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掌の眼  作者: 瑠璃雀
神楽祭
75/113

黒き靄

 その日の夕方、太陽が沈みかけ、月が輝き出す時間帯。薄暮の中で、行灯と提灯の柔らかな光が幻想的な雰囲気を作り出していた。

 神楽殿の前庭には、36名の舞い手達が所定の位置に付き、神楽殿渡り廊下では、当主達が揃っている。

「シャン!」

 鈴の音と共に御幣が楽器や武具へと変容した。その瞬間―


 突然、地面から黒い靄が噴き出して、瞬く間に周囲を覆い尽くした。一人、また一人とその場に崩折れる。

「え!?なにこ‥れ?」

 七海は突然の目眩と震えで立ち上がれない。隣にいるはずの流水の姿すら、輪郭がぼんやりと見える程度だった。どうやら流水も倒れてしまったらしい。

「る‥み‥」

 何とか声を絞り出そうとしたが、囁くほどの声にしかならない。呼吸をすれば黒い靄を吸い込んでしまう。苦いような、無味のような、何とも言えない嫌な感覚。更に、こめかみに差すような頭痛が起きた。


(気持ち‥わる‥)

 近くで誰かが倒れる音がした。ひとりやふたりではない。これが自分だけではないのだと気づいた瞬間、背筋が冷えた。茜や立夏、恭平も司もいるはずだったが、もう周囲の様子など気にかけられなくなっていた。そして椅子からずり落ちて、地面に倒れ伏す。



 黒い靄は徐々に濃くなり、互いの姿すら認識できない。それは神楽殿で楽器を手にしていた、当主たちですら同様だった。

「くっ‥重い‥おい!皆!!動けるか!?」

 そう声を上げたのは、月影家の賢一である。

「うう‥」 

「あ‥」 

「こ‥れは?」

 声を上げようにも上げられないといった状況だ。そして、嫌な囁き声が聞こえてくる。

【くるしい‥】 

【助けてくれなかった‥】 

【見捨てられた‥】

 最初こそ囁き声だったが、音量が大きくなり、やがて耳元で喚くような大声に変わる。身体は重く、手にしていた楽器すら取り落としてしまうほどだった。重いだけではない。守りは破られ、式は消え、耳には怨嗟が流れ込む。経験のある当主たちですら、立て直す足場を見失っていた。張ったはずの結界は既に機能していない。

(式の‥気配が‥消え、た。)

 この重力のせいか、はたまた瘴気のせいなのか、楽器に変容していた式が、次々に消えてゆく。


(まずいまずいまずい!‥こんな瘴気災害‥初めてだぞ!?)

 他の当主達が既に何も考えられなくなっている中、まだ幻聴を断ち切って考えられることが能力の高さを証明している。賢一はフッと息を吐く。

「はあああああっ!!」

 気合一閃、何とか声を上げ、幻聴を断ち切ることには成功した。どうやら同じように断ち切った当主はいるらしい。しかし、再び結界を張ることも叶わず、どうにも動くことが出来なかった。

(くっそ!結界さえ張れれば!!)

 歯噛みしつつ、何とか再び結界を張ろうと試みるが、阻害されているかのようにままならない。

(神力の大きな者を狙って瘴気が集中したか!?)

 賢一の孫である、智樹と智琉はギリギリで結界を保てているようだ。しかし、結界の維持だけで手一杯なのだろう。


 ベテラン達も同様である。その場に倒れ伏す者、何か喚いている者、様々だ。互いを認識出来なくなっているために、尚更不安が募るのだろうか。

 舞い手達も皆、地に伏せ、顔を上げる者すらいない。


「動ける者はおるか!?」

 篁は一人、立ち上がって周囲を睥睨した。これほどの瘴気災害はかつてなく、さすがに焦燥感に灼かれる。

「なん‥とか‥だが‥祓える‥状態では‥」

 篁の周りにいた当主達ですら、数名が息も絶え絶えといった様子の返事に、篁は歯噛みする。




 一方、日月社へと渡る“道”にも異変が起きていた。不安定な歪みが発生しており、通行が危ぶまれた。念のためと事前に配属されていた者たちが、一度“道”を閉ざす。周囲に影響を及ぼさないために必要な措置ではあるが、社の様子が分からないだけに、皆不安そうな面持ちであった。

「篁がいれば大丈夫だろう。」

 このような事態になってもパニックを起こさずに済んでいるのは、総代への絶大な信頼であった。



 この異変は、日月社だけに留まらなかった。各エリアの社にも少なからず黒い靄は発生していた。こちらも事前に打ち合わせが行われており、手練れが配属されている。各社を結ぶ“道”も神々の協力の元、いったん閉ざして各社の守りと安定を優先させた。


