第12話 人類最強の聖騎士、クロを呼ぶ
猟師道を外れ、森の奥へ進むことしばらく。
木々の隙間から、水の流れる音が聞こえてきた。
「見えてきました」
ソフィアが言う。
その先にあったのは、幅の広い浅い川だった。
澄んだ水が、石の間を縫うように流れている。
深さは大人の足首ほどだろうか。だが、水底には大小様々な石が転がっており、馬にとって歩きやすいとは言い難い。
ルナリスは、川を見下ろして顔をしかめた。
ここを通ったらどうなるのか。ルナリスは色々と想像してしまった。
「……ここを通るの?」
「通ります」
「私達の靴、濡れるわよね?」
「濡れますね。ちなみに落馬したら全身ずぶ濡れという線もあります」
「馬も大変そうだけど?」
「大変です。しかし、必要な事です」
「何でそんな当たり前みたいに言うのよ!」
ソフィアは少しだけ首を傾げた。
「……と、言われましても。他に安全な道がありませんので」
「それは分かってるわよ……!」
川沿いを進めば、馬の蹄跡は残りにくい。
敵が道を外れた二人を見つけるためには馬の足跡を辿るしかない。
一時的にとはいえ、その足跡を消せるなら、多少靴が濡れるかもしれないのは我慢すべきなのだろう。
理解はしている。……理解はしているが。
「冷たそう」
「春先ですからね。濡れたら風邪は覚悟してもらう必要があるかと」
「なんで今、余計な情報を足したのよ」
「事実なので。黙っているよりはいいかと判断しました」
黒い馬が、川の手前で足を止める。
水面をじっと見て、小さく鼻を鳴らした。
「それでは十二番。進みなさい」
「ちっがう。クロよ」
ルナリスが即座に訂正した。
「ひとまずクロということで、って昨日言ったでしょう。それもあんたが」
「確かに、言いましたね」
「なら呼びなさいよ」
ソフィアは少しだけ黙った。
黒馬は、二人の会話を聞いているのかいないのか。川の流れを警戒するように、ぴこぴこと耳を動かしている。
「……クロ」
ソフィアが、少しだけ小さな声で呼んだ。
「川を渡ります。慎重に進んでください」
黒馬は、ゆっくりと一歩を踏み出した。
蹄が水へ沈む。ぱしゃり、と冷たい水が跳ねた。
「……ほら。分かってるじゃない」
「たまたま、私の指示に従っただけかと」
「分かってないわね。名前を呼んだ後に動いたのよ」
「……偶然です」
「ほんっとあんたの口から出る言葉には夢がないわね」
「夢、ですか。多少の希望的観測はすることがありますが、夢を乗せるというのはあまり……」
「分かってるわよ。そんなに真剣に考えないで」
ソフィアはあまりにも真面目だった。
ルナリスの言葉に対し、真剣に受け止め、考える。
(ほんと、調子狂うわね)
ルナリスはそんなソフィアにある種の居心地の良さを感じていた。
だからこそ、彼女はそれ以上、ソフィアに何も言わなかった。
しばらく川を進み始めると、馬の足取りはさらに慎重になった。
水底の石を確かめるように、一歩ずつ進む。
馬が僅かに揺れるたび、ルナリスの腕は自然とソフィアの腰へ回った。
「しっかり掴んでいてください。少しだけ河床が荒れてきました」
「そうね。揺れが強くなってきたわ」
「……先ほどより、力が強いですね」
「水に落とされたくないからよ!」
「落とすつもりはありません」
「それも分かってるから腹が立つのよ」
ソフィアは理解できない顔をしていた。
その時だった。
「……止まって」
ルナリスが低く言った。
「クロ。止まりなさい」
黒馬が、ぴたりと足を止める。
ソフィアはすぐに手綱を引き、周囲を警戒した。
「敵ですか」
「まだ分からない。でも、水の中に何かある」
ルナリスは川の下流を観察する。
水面が揺れている。光が反射している。水草が流れている。
その中に、一つだけ。
不自然な赤い光が沈んでいた。
「……また術式ね」
ルナリスの声が低くなる。
「今度は水底に魔力石を沈めてる」
「魔力石……。昨日の糸と同じ監視術式ですか?」
「近いけど、もっと面倒なやつよ」
ルナリスは馬から降りる。
ソフィアはすぐに手を差し出した。
「足元に注意してください」
「今度は横抱きにしないのね」
「ご希望なら」
「希望しないわよ!」
ルナリスは手を借り、水の中へ降りた。
「これは、水鏡の眼っていう術式よ」
ルナリスは水底の赤い光を見つめる。
「通った者の魔力を読み取って、記録する。人間か、魔族か。どれくらいの魔力を持っているか。そういう情報を石に残すの」
「こちらが通れば、ルナリス様の魔力が記録される」
「ええ。敵に見つかったとまでは言わないけど、少なくとも『この道を魔王の娘が通った』と分かる」
ソフィアの碧い瞳が、少しだけ細くなる。
「本当に厄介ですね。破壊することは?」
「可能よ。……でも壊したら、そのことが持ち主に伝わるわ」
「……昨日のように眠らせることは」
ルナリスは、少しだけ目を見開いた。
「昨日の術式みたいに?」
「はい」
「……覚えてたのね」
「もちろんです。ルナリス様の新情報は常に把握に努めています」
「ふん、良い心がけね」
ルナリスは、水底の魔力石へ手をかざした。
魔力の流れを読み、術式の構成を分析。無力化の手段を探ってみる。
