第10話 魔王の娘、護衛と二人旅を始める
夜が明ける頃。
草原には薄い霧がかかっていた。
護衛騎士たちは、ほとんど眠れていない。
夜襲の後であり、敵が次の宿場町に罠を張っている可能性も高いのだ。警戒や不安は当然のことだった。
その中にはルナリス含まれている。彼女もまた、天幕の中で目を覚ましていた。正確には、眠ってなどいなかった。
「……朝から重い空気ね」
天幕の外へ出る。
そこには、護衛騎士たちを集めたソフィアの姿があった。
白銀の髪は朝露に濡れることもなく、鎧も昨日の戦いの後とは思えないほど整えられている。
彼女の顔をじっと見つめる。相変わらず、誠実で真面目そうな表情だった。その目元には、やはり寝た形跡がない。
ソフィアがルナリスに気づいた。
「ルナリス様。起こしてしまいましたか」
「起きてたわよ。敵がいるって分かってるのに、ぐっすり眠れるほど図太くないの」
「そうですか。では、ちょうど良いところです。ルナリス様もぜひ話に加わっていただけると」
「良いけど……何?」
ソフィアは、地面に広げた地図を指し示した。
「作戦を変更します」
「作戦?」
「ルナリス様も勘づいているとは思いますが、このまま次の宿場町へ向かえば、敵の思惑通りです」
地図には、今いる草原と、目的地であるラディア中立都市。
そして、その中間にある宿場町が記されている。
「昨日の刺客は言いました。私たちが宿場町へ到着する前に、準備を終えると」
「ええ。聞いたわ」
「だから、行きません」
ソフィアは地図上の街道を指でなぞる。
「ですが、護衛騎士の皆さんには、馬車と共に予定通り宿場町へ向かっていただきます」
その言葉に、騎士たちがざわめいた。
「ソフィア殿。それでは、姫様は」
「私とルナリス様はこちらの旧道を通ります」
ソフィアの指が、街道から外れた細い線を叩く。
「灰狼の森の北側を抜ける、古い猟師道です。馬車は通れませんが、馬一頭であれば抜けられます。道中に町はありません。しかし、宿場町を経由するより半日ほど早く、ラディアへ向かうことが出来ます」
「つまり――」
ルナリスが言う。
聡いルナリスはすぐにソフィアの言いたいことを理解した。
「護衛騎士たちが囮になって、私たちは二人だけで目的地へ行くのね」
「その通りです」
あまりにも即答だった。
自分で言っておいてなんだが、ルナリスは少しだけ、言葉に詰まる。
「……二人だけで?」
「はい」
「本当に?」
「私とルナリス様だけです」
「そういう意味で聞いたんじゃないわよ!」
ソフィアは少しだけ首を傾げた。
「では、どういう意味でしょうか」
「知らないわよ! もう良い!」
朝から疲れる。
ルナリスは額を押さえた。
すると、五十代のベテラン護衛騎士が一歩前に出た。
「ソフィア殿。自分たちが囮になること自体は構いません。むしろ誉れです。しかし、敵の数も分からない。馬車を見せれば、こちらへ強い戦力が集まる可能性もあります」
ベテラン護衛騎士は続ける。
「……若い奴もいます。いざとなれば自分がその命を捧げますが、自分だけの命で収まる事態にならない可能性もあります。その際の方針を聞きたい」
「無論、いたずらに命を捨てさせる作戦ではありません」
ソフィアの返答は静かだった。
「最初に言った方が良かったですね。これは捨て駒になる作戦ではありません」
碧い瞳が、護衛騎士たちを一人ずつ見た。
「敵の姿を確認したら、交戦を避けてください。これは最優先事項です。馬車を捨てても構いません。敵を引きつけた後、東の検問砦へ退避してください」
「ですが、姫様の馬車を捨てるわけには」
「捨ててください。馬車と人命……比べるまでもありません」
ソフィアは言い切った。
「皆さんの命より優先するものではありません。これは命令です。誰も死なないでください」
騎士たちが、静かになった。
ソフィアは続ける。
「まだ見ぬ敵との勝利条件を確認します。敵をラディアから遠ざけ、私たちが先に到着できれば勝ちです。皆さんには、それを手伝っていただきたい」
その言葉は、いつもの命令とは少し違った。
短い付き合いながら、ルナリスは気づいていた。
ソフィアは今、彼らへ役割を押しつけているのではない。
自分とルナリスのために、力を貸してほしいと言っている。
「……了解しました」
ベテランの護衛騎士が、強く頷く。
「ソフィア殿。姫様を頼みます。我らは可能な限り、脅威を引きつけます。どうぞ、快適な旅を」
「はい」
ソフィアは短く答えた。
「必ず、ラディアまでお連れします」
◆ ◆ ◆
「で、囮の馬車に私が乗っているように見せる方法は?」
ルナリスは、馬車の前で腕を組んでいた。
敵は自分を狙っている。空の馬車が進んでも、すぐに見抜かれるのではないか。
その疑問に対し、ソフィアは小さな魔力石を差し出した。
