2-5 遊馬という自由人2
夕方、道明は鷹也の元を訪れていた。もちろん事前にメッセージで了承済みである。
「やあミチ、今日はどうしたんだ?」
鷹也の家は、現在篁の家の離れである。部屋の片隅にある冷蔵庫からペットボトルを取り出し、ポカリを放ってくれた。
「ありがとう。あの、遊馬のことで相談したくて‥」
「遊馬?…何かあったのか?」
七海からも特に何も聞いていない、という鷹也に道明はいきさつを説明した。
「‥なるほどなあ‥」
鷹也はそう言って自らもポカリに口をつけた。
「俺、遊馬にこのままじゃいけないって話したんだ。そしたら拒否られてさ‥」
悔しそうに道明は言い、そのまま視線を落とした。
「でも鷹兄の言葉なら、あいつに届くかもしれないって、そう思って。説得してもらえないかな?」
つと視線を上げて鷹也を見やる。縋るような眼差しに、鷹也は軽く笑ってみせる。
「ん~俺はどっちかっていうと遊馬寄りの人間だってことは分かってる、よな?」
道明はそれに同調して頷いた。
「そうだなー遊馬を論破して、言うことを聞かせることは出来るかもね。たださ、ミチはそれでいいのか?」
え?という表情で道明は視線を泳がせた。
「論破‥?‥いうことをきかせる?えっと‥何かちがうような?」
鷹也はニヤリと笑みを浮かべる。
「説得、聞こえの良い言葉だね。道明、説得とはどういう意味?」
唐突な質問に道明は面食らった。普段ミチと呼ぶ鷹也が道明と呼び変えるときには、何か得体のしれない怖さがある。
「えと‥分かってもらう、とか?‥」
鷹也は変わらずにやり笑いを続けている。
「‥そうだね。どちらかというと、説き伏せる、かな?なんとなく上下関係感があって、あまり好きな言葉じゃないんだ。論破して言うことを聞かせる、さっき俺が言ったことと同じように思えてさ。」
道明は呆然と鷹也を見つめた。自分は遊馬を見下しているのだろうか?そんな想いに囚われそうになる。
「確かに一般常識で考えるとね、ミチの方が遊馬より常識人だ。だから教え諭すっていうのも間違いじゃないとは思う。‥でもそれはミチが遊馬にしたいことか?」
道明は言葉に詰まってしまった。自分は遊馬に何を求めたかったんだろうか?自分と同じように振舞って欲しい?あの奔放さを捨てて欲しいわけじゃない、むしろ憧れすら抱いているというのに。
「‥俺、遊馬が周りに悪く言われるのが嫌だ。だから少しだけ周りを見て欲しいって思って‥」
鷹也は再びペットボトルに口をつけた後、唇をなめた。
「ミチは遊馬と対等な友達でいたい。だから自分の言葉も聞いて欲しい。」
「‥はい。」
普段は冗談も言い合うし、気の置けない友人のような関係だが、こういうときの鷹也はやはり自分よりも大人だなと感じる。自然と背筋が伸びてしまうのだ。
「それならもう一つ聞こう、自分の言葉を聞いてもらう前に、遊馬の言葉は聞いたのか?」
道明は絶句してしまった。七海が怒っていて、話を聞いていくうちに、自身がかつて遊馬に対して抱いていた感情を思い出し、一方的にダメ出しをしようとした。
「‥聞いて‥ない」
「そっか。まずはお互いに言葉をぶつけ合うのが先なんじゃないか?そうしてお互いが納得出来ればそれでいいし、出来なければ友達やめてもいいし。」
鷹也はいとも簡単に「友達をやめる」という言葉を発した。おそらくは鷹也自身が友達というものにさほど関心がないからなのかもしれない。
「ま、遊馬は友達やめるなんて言ったら泣いちゃうかもなあ。」
鷹也はそう言って再びニヤッと笑った。
「あー‥遊馬って鷹兄と似てるかもって思ったけど、確かにここまでひどくないわ‥」
思わず呟いた道明に、鷹也はひでえと言って笑った。