「これは‥瘴気が境界に沿ってこちらにまで現れている‥?」

 水の社で守りをしていた環が呟いた。

「嫌な感じですわね。」

 同じく補佐を務める霧江も瘴気を祓う。

「‥ふむ、穢れそのものがこちらまで浸食しているわけではないようね。」

 冷静に環は判断を下し、今回遠征に参加しなかった分家や傍家達にも指示を飛ばした。


 このような形で各エリアの社でも異変は起きていたが、ほぼ問題なく対応は出来ていた。



(この瘴気は予想外だ。‥各地に手練れを配置したが‥)

 自らの結界により影響を受けることはなかったが、それよりも今はこの社の境界が危うかった。他への影響を防ぐために、外部への“道”は全て閉ざしている。万一、この境界が崩れれば、ここにいる全員がこの空間ごと閉じ込められるのだ。


 誰か一人でも祓いを出来る者がいれば、と周囲を見回す。今や黒煙といった濃度に視界が全く機能しなくなってしまっていた。

「じっちゃん、俺とさくらは動ける。」

 黒煙が斬り払われて鷹也とさくらが、姿を現した。

「鷹也!さくらさん! 祓えるか!? 」

 この状況下で動けることに驚き、そして安堵する。

「うん。」

 篁の問いに短すぎる返答が返って来た。これなら何とかなるかもしれない。そんな中、さくらは周囲を見回して不思議に思っていた。

(何でわたしは影響を受けていないの‥?皆、こんな状況なのに、どうして‥)

 しかしそんな疑問をぶつけている場合ではない。篁が即座に指示を出す。

「祓いを!!俺は境界の支えに回る!神々と力を合わせても、おそらくかかりきりになる!」

 二人のサポートは無理だと、言外に伝えたが、鷹也は短く応じただけだ。


「鷹也さん、わたしに合わせる必要はありません。‥貴方の好きなように。」

 さくらはそう言ってその場に正座し、式の名を呟く。全体が漆黒に覆われ、しかし竜甲には銀色の文様が月にかかる薄雲の如く描かれている琴が現れた。懸爪までも式が変容したものであり、さくらは一呼吸してから鷹也を見やった。


「了解。」

 口の端に微かに笑みを浮かべ、手にしていた刀を握り直した。

「行くぞ、ブラン。」

 左手には黒銀の刀身の刀、刃は白銀に輝いている。そして右手に持つ鞘も、白銀に輝いている。鷹也はスッと一歩踏み出し、刀を横薙ぎに払った。

 そこから、右手の鞘で瘴気をクッと手繰り寄せ、袈裟懸けから横薙ぎに。黒煙が地から湧き出た瞬間、剣閃が走り、分断される。次の一閃で霧散する。移動速度も速いが、鞘と刀の動きは目で追い切れない。


 鷹也がそのまま黒煙に身を投じたために、さくらにもその姿は見えなくなってしまった。黒で埋め尽くされた視界の中、白銀の線だけが不意に閃いては消える。それが鷹也の剣閃だった。夜空を大量の流星群が走っているような美しさである。


(これは‥剣舞?それとも即興の型‥!?)

 さくらは一度目を閉じ、鷹也の神力を掌の眼で追い、琴を奏でる。

(それにしても‥速い‥これは‥まるで激流のような‥)

 左右の手を巧みに使い、舞の速さに即興で合わせる。これには式であるノワールの力を最大限に引き出す必要があった。本来神楽の楽器に関しては、技術よりも式との協力と練度によって、音色が変化するためだ。

(それにしても‥鷹也さんの周囲には穢れも瘴気も集中している‥なぜ彼は‥いいえ、わたしも影響を受けずにいられるの?)

 それほどの速さで動いているのに、倒れている人々を誰一人踏まない。まるで全員の位置が見えているかのように、その隙間だけを縫って駆けていた。

 斬って霧散した側から新たな瘴気が舞い上がり、再び鷹也に向かう。しかしそれをものともせず、移動しながら速度を一切落とすことなく薙ぎ払う。



(この穢れにも核があるはずなんだがな‥)

 鷹也は斬りながら、移動しながら瘴気と穢れの動きに集中していた。表層部分から次々と噴き出してくる瘴気と、触手を伸ばしてくるかのような穢れ。怒涛の如き激しさと速度でありながら、恐るべき正確さで斬り進んでいるが、その核がどこにも見当たらない。


 時折、黒煙から姿を現した鷹也と、さくらの視線が交錯した。しかし、次の瞬間には互いのすべきことへと集中する。


(‥こいつは‥埒があかんか。)

 篁と神々は、ともすれば崩壊しそうになる境界を必死で保ち続けた。

<こいつは‥はるか昔の穢れ‥かな>

<おそらく、な。位相の境界に巣食い、成長したらしい。>

<鷹也が引きずり出しては斬ってるが‥人は消耗する‥>

 神々も必死だ。そもそもここにいるのは本体ではない。仮初の姿であるために、そこまでの力はないのだ。かといって本来の姿ともなると、本物の災害を引き起こす恐れすらある。


