わだかまり
連日、篁邸での勉強会が開催され、茜と道明、遊馬が妹や弟を連れて来るようになった。もちろん夏休みの宿題対策だ。小学生の弟妹たちも大騒ぎすることはなく、ちゃんとテーブルに向かって真面目に宿題をやっている。自分の兄や姉が真面目に勉強する姿に触発されたのかもしれない。
さくらも自分のレポートや勉強をしながら中学生と小学生の面倒を上手く見てくれた。これには各家の親も感激して、昼食を交代制で作ってくれながら皆でわいわいと食べるのが日課になっている。
昼食後は、小学生達と流水が連れ立って遊馬の家に行き、一緒にテニスを教わりに行く。中学生高校生と大学生は、昼食後更に数時間勉強した後でテニスコートへと向かう。それがここ数日の日課になっていた。
七海は兄と話す機会のないまま、もどかしい思いで宿題をこなしていた。連日さくらは来てくれていたが、兄は初日に来たきり姿を現すことがなかったのだ。
あれから五日後、午後の勉強タイムで、ようやく鷹也が篁邸に姿を現した。
「よ。」
いつもながらの短い挨拶で部屋に入ってくると、恭平と司がさっそく食いつく。そして今日は双子も食いついた。
「それじゃ、お前らこっちね。」
雑に声をかけ、そのまま隣の部屋へと移動して行く。これも前回と同じパターンだ。七海はその後姿を眺めてため息をつく。
「ナナ?どうしたの?」
茜が声をかけるが、七海は「なんでもない」と言ってプリントに向かった。
「何でもなくはなくね?最近、七海なんか元気ねえじゃん。もしかして鷹兄と話してないのか?」
遊馬がズバリと核心をつく。思わず苦笑いをしてしまう道明だったが、今回は敢えて止めなかった。
「‥う。そうなんだけど。鷹兄も忙しそうだし‥何か、何て声かけていいか分からなくて。」
七海がごにょごにょと呟くように言い始めたので、遊馬は笑い出した。
「面倒なこと考えてんなー!いいじゃんかよ、最近忙しそうだからつまんねー!とか言っておけば!テニス始めたから一緒にやろうでもいいしさ。」
道明と茜が思わず顔を見合わせて笑い合う。やはり遊馬のこのストレートさは聞いていて心地良い。場合によってはハラハラさせられるが、きっと今の七海には裏の無い真っ直ぐな言葉が刺さるだろう。
「‥でもさ、あの、鷹兄は‥一族の役付き?みたいのになったことも教えてもらえてなくてさ。何か信用されてないのかなって‥」
遊馬はそれも笑い飛ばした。
「うちの父ちゃん母ちゃんも市役所で働いてるけど、職場の話とか絶対にしないぞ?後で公開される内容だとしてもさ。それと似たようなもんだろ?」
こともなげに言う遊馬に、七海の心がどくんと跳ねた。
「まあ、そこは俺も同意かなあ。役付きってことは責任もあるわけでさ。むしろ鷹兄がそんなことを勝手に吹聴するような奴だったら俺は嫌だな。」
道明までがそう言って笑顔になる。そうなると七海は、自分がわがままを言って拗ねているだけのように思え、居た堪れない気持ちになってしまう。
「でもさ、確かにちょっとショックだよね。私たちだってそりゃ、ショックだったわけだから。ナナはなおさらだと思うよー。鷹兄もどう声をかけたらいいのか、分からなかったんじゃないかな?」
茜の言葉に救われた気がして、七海は少し落ち着いた。
(そっか、ショックだったのは私だけじゃないんだ。)
考えてみればその前のバーベキューのときも、婚約の件を突然聞かされた道明達は戸惑っていた。この件はきちんと事前に七海と流水にはきちんと話をしてくれている。
そしてあの神楽祭で燐が来た時、さらりとさくらと同居していると話していたことを思い出す。「あれ?言ってなかったけ?」程度の軽いノリだった。
「‥もしかしてさ、鷹兄って‥ちょっと天然?」
道明がブフォっと吹き出し、遊馬は笑い出す。茜も、それまで黙って成り行きを見守っていたさくらまでもが笑い出した。