「遊馬にきちんと伝えられるのはミチだよ、俺じゃない。だから行っておいで。」
そう諭され、道明は立ち上がった。
「ありがとう鷹兄!」
慌てて出ていく道明を見送り、鷹也はため息をついた。
「まあ、観察する分には面白くていいんだけどな。」
何だかんだと仲の良い4人だ。おそらく数日後には仲直りをするのだろう。鷹也は大きく伸びをして自室に引きこもった。
翌朝、道明は早起きして遊馬の家の前に仁王立ちしていた。
「‥う、お前‥何で‥?」
家から出てきた遊馬の腕を掴むと、否応なく学校とは反対方向にずんずんと歩き出す。
「ちょっ!おい学校‥」
「は?そんなの後でいいだろ。俺にとってはこっちのが大事なんだよ」
ぶっきらぼうに言い放ち、道明は遊馬の腕をがっちり掴んだまま離さない。空手部で筋肉質な道明に、力では到底叶うことなく遊馬は諦めた。
「よし!遊馬!昨日は俺が言いたいことを先に全部言っちまった。だからお前が俺に言いたいこと全部言ってくれ!」
遊馬は急な展開に目をぱちくりさせて道明を見やる。
「‥はい?」
道明の意図が全く分からず、遊馬は戸惑ったままだ。
「昨日鷹兄のとこに行った。お前を説得してもらおうとした。でも説得ってのは論破して言うことを聞かせることと何がちがう?みたいなことを鷹兄に言われた。俺はお前に説教したくもないし、俺の言う通りにしてほしいわけでもない。だからお前の言葉もちゃんと聞きたい。」
ドストレートな言葉に、遊馬は一瞬の後、笑い出した。最初は訝しんでた道明も、なぜかつられて笑い出してしまう。
「なんつーかさ、先輩の最後の試合だから何?って思ったんだ。それよりも今、行きたいところが出来た。だからそれを優先した。それの何が悪い?のか、分からない。」
道明は静かにそれを聞き、そして頷いた。
「‥そうかあ。お前はさ、先輩に世話になったりしたことないのか?」
「あるよー!」
即答の遊馬に道明はずっこける。
「まてまて、だったら一緒の大会に出られる最後のチャンスかもしれなかったろ?」
「え?敵か味方かわからないけど、最後とは限らないじゃん。」
道明は何となく悟った。遊馬は中学最後とか、そういった区切りに対しての特別感を全く持っていないのだと。
「あー‥そうか、もしかして『本当にそれが最後のチャンス』だったとして、この先一度も一緒に出来なかったとしても、『そういう縁』だから仕方ないって感じか?」
「あ!そう!」
遊馬は明るく頷いた。
「俺はというか、七海もさ、その『最後のチャンス』を逃したくないタイプなわけ。それにさ、俺は空手だけど、選ばれた以上、皆の期待を受けてるわけでさ、それを裏切るっていうか、反故にするみたいなのが苦手なんだ。」
「だから七海、あんなに怒ったんだな。」
遊馬は遠くの空を見やる。
「何かさ、『ここ行きたい』って思うとさ、ザワザワしちゃって落ち着かなくてさ。それで迷惑かけんのヤダなっていう気もあったんだ‥」
「言い訳だなー!その心を鎮めるのが“道”だろうに。」
道明の軽い口調に遊馬は「そうだな」と笑い、爽やかな風が吹き抜ける。
「…俺はね、遊馬。お前のことは友達だと思ってる。お前のそういう自由なとこも気に入ってるし、ちょい憧れるくらいある。でもさ、他の奴が『アイツは自分勝手な奴』だって言うの、すげーむかつくのな。だからこう、俺たちだけじゃない所では少しだけ気を遣って欲しいっていうか。」
道明は更に言葉を続ける。
「俺らはいいんだ、お前がお前の思うままのほうがお前らしくて、俺は好きだし。けど、他の連中はどう思う?その悪口を聞かされて、でもさ、そいつらの気持ちも分かってしまうんだ。」
「‥そか。こんな自分勝手な奴とつるんでるお前らまでも、変な目で見られることもあるのか。」
