七海の焦燥
式場を後にし、夕食は家族揃って取ろうと、時間を約束して部屋へと戻った。
「それにしても神楽祭、すごかったなぁ‥」
流水が目をキラキラさせている。
「あー‥本番があんなふうだって分かってたら、もっと早くから頑張れば良かった!」
茜も悔しそうに話に乗っている。七海の心の中は、既に神楽祭から離れてしまっている。あれだけ感動していたはずなのに、その感動すら薄れて遠い日の出来事のように感じる。
「七海?‥その‥大丈夫?」
茜が気遣わし気な表情で声をかけてくれたが、七海はうっすらと笑みを浮かべた。
「うん、何か疲れちゃっただけ。ちょっと横になっていい?‥気にしないでお喋りしててね?」
そう言ってベッドの上に寝転がった。色々なことが起こりすぎて、今は何も話したくなかったし、何も考えたくなかった。ともすれば兄のことが頭をよぎり、熱を帯びた嫌な痛みが、じくじくと心の中を浸食していく。
(やだやだやだやだ!‥あーもう!!‥やめて!!)
ごろりと反転し、茜や流水たちから身体ごと背を向ける。今の心情も知られたくないし、声をかけられたくもない。
茜と流水は静かに顔を見合わせ、小さな声でこしょこしょと話し始めた。それでも七海の耳には届いてしまうのだが、さすがに黙っていてとまでは言えない。
「‥おじいちゃん、三年後には総代じゃなくなるんだなあ‥」
しみじみと流水が言うと、茜も静かに頷いた。
「まだめっちゃ若そうなのに。今回の災害?もさ、何か篁さんがいたから収まったんだーって、色々な人が言ってるのを聞いたよ。」
「お正月で61歳だったかな?確かに年齢より若いよねえ。‥でもさ、お祖父ちゃん、かなり長い間、総代なんだって聞いたの。だからやっと解放されるのかなーって。そう思うとね、ちょっと嬉しいんだ!」
茜と流水の会話が耳に飛び込んできて、七海はどきりとした。
(‥え?流水はうれしいの!?‥どうして?‥わたし、ショックだったのに‥だって一族で一番偉い立場だったわけで‥え?‥わたし、どうしてショックなんだろう‥?どうして流水みたいに喜べないんだろう‥)
再び沸き上がった疑念に、心の中で別の嵐が巻き起こる。嫌な汗が出て来て、心臓がドキドキと早鐘を打った。これ以上二人の会話を聞くのが怖い。七海はぎゅっと目をつぶり、耳を塞ぎながら小さな声で好きな歌を口ずさんだ。
ようやく夕食の時間になり、七海達は食堂へと向かった。父や母から心配そうな視線を向けられ、必死に笑顔を作る。茜と流水も同じだ。今はとにかく放っておいて欲しいのに、心配されるのが重い。
(笑顔 笑顔 笑顔 私は大丈夫 私は大丈夫 私は大丈夫)
まるでお経のようにそう唱えながら、何とか笑顔を作り、美味しそうに夕飯を食べる。実際、何を食べているのかも、味すらもどうでも良かった。
(一人になりたい‥)
切実に思う、が、なかなかそうはさせて貰えない。茜や流水がなぜか自分を一人にしてはいけない、と思っているかのようだ。両親は一族に呼ばれて、あちらこちらへと回らなければならないらしい。
茜と流水に温泉に誘われたが、それだけは何とか断った。
「後で行くから、気にしないでゆっくり入ってきて。」
それでも心配そうに自分を見る、その視線が耐えられなかった。一緒に行こうと言う2人を無理やり追い出すように送り出し、ようやく一人の時間が確保出来たのだ。
「やっと‥一人になれた‥」
七海はほうっとため息をついた。色々な情報が一気に出てきたために、頭の中を整理したい。
「ええと‥まず三年後にお祖父ちゃんが総代を辞める。」
口に出した瞬間、何とも言えない寂寥感に襲われ、不安な気持ちが湧き上がってくる。
「‥どうして‥?お疲れ様って言わなきゃいけないのに。何でこんなに不安になるの‥?」
訳が分からなかった。どうしても理由が分からない。
「そして新しい人が‥総代になる。」
自身の言葉に再びズーンとした衝撃が来る。祖父が総代を降りるなら当たり前のことなのに。
「‥で、鷹兄が‥参謀役‥に‥」
それ以上、言葉を続けることが出来ず、ベッドにドサッと倒れ込んでしまう。
(どうして‥?すごいことなのに‥なんで私、素直におめでとうって言えないの‥?)