数分後、ルナリスは顔をしかめる。
「ちっ、駄目ね」
「理由を」
「水の流れが邪魔をしてる。破壊自体は出来るけど、このままじゃ、私の魔力まで石に記録される」
「ならば、どうしますか」
ルナリスは周囲を見る。
川上。大きな岩。
流れを二つに分けている岩がある。
「あの岩を、少しだけ動かせる?」
「可能ですが、理由を聞かせてもらっても?」
「川の流れを変えて、この石の周りに濁りを作りたいの」
「……? 要は魔力石に水がなければ良いのですよね?」
「ん? そりゃ水がないなら、理想的だけど……」
ソフィアは剣を抜いた。
「なら話は簡単です。ルナリス様、クロ。ここで待機してください」
黒馬は、耳を動かした。
ソフィアは川上へ進む。剣を大上段に構えた。
「私の前に出ないでください。濡れますので」
「何をするの?」
「一時的に水がなくなれば良いんですよね? なら――簡単な話です」
次の瞬間。
「シッ――!!」
ソフィアが思い切り剣を振り下ろした瞬間、爆発が起きた。
巨大な水柱。途端、上からまるでバケツをひっくり返したような雨が降る。
否、これはソフィアが割った川の水だ。彼女の剣が川を斬り裂いたのだ。
「はぁぁぁぁー!?」
ルナリスが目を丸くする。
ソフィアたちの足元に一時的に水がなくなった。
「今です」
「いや、今ですって……えぇ……」
ルナリスはドン引いていた。
水底の魔力石を遮るものは何もなく、完全に丸裸状態だ。
これが純粋な腕力で生み出された結果だと言うのだから、ルナリスは呆れてしまった。
「もうすぐ水が戻ります。早めにお願いします」
「分かってる!」
ルナリスは両手をかざす。
「――『月影よ、水底の瞳にしばしの休息を』」
赤い魔力が魔力石へ触れる。赤い魔力は手のような形となり、握りつぶそうとしていた。
直後、石が赤く光る。
術式が、ルナリスの魔力を読み取ろうとする。
「……っ」
ルナリスの身体が揺れた。
「大丈夫ですか」
「今、聞かないで!」
「分かりました。幸運を」
ソフィアは剣を構え、周囲を索敵する。何者かが近づいていないかじっくり辺りを観察していた。
クロもまた、鼻を鳴らしながら森の奥を警戒している。
赤い光が、一度。
二度。
強く瞬いた。
そして。
ぷつり、と消えた。
「……成功」
ルナリスは大きく息を吐いた。
「これで、あの石は私たちを記録しない。水の流れしか見ていない、ただの石になったわ」
同時に、川の流れが元通りに戻る。あともう少し遅ければ、ソフィアの力ずくの行動が無駄になっていただろう。
「お見事です」
「……今回は、それだけ?」
「いいえ」
ソフィアは少しだけ間を置いた。
「私が川を物理的に割り、ルナリス様が術式を無力化する。……実に良い連携でした」
ルナリスの赤い瞳が、少しだけ丸くなる。
「……連携って言った?」
「言いましたが?」
「私たちが?」
「他に誰がいると?」
「ふ、ふーん! まあそうね。私がいなければ術式は見つからなかったし、あんたがいなければ時間は作れなかった」
「その通りです。素晴らしい腕前でした」
「……本当に、あんたは変なところで素直よね」
「事実ですので」
ルナリスは少しだけ笑った。
その時。ソフィアが川岸の泥へ視線を落とした。
「ルナリス様」
「何よ」
「足跡があります」
泥の上には、新しい靴跡が残っていた。
一人分ではない。三人、いや、四人分。
しかも。
その足跡は、川を下る方向へ続いている。ソフィアはしゃがみ込み、足跡の状態を冷静に観察する。
「この術式を置いた者たちの足跡でしょうか」
「多分ね」
「……新しいですね。今朝のものかと」
ソフィアは立ち上がる。
「敵は近くにいます」
ルナリスは外套を握りしめた。
また、敵。嫌な予感は消えない。
それでも。
「追うの?」
ソフィアは少しだけ黙った。
剣の柄へ置いた手が、僅かに強くなる。
「まさか。追いません。敵の数も分からない状態で、リスクが高すぎます」
ソフィアの声は、実に冷静だった。いつもの日常会話をするようなテンションだった。
「何度も言いますが、私の任務は敵の殲滅ではありません。ルナリス様を無事にラディアへ送り届けることです」
「そうね」
「ですが」
ソフィアは、足跡の先を見る。
「敵がこちらへ来た場合は別です。向かってくる相手は全員倒します」
「そこだけは絶対に曲げないのね」
「もちろんです。護衛ですので」
ルナリスは馬へ戻る。
黒馬の首を撫でた。
「聞いた、クロ。私たち、まだ大変そうよ」
クロは、小さく鼻を鳴らす。
ルナリスの声に返事をするように。
「……クロ」
ソフィアが、少しだけ小さな声で呼んだ。
「進みます」
黒馬は、すぐに歩き出した。
ルナリスは背後から、思わず笑う。
「ほら。やっぱりクロは分かってるじゃない」
「……偶然です」
「またそれ?」
「ですが、次からもそう呼びます」
「それはどうして?」
すると、ソフィアは少しだけ顔を背け、こう言った。
「……仲間なので」
「ん! よろしい!」
川の水音が、森の中へ響いていく。敵は近いのだろう。
対するこちらは、魔王の娘と人類最強の聖騎士の二人。否、信頼できる二人と一頭だ。