遊馬は高く青い空を見上げる。
「いやそれはどうでも‥」
「いいわけないだろ!」
遊馬は語気を強めた。気づかなかった自分に対してなのか、怒っているようにも見える。
「良いわけ、ないんだよ。俺、七海にも八つ当たりしたしさ。最初は常識押し付けてくんなしって思ったけど、あいつの射って、何かおもしれーんだよ。正射必中ってね、正しく射れば必ず当たるって意味なんだけど、なぜか正しいのに外すんだ。あいつは自分が下手だからだと思ってるけど。だから見届けたいっていうかさ‥」
道明は何だかひどく優しそうな表情を浮かべている。
「今なんか俺、告白聞いた感じか?」
「ちょ!違うだろ!!射に関してであって、そういうんじゃねえだろ!?‥違うよな?」
道明が笑い出すと、遊馬も同じように笑い出した。
「からかって悪かった。七海にもちゃんと謝れよ?めちゃくちゃ落ち込んでたからな?」
「あー‥昨日熱出して休んだって聞いた。俺、今日は学校休むわ。ちゃんと頭ン中整理して、明日七海とも話す。」
道明は立ち上がって大きく伸びをした。
「俺は遅刻だけど学校いくわ。‥お前と話せて良かった。」
遊馬も立ち上がる。
「サンキュ、道明。危なく俺、数年間海外に高飛びしなきゃいけないとこだった」
「とりま行くのはいいが、連絡はしろよな!」
「うん!」
二人は笑顔で別れ、それぞれ歩き出した。汗ばんだ肌を心地よい風が吹き抜けてゆき、何となく爽やかな気分を倍増させてくれた。
道明と和解した翌日、遊馬は朝からそわそわしていた。授業中いつにもまして内容が全く頭に入ってこず、時間の経過が恐ろしくゆっくりに感じられた。
必死に授業を聞き、もう間もなく終わるだろうと時計を確認すると、まだ10分すら経っていない、そんな状態である。
昼食も砂を噛んでいるような、味も何も分からない物を牛乳で流し込み、午後の授業の終了を今か今かと待ち続ける。
そして授業が終わった後に教室を飛びだしかけたところで捕まった。
「掃除当番!昨日もさぼったでしょ!?」
だからなにとも言えず、渋々掃除を開始する。こんな面倒なことを‥と思いもしたが、それを自分はやらずに人に押し付けてたことを自覚すると、黙ってやらざるを得なかったのだ。
掃除が終わり、その後部活に行こうとしたが退部届を出してしまっていることを思い出した。
「あー俺のバカ。これ行ったら怒られるやつか‥?」
逡巡して校舎内をウロウロと歩き回る。せっかく道明と仲直り出来たのに、これで七海と向き合わなかったら元の木阿弥だろう。
(てゆーか木阿弥さん、誰だよ?)
そんなことをツッコミながら屋上から校庭をぼんやり眺めているうちに、運動部が片づけを始めた。授業中、あれほどまでに遅かった時間の流れが、今になって急加速したのではないかと思えるほどだ。
それでもなかなか決心がつかず、弓道場に行こうとして再び教室に戻った。弓道場に行く=弓具を持っていくということだと何となく思ったからだ。
既に薄暗くなり始めていたが、射場に人がいる。
「七海…」
立ち振る舞いでそうと分かり、遊馬は一度深呼吸をすると、七海が驚かないよう自然な足音を立てて歩いた。
神棚に向かって一礼し、射場へと近づく。そして七海は遊馬の気配に気付いたが、振り向けない。
「そのままでいい。聞いてくれ。‥えっと、ごめん。」
胴づくり中であったため、遊馬は小声で声をかけた。七海は背を向けたまま、次の所作に移る。遊馬はその様子を黙って見つめた。
妙にこわばったように所作を進め、弦音を響かせたが、どこか鈍さの残る音だった。矢は安土に刺さり、七海はため息を落としてゆっくりと振り返る。
「何が‥?」
こわばった声だが、怒りではないことに気付く