ただただ息苦しくて、ただただ辛い。兄もさくらも両親も、知っていたはずなのに自分には教えてはくれなかった。
(たった4つしか変わらないのに‥)
泣けたらスッキリするのだろうか。目頭の奥がツンとする感覚はあるのに、やはり涙が出てくることはなかった。
七海はのろのろと着替え、そのままベッドに潜り込んだ。流水に心配をかけることも、自分の弱みを見せることも、どちらも嫌だ。だって流水はいつでも「すごいお姉ちゃん」が好きなのだから。
「‥このまま、寝てしまおう‥」
布団をかぶり、ぎゅっと目を閉じる。
その頃、温泉では。
「おねえちゃん、大丈夫かなあ‥」
湯船に浸かりながら流水が心配そうに呟いた。
「‥ちょっと心配、だね。ナナはやっぱり、鷹兄のこと、何も知らされてなかったのがショック、なのかな。」
茜の呟きに流水は「うん」と呟いた後、微かに首を傾げる。
「でもね?それだけじゃない、気がするの。」
ぽつりとした呟きに茜が「どういうこと?」と視線を送った。
「おねえちゃん、お祖父ちゃんの孫ってこと、すごく意識してた気がして。」
流水の言葉に茜はハッとした。あの神楽選考会の時に“自分は総代の孫だから選ばれなければならない”そんな気合いを感じていた。
「‥あー‥お祖父ちゃんの孫というか総代の孫として、ちゃんとしないと!‥なのかな。」
「わかんない。‥でも、もしかしたらそうなのかな‥」
二人はそのまま黙り込み、窓から見える星空を眺めた。どう接して、どう声をかけるべきなのか、答えが出てくるわけもなく、ただ静かに空を見上げることしか出来なかった。
二人が部屋に戻ると、七海は既に眠ってしまったのか、ベッドに潜り込んでいた。
「あ、ちょっと飲み物買いに行きたいかも?」
「そうだね‥売店、行ってこようか‥?」
茜と流水は、そう声を掛け合い、部屋を出る。
「‥ナナ、眠ったと思う?」
「‥わかんない‥」
茜が聞くと、流水は困り切った表情を浮かべていた。
「‥わたしが‥部屋にいないほうがいいのかな‥?」
寂し気に流水が呟いたので、茜は驚いて口を開こうとした。
「あ、うんとね?‥きっとおねーちゃん、わたしがいたら“お姉ちゃんじゃないといけない“みたいな。茜ちゃんだけだったら、話、してくれるかな?って。」
妹と弟がいる茜にも、その気持ちは何となく分かる。嫌なことがあっても、妹や弟の前ではついお姉ちゃんぶってしまうところがあるせいだ。
「うーん‥どうだろう‥ちょっと今回はどうしたらいいか分からない。‥鷹兄に相談したいけど‥きっと今はそれどころじゃない、よね?」
茜が困ったように呟くと、流水も頷いた。
「鷹兄も原因の一つだし。それどころじゃ、ないよねえ‥」
売店でジュースを買い、結局何の解決策も見いだせないまま、再び部屋に戻った。そのまま七海を独りにしておいたほうがいいのか、せめて部屋にはいた方がいいのか、それすら判断がつかなかったためだ。
「‥とうとう明日には帰るんだねえ‥」
窓の外を見ながら流水が呟くと、茜も頷いた。
「何かあっという間だったねえ。」
そんな話をしていると、部屋のドアが開いてさくらが入って来た。
「‥あ‥」
声を上げようとして七海が布団に潜っていることに気付き、静かに二人の元へと歩く。
「さくらちゃん、お疲れ様。‥だいじょうぶ?」
気遣わしげに声をかけてくれた茜に、さくらはにっこり微笑んだ。
「ええ。すみません、ご心配をおかけして。‥あんな大騒ぎになると思っていなくて。」
少しばかりげんなりしたような様子ではあるが、それでもさくらの笑顔を見るとホッとする。
「‥さくらちゃんと鷹兄の祓い‥私も見たかったな‥」
小声で流水が呟くと、茜もうんうんと頷いた。
「ねね、やっぱり‥鷹兄ってすごいの?」
「それ‥私もすっごい気になってて!」
流水の質問に、茜もノリノリだ。それでも声のトーンだけは囁くような小声である。さくらはふわりと頬を緩め、遠くを見るような視線を送る。
「‥本当に凄かったですよ‥篁さんが絶賛していたくらいですから‥」
さくらがどこか得意そうに言うのを、二人は顔を見合わせて笑った。
「‥なんか惚気られたきぶん?」
茜がそう言うと、さくらは赤くなって必死に否定する。
「そういうのじゃないですって!」
三人は声を立てないよう静かに笑い合った。さっきまで「どうしよう」と悩んでいた二人にとって、さくらが戻って来てくれたことが何より有難かったのだ。
「‥七海ちゃん‥大丈夫です‥?」
更に声を潜めてさくらが問いかけると、二人は首をぶんぶん振った。
「‥そうです、よね。」
独り言のようにさくらは呟き、二人を見やる。
「何か疲れちゃいました。‥少し早いですが‥休もうかしら。」
言いながらスマホを取り出し、三人でグループチャットが出来るように設定する。
「暑いせいもあるかも?‥あと温泉、かな?」
茜もそう言い、流水もあくびをしながら同意した。さくらも着替えを済ませ、それぞれ布団に潜りこむ。スマホの音を消し、流水と茜はそれぞれ、これまで話していた内容をグループチャットへ送った。
さくらはその内容を確認し、そっとため息を漏らす。
(鷹也さんが懸念していた通り‥あの人、本当によく七海ちゃんを見てますね‥)
さくら
【心配ですね‥でも、今は少し、そっとしておいてあげた方が良いかもしれません。】
流水
【でもさ‥見ていると辛くて。何か出来ること、ないのかな?】
茜
【けど、声をかけるのも‥かえって気を遣わせちゃいそう。】
流水
【そうなんだよね。‥心配してるよって素振りも、気を遣わせちゃうかもだし。】
さくら
【いつも通りが一番いいかもしれません。‥話題も、変に気を回しすぎない方が‥】
茜
【それはそれで難しい~!地雷踏んじゃったら‥】
さくら
【七海ちゃん、感情的になってしまうと、後で落ち込んでしまいそうですしね‥】
答えが出ないまま、三人はチャットで会話を続け、そのおかげで流水と茜は落ち着くことが出来た。そして最初に流水が、その後茜が寝落ちてしまったらしい。さくらは独り、布団の中で考え事をしていた。




