合宿の始まり
「宮本君ってめちゃくちゃかっこよくない?」
「えーまぢわかるわ笑」
夕方の教室で騒ぎあう女子、昼間の教室では大声でできない話も、人の居なくなった教室では拒むものは何もない。
宿題を忘れたので、教室に取りに戻る最中だった。足が止まる。
「それなー、てかさ、波君っているじゃん。あそこの席の」
「あーいるよね」
「波君ってさ、何考えてるかわからないよね」
「えーわかるかも、なんか常に怒ってそうだよね。ハヤちゃんは?最近波君と話してなかった?ワンちゃん脈あり?」
「んー波君は、無しかな」
「ハヤちゃん辛辣ー」
「それでさー.......」
教室のドアの窓から夕陽が差し込む。教室に入ろうと思いドアの前に立っていた。僕にはその話を無視して宿題を取りに行くほどの度胸は無かった。後ろを振り返り元来た道を引き返す。そのあとのことは覚えてない。何も頭に入ってこなかった。
嫌な夢を見た。そういえば中学の頃、好きな人がいた。その子は運動部で、一生懸命に試合に勝とうとする姿に、憧れと好意を抱いていた。でも、放課後のあの会話を聞いてから、人に好きとか、もう思わなくなった。中学の記憶といったらそれくらいしか覚えていない。というか思い出せない。あの出来事の後、もう何も頭に入ってこなかった。そのようにして僕の初恋は思わぬ形で潰えていた。
時刻は六時ちょうど、合宿の集合時刻は七時半。何事もなければ間に合う。 夢のことは忘れよう。
支度を早々に終え、着替えを持って家のカギを閉め学校に向かう。
バスの中では、顧問や監督は何も言わず、生徒たちの自由時間となっていた。同じクラスの渡部や吉岡部長、サワちゃん先輩などが楽しそうに旅行気分を味わっているようだ。飲み物を頬いっぱいに含んだ吉岡部長が渡部の方を向いたとき、サワちゃん先輩が後ろから頬を潰して渡部のズボンに吐き掛けていた。
「え!!ちょ、何やってんすか部長!俺のズボンがっ」
幸いシートには掛かっていないようで、全ては渡部のズボンが吸収していた。なかなか面白い光景に他の部員も大笑いし、バスの中が喧しくなっていた時、谷先生が「お前らうるさいし!それにもうつくぞ」と部員たちに一喝し、バスは停車した。バスから降車した後、ミーティングの際、渡部の股間周りだけが濡れて色濃くなっているのを見た谷先生が「あとで俺のところに来い」と言い、他の部員たちが声を殺して笑う中、渡部は納得のいかない顔で吉岡部長を睨んでいた。一方、吉岡部長は太陽の方を向きながらひゅーひゅーと下手くそな口笛を吹いていた。
合宿先は、学校と行っても差し支えないほどの広さの体育。バレー部だけで使うには広すぎる、さらに奇麗に清掃されている宿泊施設。こう見ると学校からの運動部への期待の大きさを再認識する。自分はここで三日間手伝いをすると思うと気が疲れてしまいそうだ。
「おい、知ってるか?」
戻ってきた渡部はバスの時より少しやつれている様に見えた。きっと先生に怒られたのだろう。ズボンも運動用の半ズボンに着替えておりビニール袋に濡れたジャージが入っているのが見えた。
「何の話?」
「お前はあんまし興味ないかもしれないけどさ、実はこの合宿、室内運動部ほぼすべてが来ているんだよ」
胸を張り、遠くを見つめながら、渡部は達観したように話した。
「つまりどういうことかというと、そういうことですね渡部君」
渡部が来た方向から、お坊さんのように悟りを開いた状態の吉岡部長が歩いてきた。もしかして、一緒に怒られていたのだろうか。
「はい部長、そういうことです。なにせこの合宿施設は海が近い、五分も歩けばもう海なんだよ」
「そうなんだ渡部くんよ。俺たちは目に焼き付けなきゃいけない!女子たちの水着姿を」
渡部の隣に立ち、腰に両手を当て、遠くを見る吉岡部長。
たしかにバレー部だけで使うには大きすぎる体育館だと思っていたが、そうか、他の部も来るのか。