「七海!今頃か!!しかもちょっとどころじゃねえ!」
「あははははは!やっば!七海さすがにもうちょい早く気付こうぜ!」
「あはははは‥ごめん‥ナナ!私もちょっと同感!」
道明・遊馬・茜はとっくに気づいていたらしいことに、七海もついに笑い出した。
「あれ?‥もしかして、さくらちゃんも?気づいてた?」
「そうですね。ふふふふ‥だから面白いんです、鷹也さん。たまに‥いえ、わりと頻繁に困らされることも多いですよ?」
さくらも言いながら笑っており、どうやら自分以外は全員が気づいていたことにちょっと恥ずかしくなる。
「いや確かに鷹兄すごいんだけど、七海、ちょっと尊敬しすぎ。分かるんだけどさ!」
道明に言われ、七海はプイっとそっぽを向く。
「そんなに尊敬とかしてないし!」
その言葉に、七海以外の全員が笑ったのだった。
一方隣の部屋では。
「鷹也先輩!‥数学と化学!何か宿題がえぐい!あと英語も!」
司が一番乗りで鷹也の元に行き、早速質問攻めにする。その場で書いた図を交えながら丁寧に説明してもらい、少しでも分からない所をその場で聞いて解決していく。
「‥学校の先生より分かりやすいっす。ありがとうございました!」
司が離れると恭平がやってきて語学の課題について説明してくる。
「要するに全文要約して、感想を原語で書くってことか?」
「そういうことだ!感想も書いたんだけどさ、何かこれ文法おかしくねえ?書いているうちに意味分からなくなってな。」
原文と要約を確認して相違点を説明し、作文を添削する。
「つうかお前、中国語も普通に分かるのかよ。」
「へーこれ中国語なのか。」
恭平が呆れたように言うが、鷹也の方は興味なさそうだ。
「いや待て!中国語って認識しないまま理解してんのか、お前?」
「‥へ?言語の種類分けって必要か?」
この発言には智樹と智琉もフリーズした。そして双子たちはそれぞれ語学の課題を持ち寄り、質問攻めにしていく。それぞれの課題に対しても対応し、要約から作文までをサクサクとこなしてしまう。
「‥ちなみにそれ、何語専攻してんの?お前ら。」
恭平の質問に、智樹はドイツ語、智琉はフランス語と答えた。双子が互いに別言語をマスターすれば、協力しあえるだろうという目論見らしい。
「で、なんでお前はどっちもサラッと分かりやがるわけ!?」
「俺ら相当苦労してるんですけど!?」
双子に問い詰められ、鷹也は少しばかり困ったような顔をする。
「えー‥なんか専門書とか学術書読んでたらいつのまにか覚えた?ドイツ語とフランス語なんだ、それ。」
「いやいや‥マジで見て何語か分からないまま内容理解してんの?」
智琉が、意味が分からんといった様子で尋ねるが、鷹也はあっさりと頷いた。
「そうだけどさ、つか、見たら何語か分かるのか?すげーな、お前ら。」
「「「「そこ!?」」」」
司までもが参戦して驚きの声を上げる。
「普通、それだけの言語を理解出来ることの方がすごいんすけどねえ‥。鷹也先輩、やっぱどこかおかしいわ。」
笑いながら司が言い、恭平や双子までも笑い出す。
「そういや大学の英文レポート提出でさ、これかなーと書いて出したら別の言語だったらしくて。教授に英語で!と怒られた気がするな‥。まあ日本語じゃないからいいじゃん、って、まんま出したんだけどね。」
教授の困ったであろう様子を想像して、三人は笑い転げた。
「それで単位もらえたのかよ。」
「何か単位やらんとかゴネられたけど、へー読めないんだ?って聞いたら、今回だけだ!って大目に見てくれたよ?」
「ちょ!!何でそこで教授を煽るんすか!?」
「うわ、最悪だ!」
「お前それ絶対ダメな奴だろ!」
「教授は泣きながら読んだんだろうな‥」
4人は口々に言い、爆笑する。
