1-3 七海と茜
新学期の慌ただしさも落ち着いたある日の帰り道、茜は少し困ったような表情を浮かべ話しかけてきた。 まだ昼間の暖かさは残っているが、徐々に空気は冷えてきている。
「ねえナナ、私たち普通に妖達と話してるけど。‥これって普通じゃないよね?」
「へ?‥あ、うん。言われてみたらそうかも?」
何が言いたいのだろう?と七海は茜を見やる。
「何だろう、何ていうか、みんな中間テストのこととか、部活のこととか、テレビとか‥うーん‥何か普通っていうか。神楽とか神様とか妖がとか話してる私たちって‥」
言葉を探り探り、といった様子の茜に、七海は静かに次の言葉を待つ。
「何かさ、話題多すぎない?」
思わずずっこけそうになった七海だったが、気を取り直して逆に問いかける。
「‥まあ、そうかも。えっと~茜はその、話題が多すぎ問題に困ってる?」
聞き返され、再び茜は困ったような表情を浮かべた。
「うーん‥困ってる、とは違うのかなぁ。あのさ、ナナとかミチくんとか、あっくんとか。もしかしたら、この眼がなかったら、ここまで仲良くなれてたのかな?って。」
茜の言葉を反芻し、七海もふと考える。この眼がなかったとしたら、同じ景色を見ることも叶わず、共通の話題も減ってしまうはずだ。そもそも遊馬や道明は開眼を機に仲良くなった。そうなると――
「そっか。言われてみると確かに考えちゃうかも?」
「‥でしょう?ナナと友達になれたのもすごく嬉しいの。けど、この眼がなかったら‥ここまで仲良くはなれなかったんじゃないかって、不安になったんだ。」
道端で手を振っている妖に、茜は小さく手を振り返す。妖は嬉しそうにぴょこっと飛び跳ね、ポンッと音を立てそうに消えていくのを、茜は柔らかな眼差しで見送っていた。
そんな茜の優しさを、誰よりも七海が良く知っている。
「もしもを考えても仕方ないよー。だって今は茜がいないと私が困るしさ!」
七海はそう笑ってみせる。にこっという言葉がぴったりの、明るくて温かい笑顔だ。もっとも、お転婆で気が強く、小学生の頃から男子と取っ組み合いの喧嘩をしては、相手を泣かしていた七海である。
ときに「やりすぎ!」と嗜めたり、止めに入ったりすることも多かったが、こういう真っ直ぐな部分を茜は羨ましいと感じていたのだ。 取っ組み合いの喧嘩も、元はといえば、引っ込み思案の茜をからかって泣かせた男子への報復である。
「もしかして茜?‥今日の数学の小テスト、ヤバかった感じ!?」
今日5限目の数学の授業で小テストがあり、授業の終わりに返却されたのだ。この時に明らかに落ち込んだ茜を見て、気になっていたのである。
「ど、どどどどーしてえ!?」
完全に図星だったらしい。茜はめちゃくちゃに動揺している。
「えっとー茜はねーテストの出来が悪かったりするとー『私なんかが、ナナの友達でいいの!?』とか言い出しちゃうからでーす!」
しばらく固まっていた茜だったが、はあああっと溜息をついた。茜から見た七海は、成績も常に学年上位であり、身体能力の高さゆえに体育でも群を抜いている。美術や音楽、家庭科なども卒なくこなしているため、出来ないことなどなさそうに見える。
「だってわたし、絶望的に勉強苦手だし。体育嫌いだし!美術で桃描いたら「ブタですか?」とか聞かれるんだよ?」
「待って。ブタと桃の相関関係が分からない‥」
「そこじゃないのー!」
茜は笑いながら七海にチョップする。
「茜はさ、字、綺麗だし。気が利くし優しいし。妖達にも慕われてるじゃん?」
実際、妖達があちらこちらから顔を見せては茜を見つめている。
「わたし、不器用だからさ。困ってる子たち見ると放っておけなくて。わたしはナナほど多くのことを器用には出来ないけど、わたしに出来ることは一生懸命やりたいんだ。」
茜はそう言ってふわりと笑う。心の中に火がポッと灯るような、穏やかで暖かい笑顔。それがまた茜の魅力なのだと七海は思う。