そして女子の水着が見たいと、大変直球な感情だと思いつつも、ここまで何も包み隠さずに言える二人に少し関心した。
「申し訳ないんだが、5月って海入れなくないか?温度的に、水着持ってこないだろ」
仁王立ちする渡部と吉岡部長の間から、二人の肩を叩くように割って入ったサワちゃん先輩。
電流が走ったように硬直する二人。口を開いた状態で立ち尽くす。「さあ、練習するぞ」とサワちゃん先輩は張り切って体育館へと歩いて行った。自分もその後ろをついていく、振り返ると、二人からは色が抜けていた。脱色された二人は遠くを見るよう立ち尽くしていた。
練習は合宿前よりもハードに見える。監督が台の上に立ち、ボールを左右に打ち分け、どこにボールが落ちるかわからない中、みんなの瞬発力をとレシーブ力を鍛えているのだろうか。練習中のみんなの視線は貪欲にボールを追っており、渡部や部長も、さっきまで色が抜けていたとは思えないほどの集中力。さながら獲物を狙う肉食獣のようだ。その中でも一際目立つのは、やはりサワちゃん先輩だった。高い身長はもちろん、ボールに追いつくスピードが人の倍速い。この人がこの学校の弱小バレー部を準強豪レベルまで引き上げているように思える。
「休憩10分!」
みんなが水分補給している間、サワちゃん先輩は一人でボールに触っていた。この人のこういうところが強さの秘訣なのだろうか。
「なあー波ぃー、ドリンク作ってきてもらっていいかー?これもう空っぽだわ」
空っぽになったジャグを見せつけてドリンクを懇願する渡部だった。
「今作ってくるからーまってて」
次のメニューの準備を手伝っていたが、監督が「作ってやってくれ」と渡部を指さして言っていたので、そっちを優先する。
五月といえど気温は高い。午後になり多少は涼しくなったが、風の影響を体育は受けない。バレーボールは風の影響をあまり受けないから窓を開けていても問題はないが、バドミントン部が来たら窓は占めてあげないといけなくなるだろう。
体育館を出て、ロビー近くの蛇口で水を入れていると、ほかの部活も続々と体育館に入っていくのが見えた。
ジャグに水を入れ終わり、戻ろうとしたとき、一人遅れてロビーで靴を脱ぐ男がいた。靴を履き終え颯爽と走り始めたとき、段差に足を引っかけ転倒した。『すってんころりん』が効果音で聞こえてきそうなほどの転びっぷりだった。
「あの、大丈夫ですか?」
あまりにも盛大に転んだので声をかけずにはいれなかった。しばらく恥ずかしそうに床と接吻していた彼だったが、はっと起き上がり僕を見た。
「ぁ...あの!ありがとう!でも大丈夫だから。ほんと....だいじょぶ..」
彼は鳥が飛ぶような軽い足取りで立ち上がり、服に付いた埃を両手で掃った。
「あの!俺、柳 史晴!バドミントン部!よろしく!」
男ながらに女のような端正な顔立ち、遠くから見たら、それはそれはかわいい女の子に見える。が近くで見ればやはり男のようだ。
「僕は、波コタロウ、よろしく」
あまり正面からの自己紹介は、した経験がなかったので少し照れ臭かった。
「波君か、よろしく!、それじゃ!急いでるから!」
柳君はそのまま嵐のように去っていった。
ジャグに水を入れっぱなししていたのを思い出し、慌てて水道を閉めた。ジャグを持ち、バレー部のところに戻る。しかしこの体育館、ロビーから中まで少しいりくんでいるためか少し歩かないといけない。ロビーの角を曲がったとき、見覚えのある人が一人、泣きべそをかいたように慌てふためいていた。柳君だった。すぐにこちらに気づいたようで、慌てるように近づいてきた。
「先輩、見失っちゃった。どこいけばいいのこれ?」
「僕も中に用あるから、ついてきて」
少し歩いて大きいドアをスライドさせて中に入る。途中「あぁここだったんだぁ」と小さい声で柳君が呟いていた。この人はいちいち言動が可愛らしいというか、子供っぽい。中に入ると、バレー部とは離れたところにバド部が集合しており、もうすでにミーティングを始めているようだった。
