困る。悪友の私も困る。だから、帰るところまでが護衛。いい?」
ソフィアは、少しだけ黙った。
ルナリスはその横顔を見る。
やがて、ソフィアは頷いた。
「……覚えておきます」
それだけ答えた。
フィオナは、ふっと笑顔を戻す。
「よろしい! それを聞いて、フィオナさんは大喜びだよ! ねールナリスちゃん!」
「……本当にフィオナは、ルナリス様への接し方が軽いですね」
「え、仲良くなれそうだから当然じゃない?」
「誰がよ」
ルナリスが即座に返す。
「ふふ。そうやってすぐに返事をしてくれるところとか?」
フィオナは、紙片へ視線を落とした。
「さてさて。本題ね」
紙片に刻まれた赤い光。
フィオナは革鞄から細い針を取り出し、紙の端へ触れた。
「触らないでください。術式が燃えます」
「分かってるよ。だから、燃えない場所を探してるの」
針が、紙の端をなぞる。
「ねぇソフィア。フィオナは何をやっているの?」
「術式を読んでいます。やっていることはシンプルなのですが、本来はしっかりした設備でやることが前提の精密な技術です。……この場で今すぐやれと言われて、やれる人間はフィオナしかいないと思います」
「か、軽そうな奴なのに、そんなすごいことやってるのね……」
これはフィオナの解読技術だ。今は細い針を使っているが、道具は何でもいい。
自分の魔力と、相手方の魔力を混線させ、その内容を読み取る。
仕組みはシンプルだが、それ故に失敗をすると魔力がグチャグチャになり、読み取ることが難しくなる。
「うーん……もう少し」
赤い光が一瞬だけ揺れた。
「……読めた」
フィオナの笑顔が、消えた。
「『水鏡、無反応。標的、北流。第二網、白狼砦へ寄せよ。月は傷つけるな。銀閃は遅らせろ』」
ルナリスの赤い瞳が細くなる。
「月って、私のこと?」
「たぶんね」
フィオナは紙片を握る。
「要は、敵はルナリスちゃんを殺す気じゃなくて、生かしたまま連れて来いってことだね」
「……何のために?」
「考えられる理由はいくつもあるかな」
フィオナの声は、もう軽くなかった。
「魔王の娘を攫ったと人間側へ見せる。魔王の娘が人間に寝返ったと魔族側へ見せる。あるいは、和平の場で何かをさせる、とかね」
「どれも、戦争を再開させるためのやり方ね」
ルナリスが低く言う。
「そうだね」
フィオナは頷いた。
「だから、ここで絶対に捕まるわけにはいかない」
「大丈夫ですよ、ルナリス様。いずれにしろ、その目論見は破綻しています」
ソフィアが言った。声はいつも通り、淡々とした口調だった。
「何故なら、ルナリス様へ触れようとする者は、全員倒すからです」
「ソフィー、誰もそこは心配してない」
フィオナは、ソフィアを見て笑う。
「心配してるのは、ソフィが敵を全員倒すために、一人で砦へ入っていくこと」
「入るわけがありません。リスクが高すぎます」
「本当に?」
「……その必要があるなら、別ですが」
「必要だと思ったら入るんだ」
ソフィアは黙った。
ルナリスは、思わず少しだけ笑いそうになる。
このフィオナという少女は。
ソフィアが答えを濁す時に、何を考えているのか知っている。
「その白狼砦って、どこにあるの?」
ルナリスが尋ねる。
フィオナは森の北を指差した。
「このまま川沿いを進んだ先。昔、人間軍が魔族領へ攻め込むために使った砦だよ」
ソフィアの表情が、ほんの少しだけ硬くなる。
「敵は私たちをそこへ追い込みたい、と」
「うん。そこの地形がまた厄介でね。前提として、砦の前後は道が狭い。だからそこにクロを連れて行ったら逃げにくいし、包囲にも向いてる。逃げられないってことだね」
「なら、行かなければ良い」
ソフィアはすぐに言った。