「そういう努力家なとこ、私はすごいと思ってるよ。気付いたら友達だったけど、眼があってこうしてもっと仲良くなれたこと、私は本当に嬉しいんだ!」
あの日、七海は茜に救われた。その時から七海にとって茜はかけがえの無い友達なのだ。
-あの日のことは今でもはっきりと覚えている。ー
七海12歳、中学校に入りたての頃、両手に眼が発現した。 この発現があると、このエリアに住む関係者達が集まり祝うという習わしがあった。 実際のところ、皆で集まってわいわい騒ぎたいだけのように見える会なのだが、名目上「開眼祝い」という名がつけられていた。
七海達が住むエリアでは、水澤家・土門家・火乃宮家が一族の中心となっており、三名が同級生だ。中心的な家以外にも一族はおり、五十嵐家でも一名が同級生であった。その中で一番に開眼したのが七海だ。
片手だけの開眼が大半を占める中、七海は両手に眼が発現している。これは非常に珍しく、複数系統を持つことが多い。 その時は誇らしい気持ちだった七海だが、何故かその眼は固く閉ざされていたのだ。
「閉ざされた眼」
これが何を意味するのか、誰も何も教えてはくれなかった。 その後道明と茜が相次いで開眼し、片眼でありながらもその眼はしっかりと開いている。 七海は誇らしさから一転、どん底まで叩き落とされた。
【未熟者】【認められざる者】【一族の異端】
そんな声が七海には聞こえるような気がしてきて、尚更に打ちひしがれたのだ。 祝の席に一応は出席したものの全員に掌の眼を見せるというイベントがあり、居た堪れなくなって飛び出してしまった。ただふらふらと歩き回っていたその時、七海の腕を掴んだ者がいた。
「なにやってるの!?もー心配したんだよー?」
息を弾ませた茜が、汗びっしょりではあはあと息を荒げてそこにいた。
「‥放っておいてよ」
七海は冷たく言い放ち、その手を振り払おうとした。
「やだーー!」
普段大きな声を上げない茜が、泣きながら叫び、掴んだ腕を思い切り引っ張る。
「‥え?」
勢いのまま、二人はその場に転がり茜は七海の上に馬乗りになった。
「わたしは‥わたしには今のナナの気持ち、ちゃんとは分かんない!!でもそんな辛そうなナナを放ってお祝いなんてできないの!!わたしはナナの側にいたいのーー!」
そう言って泣きじゃくる茜に、七海は呆然としてしまった。
「茜‥」
七海と同じ白衣に白袴、違うのは羽織の色だ。瑠璃色の七海と緋色の茜、しかし羽織も白衣も汚れ、髪はぐちゃぐちゃに乱れている。 茜がどれほどまでに自分を気にかけてくれたのかが、痛いほどに伝わって来た。
「ナナ!わたしも何でか分かんない!だから一緒に調べよ!?おかしいもん!ぜったいにおかしいんだもん!!!」
茜は泣きじゃくりながら大きな声を上げている。
「茜‥ありがと。大丈夫だから。‥ごめん。」
「どこにもいかない?」
七海が頷くと、ようやく茜は七海の上からどいた。しかしその代わりに手をぎゅっと握ってくる。 その手が暖かくて優しくて、七海も泣きそうになる。
「服、汚れちゃってる。‥ごめん。」
「服なんて代わりはあるの!でも、ナナには代わりはないの。」
その言葉に再び胸が詰まり、泣きそうなのに泣くことが出来なかった。 物心ついた頃からそうだ。怒りや笑いは素直に出せるのに、泣くことだけがどうしても出来ないのだ。
「ナナ、ナナが悲しくて辛いのわかってるから」
「冷たい子」「ドライな子」「感情に乏しい子」
そんな風に言われることもあった。しかし、茜は七海の感情を良く理解してくれている。
「そっか、だから‥」
辛いときや悲しいとき、常に一緒にいてくれたのはそのためだったのだと、七海はようやく気付くことが出来た。 そしてたまに茜に対し、「鈍臭い」とか「不器用」と思っていた事を恥じたのだ。
その後二人は七海の兄である鷹也に連れられ、七海の家に戻った。 仲良く風呂に入り、同じ布団に潜り込む。 今日大人達は宴会真っ最中であり、霧江もそちらに行っているのだ。