「わぁもう始まってる!波君ごめん、そしてありがとう‼」
また、足をバタバタとさせ地面を滑るようにバド部の方へと走っていった。やはり嵐のような子だった。
「ジャグいれました、コップ横置いておきます」
元の位置にジャグを戻し、練習の邪魔にならないところに避ける。今はスパイクの練習をしているようだ。実戦形式に近いような練習なのだろう。スパイクのフォローとブロック、それにレシーブも入っている。監督はコート横に立ち、それぞれに声をかけていた。「足動かせ!」「ボールよく見ろ!」など、みんなの動きを分析し、即座にアドバイスを出していた。
メニューもひと段落ついて、残るは試合のみとなっていた。今の男子バレー部はちょうど十二人いるので練習試合もギリギリできるようだ。
「マネ!少しいいか?これなんだけど、二階のキャットウォークにコート映るように置いて録画しておいてくれ」
サワちゃん先輩は三脚とビデオを僕に持たせてきた。どうやら録画を見返して改善点を見つけるらしい。
体育館二階の通路、キャットウォークと呼ばれる場所に三脚を準備し、録画ボタンを押した。 二階から見る景色はすべてを把握できる。すでにほとんどの運動部は体育館に集合しており、試合や練習を始めていた。体育館を広く見渡して、目に留まったのは女子バスケットボール部とバドミントン部だった。
バスケ部は試合に移っており、激しい運動と掛け声が錯綜していた。ひときわ目立つのはやはり渚さんだった。ニュースで取り上げられるくらいの期待が懸かってるだけあって動きは機敏そのものだった。ドリブルはもちろん、一瞬で周りの情報を処理して的確なパスを出す。まるで、今の自分のようにコート全容を上から見ているようだ。アシストもさることながら、今の試合中、自分で打つシュートは一回も外していない。見ていて華やかしさと力強さのあるプレーだ。
バドミントン部はコートが六つほど準備されていて、それぞれ試合をしているようだ。見ていると目に留まったのはさっきの柳君だった。先ほどの慌ただしい様子とは一変、真剣に相手を見つめている。試合中のようだが点は20-3、ゲーム数は1-0。圧倒的な点差をつけていた。ほぼ勝ち確定のようだ。
どのコートよりも先に試合が終わり、柳君は息一つ上がっていないように見えた。まるで絶対王者のような風格。
そろそろバレー部の練習が再開するようで、コートに6人ずつで別れて並んでいた。「おねがいしゃーす!」と声高らかに、ネット前まで集まりじゃんけんをし、サーブ権を決めた。今日の練習はこの試合とフィードバックで終わりなので、体育館二階から階段を下り、雑巾とモップを準備しよう。
「フィードバックは以上だ。明日もあるから、早く寝ろよー」
「波ー。夜錬したいんだけど手伝ってくれない?」
合宿前に男バレのマネージャーになってからなんだかんだ渡部には優しくしてもらっている。渡部は「あはは!お前元気なさそうだな。腹減ってんのか?」とバナナを渡してきたのが始まりだった。なにかと気にかけているのだが、それは誰に対してもだった。練習の合間にはチームメイトとのコミュニケーションを欠かさない。他の人曰く、あまり勉強は得意ではないらしい。『愛すべきバカ』らしい。
「もちろんいいよ」
「さんきゅー、確か飯は8時半までだったよな...じゃあ二時間くらいか」
「準備しておくよ、渡部は休んでおいて」
「あーい、まじさんきゅーな!」
渡部はトイレの方へと歩いて行った。
夜錬は他の部活も自由参加らしく、ちらほらと練習している人がいる。広い体育館を見渡していると改めて合宿に来たということを再認できる。
