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第11話 猟師道の罠

 猟師道は、道と呼ぶにはあまりにも雑だった。


 木々の間を縫うように続く細い獣道。馬の蹄が土を踏むたび、湿った落ち葉が沈む。

 枝は容赦なく顔へ近づいてくるし、時折、地面から伸びた根が馬の足を狙うように浮かび上がっていた。

 最悪。この二文字が良く似合っていた。


「……本当に、ここは道なの?」


 ルナリスはソフィアの背中へしがみつきながら尋ねた。


 しがみついているのは、決して別の理由ではない。

 落馬防止である。それ以外に理由などない。

 そう、意外に美人なソフィアの身体にしがみついて、ドキドキしているわけではない。


「地図上では、そうなっています」


 ソフィアは手綱を握ったまま答えた。


「地図上では?」

「昔は、猟師や軍の斥候が使っていました。今は、ほとんど誰も通りません。まともな移動は期待できませんね」

「……つまり?」

「道としての整備がされていません。昔は多少、管理されていたようですが、まぁ今は見る影もありません」

「最初からそう言いなさいよ!」


 黒い馬が、小さく鼻を鳴らす。


 足元は悪い。

 馬車なら、間違いなく途中で動けなくなっていただろう。

 だが一頭の馬で進む今なら、街道よりもずっと早く進める。

 敵が宿場町で待っているなら、この道を使う価値はあった。……価値はあったのだが。


「ねえ、ソフィア」

「はい」

「腕、少しきつくない?」

「? 何がですか」

「私が掴んでるところよ」


 ルナリスの腕は、しっかりとソフィアの腰へ回っている。

 馬が揺れるたび、自然と力が入ってしまう。


「問題ありません」

「……そう」

「むしろ、ルナリス様の安全を確認できるので、好都合です」


 あまりにも事務的な返答だった。

 ルナリスは少しだけ唇を尖らせる。


「本当に、あんたはそういうところよね」

「……説明を求めます」

「もう良いわよ」


 言ったところで、伝わるはずがない。

 ソフィア・ストレイルは恋愛小説を犯罪記録や護衛の本質を書いた書物として読んでいた女だ。

 人に抱きつかれている状況へ、特別な意味など見出すはずがなかった。


「ところで、この馬には名前があるの?」


 ルナリスは話を変えた。


「名前、ですか」

「そう。あんた、馬が好きなんでしょう?」

「好きです」

「なら、呼び名くらいあるんじゃないの?」


 ソフィアは数秒だけ考えた。


「呼称はありません」

「ないの?」

「そもそもこの馬は、私の所有物ではなく、聖騎士団の軍馬です。馬房では番号で管理されています」

「番号……」

「この馬は、第三厩舎の十二番です」

「可哀想じゃない?」


 ソフィアは発言の意図が分からなかった。

 彼女は馬が好きだ。それは間違いない。だが、それは馬の機能性を評価しているだけに過ぎない。

 愛着等は一切なく、合理的な生物として認識しているのだ。


「何故ですか。食事も寝床もあり、怪我をすれば治療も受けられます。良い環境です」

「そういう話じゃないのよ」


 ルナリスは黒い馬の首筋を見る。

 大人しい。ソフィアの指示をよく聞き、険しい道でも慎重に足を運んでいる。

 まさに質実剛健。


「せっかくなら、名前を付けてあげればいいのに」

「名前……ですか。ルナリス様は名が必要と考えているのですか?」

「そうね、必要よ」

「戦場で馬の名前を呼ぶ余裕はありません」

「……夢がないわね」

「夢は生存率を上げません」

「出たわね、それ。違うのよ、そういうことを言いたいんじゃないの」


 ルナリスはため息を吐いた。


「これからしばらく行動を共にする仲間なのよ? そんな仲間を十二番だなんだと呼ぶつもり?」

「……そのつもりでしたが」

「駄目よ、それじゃ駄目。馬だって命よ。雑に扱われて良いわけがないわ。もっと敬意を持ちなさい」


 ルナリスの言葉を受け、ソフィアは考える素振りを見せる。


「……一理あります。ですが、何と名付ければ良いのか分かりません」


 すると、ソフィアは顔だけルナリスの方へ向けた。


「ルナリス様に名付けをお願いしても良いでしょうか?」

「……そう来ると思ったわ。じゃ、私が勝手に付けるわね」


 ルナリスは思考を巡らせる。どんな名にしようか。好きな小説の登場人物? それともまた違う作品の? 彼女の頭の中は途端に、情報量が増大し、ぐるぐると回転していた。

 やがて考えに考えすぎて、逆にシンプルな名にたどり着く。


「黒いから――クロ」

「……」


 ソフィアは天を仰ぐ。

 そして、一言だけ。


「安直ですね」

「人の名前に文句をつけた!?」


 ソフィアは、ほんの少しだけ眉を寄せた。