「茜ちゃん、ありがとう。七海が世話をかけて済まなかった。」
「ううん。鷹兄、なんでナナの眼は閉じてるの?」
茜の問いに、鷹也は一瞬だけ目を伏せる。
「‥そりゃそうだよな。」
そう微かに呟き、そして七海と茜を交互に見る。
「‥すまない。」
鷹也はそう言って七海と茜に頭を下げる。
「‥正直に言うとね、なぜかは分からない。じっちゃんもそうだと思う。」
一族の総代である七海の祖父、篁が分からないということに、目に見えて落胆した二人であるが、鷹也は柔らかい眼差しを送る。
「たぶん、準備が出来てるけど、出来てなかったんだ。」
謎めいた言葉に二人は不思議そうな表情だ。
「七海、今、確実なことは分からない。けど必ず目を覚ますよ。だから今は眠っているんだ、とそう思って欲しい。」
「‥眠っている‥」
呟いて、何故かその言葉が妙にしっくりと来た。理由は分からないが、それが真実なのだと素直に受け入れられたのだ。
「でも‥」
「ありがとう、茜。大丈夫、何かそれを聞いたら何か‥そうなんだって思えたの。‥だから大丈夫。」
心配そうに七海を見た茜が、ふわりと笑った。ほっこりと安心感のある暖かい笑顔に七海もニコッと笑い返す。
「うん、分かった。ナナが大丈夫そうだから私も大丈夫。」
鷹也は二人を見て優しげに微笑むと、布団を直して立ち上がった。
「茜ちゃん、本当にありがとう。七海をお願い。」
鷹也の言葉に茜はふわりと笑ったまま力強く頷いた。 そしてそんな茜を見て、(茜は私が守る!) と改めて決意した七海なのであった。
-あの時に茜がいてくれたから、今の自分がある-
「きっかけはさ、家だったかもしれない。でもね、茜が茜だから私は友達なんだよ?」
七海は遠くの空を眺めて言った。
「‥ありがと。」
茜も同じ空を眺めて静かに言う。
「私さ、料理とかお菓子作りとか‥本当にダメダメじゃない?けど何となく誰にも言えなくて。流水はたぶん気づいているけど。でも、私がそれを言えたのって、茜だけなの。」
七海は静かにそう言って茜を見やる。
「だって茜は、私のダメなとこ知ってもさ、絶対に笑わないじゃん?バカにしたりもしないし。‥茜いてくれないと、私が困るんだよ。」
照れ臭そうに言う七海に、茜は嬉しくなって微笑んだ。
「‥ナナ、何でも器用にこなせるからさ。意外な弱点を聞けて、ちょっとだけ安心したんだけどな?」
茜の言葉に七海は意外そうな表情を浮かべる。
「何でも器用に‥?そんな風に見えるの?私が?」
「だってそうじゃん!調理実習のときだって、グループをうまくまとめてたし。言われるまで気づかなかったんだからー!」
茜の言葉に七海は困ったような笑みを浮かべる。
(なんでも器用に出来るといったら、私なんかより鷹兄のほうがよっぽどなのに‥。)
やはり兄と比較すると、自分などまだまだだと思う。少しずつでも近づきたいと努力しているのに、その差が縮まるようには全然思えなかった。せめて成績だけは何とか維持をしなければ、と思う。
「もうすぐ中間テストだし、ゴールデンウィーク明けには部活もなくなるからさ、また集まって家で勉強会やろうよ!」
七海がそう提案すると茜はぱあっと明るい表情を浮かべた。
「あは!何かもう恒例になっちゃったね。お菓子も持ってくね!」
「あははは!いいねそれ!」
おそらく遊馬も道明も来るだろう。毎回ワイワイ勉強するのだが、成績の良い七海と道明が教える側になることが多い。教えることで自分の理解が浅い部分も炙り出せることを、七海は実体験で分かっていた。稀に兄の鷹也が来て先生をしてくれることもあったのだ。
それにきっと、流水も初めての中間試験を迎えることに、不安もあるはずだ。一緒に勉強することで、多少なりとも気が紛れるかもしれない。
「何かすこし希望が出て来た!」
茜が明るく笑ったので、七海も嬉しくなった。こんなふうにお互いに助け合える関係がありがたくて、心地いい。二人はたわいもない会話で盛り上がり、笑い合ったのだった。