 呼吸を乱すことなく、その足捌きと剣捌きは正確無比なままだ。とはいえ、額には汗が浮かび、頬を流れ落ちる。瘴気と穢れの分体を斬り続けながら、鷹也は核を探し続ける。動きそのものは激流のようでありながら、恐ろしいほどに静謐だった。


 その剣技を追い続けるさくらは、ぞわりと鳥肌が立つのを感じる。それでも弦を引く手は淀まない。外せば均衡が失われ、この場そのものが瓦解しかねない。そんな緊張の中、さくらは冷静に旋律を奏で続ける。

 鷹也は気配を感じ、核らしきものを見つけて両断するが、手応えはない。

「チッ、ダミーかよ。‥やってくれるなー。‥そんな気のきいたこと、今までやったことないだろ?」

 その剣技や動きにそぐわず、口調は軽い。だが、これまでに対峙してきた穢れとは明らかに異なると察し、警戒を強めて再び意識を集中する。


(しかしまあ‥こういう場こそあいつの領分だな。とはいえ、かなり深い場所にまで浸食されてしまっておるようだ。祓い切れるか‥?)

 篁は孫の能力を信頼してはいるが、決して過信はしていない。自身が祓いに参加出来ないのは歯がゆい。これだけ広範囲となると、どこまで対応可能かは分からなかった。


(表層に集中していますね。こちらの消耗を狙っているのかしら。‥ノワール‥私たちも援護しますよ?貴女の力を貸してください。)

 さくらは細く長く息を吐き、自身の神力を込め、指先から弦の一本一本へと送り込む。音色が更に深く、鷹也の動きに合わせて速度が上がってゆく。旋律そのものに神力が宿り、鷹也に添うように彼の身を包み込んだ。額には玉のように汗が浮かび、音色を紡ぐごとに滴り落ちる。


 鷹也は埒が明かない、と刀を地面に突き刺して神力を放った。途端に凄まじい瘴気と穢れが鷹也の周囲を取り囲む。

 その様子に一瞬息をのんださくらだったが、鷹也の神力は相変わらず安定している。それを追い、動きに合わせて弾き続けた。

(‥やってくれるよな。まあ地中が弱点なのは分かった。こいつらにだって限界はあるはず‥とはいえ、これを続けると俺の結界がもたないか。)

 さくらと自分自身に、ブランと共同で結界を張っていた。だからこそ、影響を全く受けていないのだが、先ほどの集中砲火はかなり危険だったのだ。

(さて、どうしたもんかね‥?)



「鷹也!!」

 そんな膠着状態の中、篁が大きなペットボトルを掲げ、思い切り放り投げる。鷹也は刀を振りながら最短距離を全力疾走し、何とかキャッチした。

「水の社の湧水!?‥じっちゃん、用意良すぎねえ?」

 祖父と孫はニヤリと笑い合う。


 刀を振り続けながらも歯で蓋を開け、走りながら辺りに水を撒き散らす。刀身と鞘にも水をかけた。

(ふふ。鷹也さんは大丈夫そうですね)

 再び視線が交わり、互いに薄く笑う。直後に音が、さらに深く、透き通るような音色を帯びた。そして鷹也の持つ刀の刃が白銀の光を帯びた。


(‥ああ、そうか。)

 鷹也は立ち止まって鞘を腰に差し、ペットボトルの湧水を再び刃にかけた。途端に瘴気と穢れが凄まじい勢いで迫って来る。

 しかし鷹也は焦ることなくペットボトルを地に置くと、瞑目した。結界に衝撃は走るが、それでも動じない。


 両手で刀を握り、琴の音色を波として捉える。自らの神力もまた、同じく波として重ねる。湧水を纏った刃にその二つを乗せるようにして、横薙ぎに払った。


 刃から白銀の閃光が走る。


 その閃光は波の如く周囲へと波及し、先ほどとは比較にならない広範囲の穢れと瘴気を消滅させる。瞑目し、移動しながら自身の持つ感知を活かし、同じように刀を振り続けると、周囲には白銀の靄が立ち込め始めた。


 瘴気の黒い靄が徐々に押し返され、白銀が覆いつくし始めると、鷹也は足を止めた。その場で今度は型に沿った神楽を舞う。静かで、しかし力強い。

 さくらはその様子にそっと口元を緩め、ごく自然に静かで落ち着いた音色へと移ってゆく。鏡面の湖を照らす月のような、そんな情景を思わせる旋律だった。 


(‥見つけた。)

 白銀の靄により勢力を失ってはいたが、複数の核が一斉に鷹也へと向かった。最後に一矢報いてやろうとでもいうように。


 するり。

 瞑目したまま静かに躱し、全ての核の中心に白銀の剣閃が走った。穢れだったものは、塵のように霧散し、周囲に静寂が訪れた。



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