1-5 初めての神楽!
開眼の儀から数日後、流水は自分に渡された神具の箱から指定されたものだけをバッグに詰め、祖父の家に来た。
「いらっしゃい、流水。まずは着方から。一度で覚える必要はないから、少しずつ一人で出来るようにしましょうね。」
祖母と二人だけとはいえ、やはり着替えを手伝ってもらうのは少し恥ずかしい。
「恥ずかしかったら、まずはこれを一人で着られるようにしましょう。」
肌襦袢と言って下着のようなものらしい。もちろん普通の下着も身につけたまま、このワンピースのようなものを身につけるのだそうだ。
「あ、これならすぐ覚えられそう!」
流水は手早く身につけ、紐を結ぶ。これを着ていれば恥ずかしさもちょっとマシになる。
「それとね、流水。ここで装束を着替える際に気持ちを落ち着けるの。静かに呼吸を整えながらね。社の中は神域で、神様もいらっしゃる。」
流水は目を閉じてゆっくりと深呼吸をした。以前、開眼の儀でお会いしたのが神様だった。何となく背筋が伸びるような気持になったのを覚えている。
「次は白衣よ。」
着物の上らしい。流水は形を見ながら着てみる。これにも紐はついているが、分かりやすかった。
「そう、それでいいわ。紐は締めすぎないようにね。動きにくくなるから。」
流水は紐を結んだ後、環に言われるがまま手を上にあげ、横に広げ、動きにくくないかを確認する。
「大丈夫そう。‥神楽を踊る?なら確認したほうがいいんだ。」
「そうね。神楽は躍る、ではなく舞う、ね。」
環が笑顔で言いなおし、流水は笑顔で頷いた。
「そして袴ね。‥こっちが前で‥そんなに高い位置じゃなくていいわ。」
流水が胸のすぐ下あたりで紐を回そうとすると、環が少し下へとずらす。
「巫女さんとは違うの?」
「ええ。これくらいかしらね、神楽を舞っていると呼吸がきつくなってしまうから。腰骨より少し上くらい。」
紐がねじれないよう気を付けながら、背中で交差させきゅっと締める。
「ここで腰板を整えて。紐を前に戻して。」
流水は環に手伝ってもらいながら紐をねじらないよう戻す。
「我が家ではこの紐と、後ろの紐をまとめて結ぶことが多いわね。リボン結びでいいわ。‥結び方も特に決まっていなくてね。自分で好きなように結んでいるかしら。」
流水が結んだが、少し曲がってしまう。環がほどいて結びなおした。
「まずはこの方法を覚えて頂戴。」
流水は「はい」と返事をしたものの、覚えられるかどうかは不安だった。
「そんなに難しい顔しないの。‥少しずつでいいのよ。」
環は柔らかく微笑み、流水の肩に手を置く。じんわりとした熱が伝わってきて、流水は少し安心できた。
「せっかくだから羽織も着ましょう。」
流水は羽織を着て、小さな箱に入っている羽織留を手に取った。銀色の雪の結晶を形どった金属細工がとても美しい。
「えへ、これお姉ちゃんとお揃いなんだよね。‥鷹兄のは、鷹?あれもかっこいいけど!」
環はにっこり笑顔になる。
「でもこれを着て神楽を舞うって、ちょっと動きにくそう!合気道の道着とは少し違うし。」
流水は6歳から合気道を習っている。きっかけは何だったのか思い出せないが、運動の苦手な流水にとっては珍しく、楽しく続けられている。
「それじゃ、お社に行きましょう。」
以前開眼の儀のときに利用した離れからお社に入る。少し緊張しながら環の後をついて行き以前来た、だだっ広い広間に入った。
「これから覚えてもらう神楽は、ここで舞うのよ。これから練習する際は私たちの家を使うけれど、初めての時にはここで少し動いてもらうの。」
その場に正座するよう言われ、流水は正座して手をちょこんと膝の上に置く。つと、銀色の線が視界を動いたので目で追うと、環の羽織留の銀細工だった。雫を模した細工もきれいでかわいい。
「奉納神楽では鈴を使うの。見ていてね、今全てを覚えなくていいから。」
「はい」
壁の両開き戸から柄の先に鈴が山型に配置された道具を取り出した。環は右手に鈴を持ち、流水の前に立つ。
両手を前に一礼。環が姿勢を戻した時、ぴりりと空気が引き締まる。ススッと畳を足袋が擦る音がし、銀色が視界の端で煌めく。
シャン
清らかな鈴の音と、手の動き。流水は一瞬にして引き込まれた。動と静、ゆったりした動きもありながら、指先まで神経を行き渡らせる繊細さ。一定のリズムとも違う緩急のある動き。
(あ、なんか‥ここの湧水の力?みたいのを集めてるかんじ‥?)