「これを使います」
「魔力石?」
「ルナリス様。貴方の魔力を少しだけ移せますか」
「私の魔力を?」
「はい。敵が魔力を探知できるなら、こちらが馬車に乗っているように誤認させられるかもしれません」
「そういうものかしら?」
「そういうものです。こういう小さな積み重ねが結果を出すのです」
ルナリスは魔力石を受け取った。
透明だった石が、手の中で淡い赤色に染まっていく。
「そういうことなら、やるわ」
ルナリスは目を閉じた。
「……私の魔力を、そのまま入れると強すぎるわね。少し薄めて……人間には分かりにくいけど、魔族や魔力探知に慣れた者なら気づく程度にする」
赤い光が、石の内部でゆらりと揺れた。
「はい、出来た。これで、私が馬車の中にいるように感じるはずよ」
ソフィアは、少しだけ目を見開いた。
「流石です」
「……え?」
「とても助かります。……ルナリス様は昨夜から、何度も私たちを助けてくれています」
ルナリスの顔が、少しだけ赤くなる。
「な、何よ。急に普通に褒めないでよ!」
「普通に褒めています」
「そうよ。だから困るのよ」
「困るのですか?」
「困るわよ!」
ソフィアは困ったように黙った。
ルナリスは顔を逸らしながら、魔力石を馬車の座席の下へ置く。
「これで、囮の準備は終わりね」
「はい」
「……上手く騙せるかしら」
「騙せます」
「何でそんなに断言できるのよ」
「ルナリス様の魔力を、私が信じているからです」
「だから、そういうことを真顔で言わない!」
◆ ◆ ◆
陽動部隊が、草原を進み始める。
王国の旗。明らかに魔王の娘を乗せているように見える馬車。
その周囲を固める護衛騎士たち。
遠くから見れば、昨日までと変わらない一行だった。
ただし。
本物の魔王の娘と、彼女を護衛する人類最強の聖騎士は、そこにはいない。
「……行ったわね」
草原の外れ。木々の影から、ルナリスは馬車を見送っていた。
その隣には、黒い馬が一頭。
「まさか、これに二人で乗るの?」
「はい」
ソフィアは当然のように答えた。
「馬車は陽動に使います。私たちには、この馬しかありません」
「私、馬に乗ったことないんだけど」
「知っています」
「いつから知ってたの!?」
「馬車酔いをしている方が、馬に慣れている可能性は低いと考えました」
「言い方!」
ソフィアは馬へ近づく。
黒い毛並みの馬は、彼女を見ると静かに鼻を鳴らした。
「この子は大人しいです。私の後ろに乗ってください」
「後ろ?」
「手綱を握るのがご所望であれば」
「そっちじゃないわよ!」
「では、何が問題でしょうか」
「……あんたに掴まるのが、何か、こう……」
ルナリスは少しだけためらっていた。
ソフィアは控えめに見て、美人だ。事務的な言動さえどうにかなれば、引く手あまたであろう。
そんな女性の身体に手を回すのが、少しだけ恥ずかしかった。
「落馬防止です」
しかし、そんなことをソフィアは知る由もなく。
相変わらずの事務的な口調で促した。
「分かってるわよ!」
ソフィアは少し考えた後、ルナリスへ手を差し出した。
「乗れますか」
「……乗るわよ」
ルナリスは、その手を取った。
ソフィアは軽々とルナリスを馬の背へ乗せ、その前へ自分も跨がる。
思ったより近い。白銀の髪が、すぐ目の前にある。
背中越しに、鎧の硬さと体温が伝わってくる。
やはり、緊張する。
「ルナリス様」
「な、何よ」
「腰へ腕を回してください」
「はぁ!?」
「落ちます」
「もっと他の言い方ないの!?」
「ありません」
ルナリスは数秒だけ抵抗した。
だが、馬が一歩だけ動いた瞬間。
「わっ」
反射的に、ソフィアの腰へ腕を回していた。
「……これで良いですか」
「はい。完璧です」
「言わないで」
「何をですか」
「完璧とか」
「何故ですか」
「もう良い! さっさと行くわよ!」
馬が歩き出す。
陽動部隊とは逆方向。
人の手が入っていない、細く険しい猟師道へ。
森の匂いが濃くなる。
朝の冷たい空気が、二人の頬を撫でた。
しばらく進んだ後。
「ソフィア」
「はい」
「この道、戦争の時にも使ったの?」
「えぇ。使いました」
ソフィアの声が、少しだけ低くなる。
「魔族領へ攻め込むために。多くの人間が、この道を通りました」
ルナリスは、ソフィアの背中へ回した腕を、少しだけ強くした。
「……今は?」
「今は、和平のために通ります。昔とは違います」
白銀の髪が、朝日に揺れる。
「私は必ずルナリス様をラディアへ連れて行きます。誰に邪魔されても、絶対に」
ルナリスは返事をしなかった。
ただ、ソフィアの背中へ額を軽く預けた。
「……頼んだわよ、最低の護衛」
「承知しました」
二人を乗せた馬は、誰も待っていない道を進んでいく。
敵が待ち伏せる宿場町から離れ。
魔王の娘と、その護衛だけの旅が始まった。