「ルナリス様の命名を否定したわけではありません。仲間に名付けるというのなら、もう少し考えた方が良いかと」

「じゃああんたが考えなさいよ」

「……第三厩舎の十二番で」

「本当に馬が好きなの?」


 ルナリスが言うと、ソフィアは少しだけ黙った。


「好きです」

「なら、いつかちゃんと名前を考えなさい。名前が決まるまでこの子は『クロ』よ」

「……検討します。名前についても了解しました。ひとまずクロということで」


 いつもの即答ではなかった。

 それが少しだけ可笑しくて、ルナリスは笑った。

 その時だった。


 黒馬が、ぴたりと足を止めた。


「どうしたの?」


 ルナリスが尋ねる。

 ソフィアはすぐに手綱を引き、周囲へ視線を走らせた。


「警戒しています」

「この馬が?」

「はい。先ほどから落ち着きがありませんでした」


 ソフィアは馬から降りる。


「ルナリス様。少し待ってください」

「分かったわ」


 しかし、ルナリスは周囲を見た瞬間、違和感を覚えた。


 森の中。薄暗い木々の間。

 地面の近くに、細い赤い線が見える。

 それは、普通の人間には見えないほど淡い魔力の糸だった。


「ソフィア、待って」


 ソフィアが振り返る。


「何ですか」

「駄目。その先、行かないで。赤い線がある」


 ソフィアの目が細くなる。


「術式ですか」

「ええ。木と木の間に張られてる。気持ち悪いわね、まるで蜘蛛の巣よ」


 ルナリスは馬から降りようとする。


「私が見に行くわ」

「危険です」

「分かってる。でも、あんたには見えないでしょう」


 ソフィアはすぐに否定しなかった。

 代わりに、ルナリスへ手を差し出す。


「ゆっくり降りてください」

「横抱きにしないの?」

「ご希望なら」

「要らないわよ!」


 ルナリスはソフィアの手を借りて、馬から降りた。


 赤い魔力の糸は、地面すれすれに張られている。

 一本ではない。数本だ。

 周囲の木々や岩へ繋がり、見えない網のように道を塞いでいた。

 その厄介さに気を取られず、ルナリスは冷静にある程度の結論を出す。


「……人間の術式ね」


 ルナリスは呟く。


「昨日の首輪と似ている。魔力を感知して、反応を送るための術式よ」

「信号用ですか」

「ええ。ただし、これは首輪より厄介ね。通った相手の魔力を拾って、相手に知らせるだけじゃない」


 ルナリスは糸を指さす。


「下手に切れば、近くにいる誰かへ『誰かが罠を見つけた』って伝わる。一言で言えば、面倒な罠よ」

「では、迂回しますか」

「それも駄目」

「……理由を」

「見て。道の左右にも、糸が伸びてる。この一帯を囲ってるのよ」


 ソフィアは周囲を見る。じっと目を凝らし、ルナリスの見ている世界へ踏み入れる。


「ソフィア、何やってるの?」

「私も見てみようかと」

「いくら貴方が人間離れしているからってそう簡単には……」

 

 ソフィアが目を凝らしてちょうど一分。

 確かに、見えた。木々の間に細い糸が何本も張られていた。進んでも、戻っても、森へ入っても、どこかで術式に触れてしまう。


 「見えました。確かに、かなり複雜ですね」

 「見えたの!?」


 ルナリスは思わず声を上げた。人間には見えるものではないからだ。

 ちょっとやそっとの努力で見えるのなら、苦労しない。

 そんな事を考えるルナリスに対し、ソフィアは冷静に答える。


「……実は自分でもよく分かっていません。魔族との戦いでも、時々ハッキリと魔力そのものが見えることがありました。便利は便利なので、特に気にしたことはなかったのですが……」

「もっとそういうのは気にしなさいよ……まったく」


 ルナリスは腕を組む。


(ソフィア、貴方は一体何者なの? いくら聖騎士とはいえ、そんなに高精度で魔力を見ることなんて可能なのかしら?)


 ソフィアは人間離れしている。という説明で納得しそうだが、ルナリスはそれを良しとしない。

 気にはなる。だが、それは今じゃない。身の安全が完全に保証された後に、ゆっくり考えるべき話だった。

 ルナリスは静かに首を横に振り、話を戻した。

 

「それにしても、敵は、この旧道を知っていたのね」


 ルナリスの声が低くなる。


 作戦はシンプルながら効果的だったと思う。

 こちらは陽動部隊を出した。それを察知した敵は宿場町で待っているはずだった。


 なのに。

 旧道にまで罠がある。

 これが何を意味するか……。


 ルナリスが再び考えを話そうとした瞬間、ソフィアは静かに首を横に振った。


「断定はまだ早いです」


 ソフィアは静かに言った。


「敵が私たちの作戦を読んだ可能性はあります。だからこそ、旧道を通る者すべてを監視するため、前から罠を置いていたというのは十分考えられます。あるいは、全く別の理由か」