エフェクトがあるわけでもなければ、何かが見えるわけでもない。ただここの社に流れる何かを、寄せて導いているような、そんな印象を受けた。
(送り足、歩み足、転換、回転‥足捌きに似てるかもしれない)
シャン シャン シャン
鈴が小気味よく空気を切る。
(ふしぎ。寄せてきた力を切り分けてる‥うーん‥ととのえてる?)
後半の方が動きは静かになり、足はほぼ動くことなく手がゆったりと動く。流水はその手の動きを何となくトレースする。しなやかで力強い。しかし指先には余計な力を入れることなく、静かにかき集めるような、そんな仕草にも見えた。
自然と足を閉じ、静かに両手を下ろす。そこでゆっくりと一礼して終わった。
環が頭を上げると、流水は思わず吐息を漏らしていた。
「‥どうだったかしら?」
思わず流水は正座したまま両手を床につき、頭を下げた。
「ありがとうございました。」
神妙な顔をしたままの流水に、環は柔らかく微笑む。
「これは‥その、型みたいのが決まっているの?」
「ええ。一応は。どうして?」
流水は少し考え込む。どう言ったらいいのか分からなくて悩んでしまうのだ。
「‥ええと、これってなんのための神楽‥なの?」
環は目をしばたたかせる。
「えっとー‥ここの空気、すごくよくて。なんか力がありそうな?それをこう寄せてきて、集めて、それでーさっくり混ぜ合わせて?ちがうなー切るように混ぜて?ととえのえる?‥みたいな?」
必死に頭を捻りながら言葉を紡ぐ流水に、環は笑顔を向ける。
「そうね。奉納神楽と言ってはいるけれど、概ねあなたの言う通りよ。この社には神様の力が満ちている。ただそこに漂うものを、自分の周りにあつめ、調える。」
流水はそれを聞いて嬉しくなった。自分の感覚が間違っていなかったのだと、お墨付きをもらったような気持ちになったのだ。
「少しだけやってみる?」
環の言葉に流水は元気よく返事をして立ち上がった。鈴を持たせてもらうと、意外にずっしりと重い。一礼した後にスッと足を出す。
(ええと‥最初は送り足‥)
「‥ああ、あなたは合気道をやっていたのだったわね。足運びが整っているわ。」
環に褒められ、ついつい笑顔になってしまう。時折、環から注意を受けたり、褒められたりを繰り返しながら少しずつ教わる。
シャン!
鈴の音が気持ちよく、つい何度も振りたくなってしまう。振ればいいというものでもないので我慢するが。
(これは‥七海よりも上達が早いかもしれない。何より空気をよく読んでいる‥)
環はそっと心の中で呟き、流水を見やる。彼女が笑顔で、この“場”を楽しんでいるのが良く分かった。
稽古が終わり、篁の屋敷へと戻ったあとで環はお茶とカステラを出した。
「わぁ!頂きます!」
流水はにこにこしながらカステラを食べる。
「開眼した後、色々なものが見えてくるでしょう?‥慣れたかしら?」
環にそう聞かれ、流水は少しだけ視線を落とす。
「うんとね、たぶん同級生にそういう人、いないじゃない?学校内にも妖さんや影さん、いるの。気がついちゃうとさ、手を振ったり挨拶したりしたくなるの。‥でもそんなことしたら、変な目でみられそうで。」
机の上、廊下の片隅、それほどたくさんいるわけではなかったが、彼らが自分を見ているのが分かった。せめて挨拶くらいしたいと思うが、友達と一緒にいるとそれも出来ない。
視線を感じたまま、無視しているようで落ち着かないのだ。
「そうよね。‥私もそうだったわ。」
環の言葉に流水は顔を上げる。
「私はね、こっそり近づいて、人気のない所でとか、放課後に話せないかとか聞いたわね。」
流水はとたんに笑顔になる。
「そっか!わたしもそうしてみる!‥お姉ちゃんがちょっと羨ましいなあ。同級生にいたら心強いのに。」
環にもその気持はよく分かる。同じ世界を見られない同級生たち、友達ではあったけれど、何となく距離を感じていたことを。
「鷹兄は同級生いたのかな?」
思わず問いかけると、環は笑った。
「土門さんところの長男が確か同じ学年だったかしら。交流は余りないようだったけど。」