渚さんは他のバスケ部員が帰る中、一人でシュートの練習をしていた。シュートがゴールリングに当たり跳ね返ってしまった。彼女がボールを拾った時、目が合った。とりあえず会釈だけはしておく。渚さんは一瞬目を逸らしたが、何かに気づいたようでカバンを拾いながら近づいてきた。
「おつかれ、波君。これから夜錬なの?」
「うん。それよりどうしたの?」
「あ!これ!ジャージ。私のはもう汚れ落ちたから」
彼女はカバンから、きれいに畳んだジャージを取り出し僕の腕に置いてきた。落書きを『汚れ』というあたり、まだいじめは明らかになっていないのだろう。ただ、合宿前より顔色が良くなっている気もした。 自分が誰かの役に立ってたのかと思うと、なんだかうれしいような気恥ずかしさが胸の内から込み上げてくるのを感じた。
「あれからは?」
「しばらくは何もされてないから。大丈夫」
顔を斜め下に逸らし、腕を後ろで組みながら、少し恥ずかしそうに答えた。五月後半に大会があるといっていたのでそれまで練習に集中できる環境が乱されなければいいのだが。
「応援してるから、頑張って」
「あ...あたり前でしょ!」
渚さんは下を向いて答えた。前髪で顔が見えなかったが、運動後だからか少し顔が高揚している様に見える。少しの沈黙の後、何か思いついたようにこちらを見つめてきた。その視線は僕を見ているようで遠くを見ていた。
「波君さ、このあとなんだけどさ.... 」
「ふー、すっきりしたぜー」
渚さんが何かを言いかけていたとき、僕の注意を逸らすような大きな声で渡部が、手を上げながら近づいてきた。
「お!なぎさじゃん。相変わらず真面目に練習してんのか。っておい!うちのマネージャーは女バスには貸さないぞ!」
「わたべ...死ね!」
「え、なんで怒ってんの?」
「うるさい!てか、練習バカはあんたもだろ!」
この会話を聞く感じ、二人は旧知の仲なのだろう。茶化す渡部の足に、強烈な蹴りを入れる渚さん。渡部は蹴られた足を抑え、高い声を上げて転がりまわった。足の痛そうな渡部に、夜錬をしようと声をかけ、手を差し伸べた。
「ありがとう波、片づけて飯、いこうぜ」
夜錬も終わりの雰囲気が流れ、片づけを始める。レシーブにスパイク、トスなど、今日のメニューに、監督からのフィードバックを受けた内容の総復習のような練習だった。途中、僕もバレーの基礎を教えてもらった。筋は良いといわれたが使うことはなさそう。
最後にネットのポールを片付け、渡部と体育館を出ようとしたときに、渡部が近くで練習していた渚さんに声をかける。
「渚!、飯。一緒にどうだ?」
体育館中に響く渡部の声に集中していた渚さんは、電流が走ったようにビクッとして僕たちを見た。声をかけられるまで気づかないほどの集中力に心底関心する。彼女は小さく頷いたあと、ボールをカゴに戻した。
「しゃーねえな、波、手伝ってやろうぜ」
「もちろん。そのつもりだったよ」
片付けを終え三人で宿泊施設向かっていた。時刻はまだ十九時、午後の練習が終わったのが十七時だったので二時間ほどの練習だったようだが、体感はあっという間に思える。後ろを歩く渡部と渚さんは、修学旅行は沖縄か北海道かで喧嘩しながら歩いており、渡部はきっと、水着が見たいんだろうなーと思いながら話を聞いていた。
今日はどの部活も練習が早めに終わっていたためか、既に席はガラガラになっており、今ご飯を食べている人はほとんどいなかった。今日のメニューはハンバーグのようで、おろしソースかデミソースかを自分でかけて食べるシステムのようだ。とりあえずでおろしソースをかけ、席につく。渚さんと渡部も程なくして席に座り、そろって「いただきます!」と合掌し食べ始めた。雑用後のご飯に喜びを覚え始め、自分の舌が肥えていくのがわかる。今までは適当なパンやジュースでご飯としていたため、久しぶりのちゃんとしたご飯に食べきれるか心配だ。