「煽ってねえし。教授なんだからそんぐらい読めるだろ?一応さ、次回はこんなことがないよう、課題の説明文を提出言語で書いてねって頼んだから。まあ大丈夫じゃね?」
サラッと酷いことを言っている。
「ちょ!課題を英文で提出するなら、課題の説明内容が全部英文てことかよ!?」
恭平がうわあという表情で突っ込むと、鷹也は頷いた。
「だってどれが英語かなんて分かんねえし‥見本があれば分かるじゃん?」
「「それは全学生を敵に回したぞお前!!」」
双子のツッコミは完全にスルーされ、鷹也は「飲み物取って来るー」と言って部屋から出て行った。
「‥やっぱアレ、普通ではないよな?妹さん、七海ちゃんだっけ?アレ基準で考えたらヤバくないか?」
智樹が心配そうに呟くと、恭平と智琉、司までもが頷いた。
「うーん、努力で追いつこうとか思ってたら詰むな。」
智琉がぼそりと呟くと、恭平がわなわなと震えた。
「それを言うな!俺は中学のとき、あいつのせいで学年トップ一度も取れなかったんだからな!くっそ、俺の努力はよ!?」
「あははは!恭平先輩、それは泣くっすねー!」
「笑い事じゃねえ!!」
恭平と司のやりとりに双子もつい笑ってしまう。
「恭平、バレーボールでトラウマ植え付けられて、勉強でもトラウマになっていて、それでもこうしてつるむってさ。‥おまえもしかして‥ドMか?」
智樹がこわごわ聞くと、智琉と司が吹き出した。
「ちげーわ!‥なんつーの!?こう、ムカつくんだけど世話が焼けるというか!分かるだろ!?」
必死に弁明しようとする恭平に、双子と司は「いい奴だなあ‥」と改めて思うのだった。
鷹也が冷蔵庫から出した牛乳パックを持って歩いていると、廊下でばったり七海と出くわした。
「う、あ‥鷹兄?」
「‥ん?」
「えっと‥あの‥げ、元気?」
「‥見ての通り?」
余りに唐突に出くわしてしまったために、七海はしどろもどろになってしまい話したいのに話せない状態に陥っていた。
「宿題終わったか?」
けげんそうな顔で七海を見ていた鷹也だったが、それでも声をかけてくれた。
「あっ‥まだ、もうちょっとで。さ、さくらちゃんが教えてくれるから、その、大変かたじけなくて、助かってるです。」
妙な緊張感から、訳の分からない日本語になってしまい、鷹也が笑い出す。
「あんまり根、詰めすぎるなよ?ほどほどにな。」
そう言って七海の頭を軽くぽんぽんし、そのまま部屋へと戻って行った。触れるか触れないかくらいの感触だったが、それでも妙に嬉しくて笑顔になってしまう。
(‥ちょっと!なんで私、喜んでるの?)
あの神楽祭のときの気持ちを再び思い出す。あの取り残されたような気持ちと、何も知らされなかった無力な自分。しかし、同級生の仲間たちとその兄達、それに家族が自分を気遣ってくれ、色々な話をしてくれた。そのおかげもあってか、今はもうそこまでの寂しさは湧いてこなかった。
(‥私、ただ鷹兄と話したかっただけ‥なのかな‥?)
微かに触れられた頭に、自らの手をそっと置く。
(えっ!?わたし何してんの!?)
無意識の行動にハッとして慌てて手を下ろす。しかし七海は、少し軽い足取りで自分たちの勉強部屋へと戻ったのだった。
その後、七海達は勉強を終えてテニスコートへと向かった。さくらだけは、もう少しキリのいいところまでやりますと言って残り、4人で遊馬の家へと歩く。
「ナナ?いいことあったの?なんか表情が明るくなった。」
「別に、なにもないけど!」
そうは言うものの、やはり何か様子が違うために三人は何となく察した。
(((鷹兄と話せたのかな)))
遊馬が何か言おうとしたのを、道明が肘でつついて止めた。茜がそれを見て道明に親指を立ててグッジョブを送る。七海だけはそんな三人の様子に気付くことなく、うきうきした足取りで歩いて行ったのだった。