「別の道を探します」
「と、言うと思っていたんだけどさ。それがねえ」
フィオナは、少し困ったように笑う。
「砦を避ける道はある。でも、敵の第二網が閉じる前に抜けなきゃいけない」
「どれくらい時間がありますか」
「鳥が戻れば、十分くらい」
「十分」
ソフィアは周囲を見る。
「フィオナ。鳥へ偽の返答を持たせられますか?」
フィオナが、少しだけ目を丸くする。
「出来るよ、内容は?」
「『水鏡の監視に失敗。標的は北流を離脱。第二網は待機』。これなら、敵は砦を閉じる判断を少し遅らせるかもしれません」
「……フィオナから見て、成功率は?」
「楽観的に見て六割、厳しめに見て四割」
「失敗した場合はどうなると思いますか?」
「偽装がバレたら、砦の網が早く閉じちゃうね。引き返すことを考えたら、相当タイムロスだと思う」
ソフィアは、一瞬だけ考えた。
「お願いします」
「ひゅー即答だね」
「現在、最も生存率が高い手段です」
フィオナは笑う。
「そういうところがソフィらしいよねーって」
そして、紙片を裏返した。
細い針で新しい術式を書き込んでいく。
その手つきは、恐ろしいほど正確だった。
笑っている。
けれど、指先は一切震えていない。
「ねね、ルナリスちゃん」
「何よ」
「魔力、少しだけ貸してくれる?」
「私の?」
「敵は魔王の娘の魔力を探してる。偽の報告にも、少しだけそれっぽい匂いを仕込もうと思ってね」
ルナリスは紙片を見る。
「私の魔力、大活躍ね」
「嫌なら使わないよ?」
フィオナは、すぐに答えた。
「無理に頼むつもりはない。魔力は精神力も使うからね。消耗するのを知っていて、こういうお願いをしているんだから、ルナリスちゃんにも断る権利はある」
その言葉に。ルナリスは、ほんの少しだけ目を見開く。
言い方は軽いのに、その内容はどこまでも対等に見てくれている。
少しだけ、ルナリスはフィオナのことを気に入った。
「……いいわ」
ルナリスは紙片へ指先をかざす。
「少しだけよ。勝手に多く使ったら、あんたの髪を全部燃やしてやるんだから」
「怖い脅しだねえ」
「ほんっとにやるわよ」
「分かってる分かってる。んじゃ、使うねー」
赤い魔力が、紙片へほんの少しだけ染み込む。
フィオナはその魔力を、元の術式へ丁寧に混ぜていく。
――やがて。
「よし」
フィオナは黒い鳥の嘴へ紙片をくわえさせた。
「届けて」
鳥は、一度だけ羽を広げる。そして、夜の森へ飛び立った。
赤い光が、闇の中へ消えていく。
「これで、少しだけ時間ができる」
フィオナは立ち上がる。
「それじゃ早速、砦を避ける抜け道を案内する。クロでも通れるけど、かなり険しいよ」
「馬車よりはましね」
ルナリスが言う。
「それ、ものすごく低い基準だよ」
「分かってるわよ」
ソフィアはフィオナを見る。
「案内をお願いします」
「うん。任せて」
フィオナは笑った。
だが、次の言葉は真面目だった。
「ソフィ。ルナリスちゃん。ここから先は私の指示を聞いて欲しい。最速最短で行くから、何も疑問を持たず、私についてきて」
ソフィアは頷く。
「分かりました」
ルナリスも、小さく頷いた。
フィオナはクロへ近づく。
「クロもよろしくね。ソフィの悪友が増えて大変だろうけど」
黒馬は、小さく鼻を鳴らした。
「今の、嫌だって言ったんじゃない?」
「偶然ですー! フィオナさんは誰からも愛されるキャラなんですー!」
フィオナが唇を尖らせた。
「一分一秒が惜しいです。それでは、行きましょう」
笑顔の情報官。
人類最強の聖騎士。
魔王の娘。
そして、一頭の黒馬。
三人と一頭は。
敵が待つ白狼砦を避けるため、森のさらに深い場所へ進み始めた。