「でも、嫌な可能性ばかりね」

「はい」


 ソフィアは剣の柄へ手を置く。


「だからこそ、ここで慌てません」

「……どうするの?」

「ルナリス様」


 ソフィアは、まっすぐ彼女を見る。


「協力を要請します」


 その言葉に、ルナリスは一瞬だけ目を見開いた。

 再び、ソフィアが自分を頼ってくれたこと。その事実に、ルナリスは高揚した。


「この術式を、反応させずに対処できますか?」

「……できるかもしれない」

「できるかも、ですか」

「これじゃ嫌かしら?」

「まさか。可能性がゼロじゃないなら良いです」


 ソフィアは首を横に振った。


「ルナリス様が少しでもできると言うなら、私はそれを信じます」


 ルナリスの胸が、少しだけ熱くなる。


「任せなさい」


 ルナリスは術式の前へ進む。

 赤い糸へ、そっと手をかざす。


「この術式は、要は目よ。通った者の魔力を察知するの。なら、その目を眠らせればいい」

「眠らせる?」

「そうよ。気づかれないように、ほんの少しだけ」


 ルナリスの赤い瞳が、淡く光る。


「――『月影よ、木漏れ日の中で僅かな休息を』」


 掌から赤い魔力が流れ出す。

 細い糸へ触れる。赤と赤が混ざり合い、森の中で小さな火花が散った。


 ――次の瞬間、術式が抵抗する。


「……っ」


 ルナリスの額に汗が浮かぶ。


「大丈夫ですか」

「黙って。今、集中してる」

「分かりました」


 ソフィアは本当に黙った。


 ただ、剣を抜き、周囲へ向けて構える。

 何かが出れば、すぐに斬れるように。


 赤い糸が、少しずつ暗くなる。

 魔力の光が薄れ。

 やがて、完全に消えた。


「……やった」


 ルナリスは息を吐く。


「成功よ。今ならこの範囲の術式は眠ってる。通っても私たちの魔力を拾わないわ」

「見事です」

「……それだけ?」

「流石はルナリス様です。その手腕には驚かれてばかりです」

「! ふ、ふん! 褒めすぎよ」


 ルナリスが顔を赤くした、その時だった。

 ソフィアが地面へ膝をつく。


「何してるの?」

「足跡です」


 土の上には、いくつもの靴跡が残っていた。

 新しい。しかも、複数人分。


 ソフィアは内心、舌打ちをする。

 罠に気を取られ、基礎的な行動が抜けていた。

 何が聖騎士だ。ソフィアは改めて気を引き締めた。


「この罠はかなり最近に仕掛けられています」


 ソフィアは指先で土に触れる。


「昨夜か、遅くとも一昨日です」

「……じゃあ」

「旧道を通る可能性を、敵は想定していた」


 森の空気が、急に冷えたように感じた。

 敵は、宿場町だけで待っているわけではない。


 こちらが逃げる可能性のある道。

 こちらが選ぶ可能性のある作戦。


 それらすべてに、手を伸ばしている。

 やはりただの敵じゃない。ここまで執拗に対策をされているのなら、もはや認めざるを得ない。


「ソフィア」

「はい」

「どうするの」


 ソフィアは、猟師道の先を見た。


 罠を越えれば、ラディアへの最短距離。

 だが、敵もその先にいるかもしれない。


 この任務の意義。勝利条件。それら全てを理解している彼女に、迷いはなかった。


「道を変えます」

「また?」

「ルナリス様を無事にラディアへ送り届けるのが任務です。その任務に敵の殲滅は含まれていません。よって、わざわざ敵が待つ道を通る必要はありません」

「でも、他に道なんて」

「あります」


 ソフィアは森の奥を指した。


「この先に浅い川があります。川沿いを進めば、足跡が残りません。馬には少し負担をかけますが、確実に通れます」

「……あんた、そんなことまで知ってるの?」

「戦争中、この辺りで三日ほど迷いました」

「迷ったの?」

「はい。ですが、その時に地形を覚えました」


 どこか自慢げに言うソフィア。

 そんな彼女に、ルナリスは冷静にツッコミを入れる。


「それ、胸を張ることじゃないわよ」

「生存していますので、結果としては間違っていなかったかと」


 ルナリスは苦笑する。


 不安が消えたわけではない。

 敵は近い。そして、こちらの手を読んでいる。


 だが。


「分かったわ」


 ルナリスはソフィアの手を取った。


「今度は、あんたが知ってる道を信じる」


 ソフィアは少しだけ目を見開く。


「了解しました」


 二人は再び馬へ乗る。


 猟師道を外れ。

 地図にも載っていない、浅い川の方へ。


 敵が待つ道を避けるために。


 魔王の娘と人類最強の聖騎士は、誰も知らない道を進み始めた。

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