「あ~鷹兄、野生動物だから人間と関わらないんだ、きっと!」
あはははと流水が笑いながら言うと、環もつられて笑う。
(この子は兄のことを好きだけれど、自分とは違うとはっきり区別しているのね。)
姉の七海が余りに兄を意識しているため、気にはなっていたが、流水に関しては特に問題はなさそうだ。
「‥おねえちゃん、私が早く上達したら、喜んでくれるかな?」
流水がふと真顔になって聞いてきた。環は思わず息をのむ。
「‥そっかー。わたし、ゆっくり上達しようっと!」
流水は屈託のない笑顔を浮かべてそう宣言した。
「それはいいけれど、でも、どうして?」
環はそう言って気遣わしげに流水を見やる。この子から七海はどのように見えるのだろうか。流水は少し考えるような素振りを見せ、その後で口を開いた。
「わたし、小学校でも中学校でもさ、“君のお兄さんもお姉さんもすごかった”って言われて来たんだよねえ。でもさーわたしはわたしだし。だから今はそんなの気にしてないんだけど、お姉ちゃんはきっと比較されて頑張っちゃうんじゃないかなーって。」
環は流水の洞察力に舌を巻いた。この子は本当に姉のことも兄のことも良く見ている。
「だからね?あんまり早く上手くなったら、お姉ちゃん無理しちゃうかも!」
そう言って流水は笑う。
「わたしはまだ、神楽とか、妖さんや影さんとか、神様?が良くわからないから。だからね、みんなとお話しながらゆっくり考えるの!」
環は思わず笑ってしまいながら流水の頭を撫でる。
「そうね、貴女が思うようにしたらいいわ。」
そうして流水の初めての神楽の稽古は終わった。
篁の屋敷には多くの妖や影がいる。そしてその周辺にもいるのが分かる。流水は帰る道すがら、目が合ったもの達に挨拶をしていく。
『おまえ、タカヤのいもうと?』
そう声をかけられ、流水は立ち止まった。
「うん!るみっていうの。鷹兄のおともだち?」
『そうだよー!タカヤ今日はいないーつまんない。』
兄がいると、妖や影が周りに集まる。不思議だなと思っていたが、友達だったらしい。
「ねね、学校にいるあなた達の仲間?声かけたらお話ししてくれるかな?」
『うんーたぶん。おまえ、やなかんじじゃないから。でもおれら見えないやつらばっかりのとこで、話しかけていいのかー?』
流水は思わず笑ってしまう。そんなことを気にかけてくれるとは思っていなかった。
「それそれ!なんかね、見られてるのは分かるんだけど、人の目が気になっちゃうの。どうしたらいい?」
妖はくねくねと動きながら楽しそうだ。
『なかまにいっといてやる!ひとりのじかん作れ。そしたらそこに来るようになる。タカヤもそうだった。』
「鷹兄も学校では独りの時間つくってた?」
妖はこくんと頷いた。
『うーん、タカヤは独りが好きだったから。みんなあつまってた!』
やっぱりそうなんだ、と妙に納得してしまう。さっき祖母にも冗談めかして「野生動物」という言い回しをしたが、昔から不用意に近づいてはいけない気がしていたのだ。
「わたし、周りにこの眼を持つ人いなくって。だから学校では普通の人と仲良くしてるの。でもね、みんなともお話ししてみたいの。」
妖は流水の手に自分から撫でられに来た。流水の手のひらにすりーっと身を寄せたのだ。
『おまえ、なんかいいなー!たまにあそぼー!』
「うん!ぜひよろしくね!」
流水は妖とバイバイし、スキップしながら自宅へと帰った。
その後流水は、学校の友達ともいつも通りワイワイはしゃぎ、昼休みや放課後に独りの時間を作っては、校内の妖や影と話した。姉の話や兄の話も聞けるのは楽しかったが、何となく秘密を覗いているような後ろめたさもある。もちろんそこまで立ち入った話ではない。
(わたしもお兄ちゃんやお姉ちゃんの後を辿ってるんだなあ)
当たり前のことなのに、何となく感慨深い気持ちになる。
(わたしはわたし!よーし、今年のおねーちゃんのお誕生日はケーキ作るぞー!)
まだもう少し先ではあるが、自分の好きなことを目一杯楽しむ。嫌いな数学と理科はちょっとだけ手を抜く。それでいいんだ。