食事中も二人は、デミソースの方がいいか、おろしソースがいいかで揉めていた。お互いを尊重する気持ちはこの場にはいらないのだろう。
二人の他愛ない会話聞きながら、ご飯を食べていた。
「ごめん、ココ、いいかな」
未だに喧嘩し続ける二人の会話を遮るように一人、遅れてやってい来た人が四人席の残り一席、渚さんの隣に座った。渡部は慣れたように座った彼に話しかけた。
「柳じゃん、久しぶりじゃん?」
「久しぶり、かなでも久しぶり」
「久しぶり、元気そうでよかった」
柳君は二人に挨拶した後、「僕はデミソース派だよ」と言ってご飯を食べ始めたのだが、僕の方を見て何か思い出したように話した。
「波君だよね、さっきはありがとう。場所わかんなくなっちゃって」
「大丈夫だよ、柳君こそ、ミーティング遅れて行ってたけど怒られなかった?」
「え....うん...いつものことだから...」
恥ずかしそうに下を向いて告白した柳君に、渡部と渚さんは「方向音痴だもんねー」と温かい目で見てあげていた。渡部と渚さん、それに柳君も、やはり旧知の仲だろうかと三人を見ていると、渡部から三人は同じ中学出身でずっと同じクラスだったと知らされた。三人とも一年で運動部のレギュラーだということを考えると、類は友を呼ぶということなのだろう。
「波君、"さん"、つけなくていいからね。僕も波って呼ぶから」
その後四人で夕食を食べ終え、風呂に入るということで女子の渚さんとは一旦別行動となり、三人で大浴場に行った。
二人は長風呂らしく、もう少し長く入っていたいということで僕は先に上がっていた。休憩所の近くに自販機が並んでいたので、アイスでも食べて待っていよう。抹茶のアイスを購入し近くのベンチに座って食べる。今日は初日とはいえ、普段しないような生活だったためか疲れが漏れ出るように押し寄せてきた。アイスの糖分が体に補給し体をぐったりとさせる。だんだん体が鈍くなり、意識が途切れてきた。早く部屋に戻って寝なければ。ふらふらする頭を自販機の横に預ける。朦朧とした意識の中、ある言葉を思い出す。
『何かしてあげたいと、思ったんでしょ?』
あの教室で、凛とした表情で僕を見つめる彼女の姿が脳裏をよぎる。
「先輩.... 」
肩を指でつつかれ、朦朧とした意識が一瞬目を覚ます。がやはり睡魔には勝てず、頭がふらふらと行き場を失いその場にあった何かに頭を預ける。
「波くん、起きて、風邪ひくよ?」
はっと息を吹き返し、自分がベンチで寝そうになっていたことを思い出す。頭を起こし、思い目蓋をこすりながら下を向いてると、渚さんが覗き込むようにこちらを見ていた。風呂上りだからか、彼女の顔が少し火照っており、シャンプーの匂いも相まってより色っぽく見えた。
「.......渚さんは、風呂上り?」
「うん..残りの奴らは?」
「長風呂派らしくて...」
「私はのぼせちゃうなー」
少し間、沈黙が流れた。遠くから人の声が聞こえているが、その程度の静けさだった。渚さんは下を向いた後、前髪を直しながら話す。
「その...波.... 。私は呼び捨てでいいよ... 」
「......あ、うん。渚... 」
少し気恥しくなり、首をさすりながら名前を呼んだ。
「その...さっき先輩って...」
何を確かめるようにこちらを見ていた渚。先輩がどうかしたのだろうか。というか、そんなこと言っていたのだろうか。その続きを聞こうとしたとき、渡部と柳が暖簾をわけて風呂から出てきた。
「おっすー」
「波、上がるの早いねー、なぎさも」
「のぼせるからねー」
二人が合流し、また他愛ない会話をしながら一喜一憂する三人を見ていた。話し始めて数分後、渡部がトランプするべーと声をかけてきた。
「ごめん。僕は先に寝るね、体力がもたないよ」
渡部が「明日は絶対だぞー」と三人とも、またね!と手を上げて僕を見送ってくれた。
足取りは重く、だがそれを表に出さないよう部屋へと戻る。今日は疲れた。