「‥俺は、俺の自由を最優先してた。それの何が悪いのか、分からなかったんだ。」
七海は真剣に遊馬を見つめる。
「んで、他の奴らのことなんてどうでもいいって思ってたんだ。」
「‥そっか。」
やけに寂しげに聞こえ、遊馬は落ち着かない気分になりながらも更に言葉を続ける。
「いや、今でもどうでもいいって思ってはいるんだ。 でもさ、道明に言われたんだよ。『友達が悪く言われるの、俺がきついんだ』って。『お前はお前の思うままの方がお前らしくて、俺は好きだよ。でもさ、他の連中はどう思う?その悪口を聞かされて、でも、そいつらの気持ちも分かっちゃうんだ。』って。」
遊馬はそう言って項垂れた。
「七海とかさ、道明とかさ、茜だって友達だって思ってる。だけど、だから、俺のわがままのせいで、俺とつるんでくれてるお前たちが悪者になるのはイヤなんだ! だからごめんなさい。」
七海はフッと吐息を漏らす。
「遊馬、準備して。」
遊馬は顔を背けながら部室に走って行った。
「‥バカなんだから‥」
しばらくして着替えを終えた遊馬が戻ってきて、射場に立つ。
「遊馬の射が見たい」
七海の言葉に、珍しく緊張した面持ちで、それでも礼から打ち起こしまでを流れるようにこなしていく。緊張しながら、いつもとは違う空気の中、それでも何ら変わらない堂々とした所作であった。
会のとき、風が吹き抜けて遊馬の髪を揺らす。微かに緩ませた頬につうっと汗が流れた。 その直後、鋭い弦音が響き渡った。静寂を切り裂く甲高い音に七海は呼吸をすることすら忘れてしまっていた。
残心を解き、一礼した後、遊馬は七海に向かって再び一礼した。
「‥動揺して外すかと思ったのに。」
遊馬の矢は正鵠を射ている。
「ここで外したら、俺はまだ俺と向き合えてないってことになる、だろ?」
「‥そっか。」
七海は一度目を閉じ、真っ直ぐに遊馬を見返す。
「私は遊馬の射が好き。特に試合の時、緊張しているのに自由で、いつも以上に所作が堂々としていて。楽しみにしていたから、見られなかったのが悔しかった。でも、だから!辞めて欲しくない。」
真っ直ぐな言葉に圧倒され、思わず身体が引けてしまう。
「ごめん、明日、先輩達にも謝ってくる。」
「うん。」
ようやく二人は力を抜き、どちらともなく笑みを浮かべる。
「片付けよっか」
「おう」
二人は協力して片付け作業を行い、弓道場を後にした。
陽が落ち始め、薄明の中を家路につく。会話はなく、何となくの気まずさを覚えつつ分かれ道まで来た。
「遊馬!」
「ん?」
「明日、遊馬が見てきた景色、教えてね!」
七海がそう言って笑顔を向けると、遊馬も笑顔になる。
「おう!」
お互いに少し軽くなった足取りで、別々の道へと歩みを進めて行った。
あくる日、遊馬は朝から部長の所へ赴いた。
「‥決心は、ついたかい?」
遊馬は深々と頭を下げる。
「感情に任せて退部届を叩きつけてしまいました。本当にごめんなさい!」
そしていったん顔を上げ、再び部長の顔を見る。
「大会の日、自分のことしか考えず、気づいたら行動に移してました。こんな調子じゃ試合やっても的中出来ないからって自分に言い訳して。選ばれたことの責任を全然考えてなかった、でした。すみません!」
大声のせいで、周囲の三年生たちの注目を集めている。
「はーーーー‥本当に全くお騒がせだよな。」
部長が言うと、同じ弓道部の三年生数名が集まってきた。
「あーすーまーーー!俺と一緒に射るのがそんなに嫌だったかーーー!?」
「えっ!?いやそういうわけじゃなくって!!」
呆れや怒り、笑いのスパイスが微妙なブレンド具合で遊馬に降り注ぐ。
「お前が来なかったせいで次、親善大会やることになったからな!!今度は絶っっっ対に来いよ!?」
「ヘイ!!」
なぜか大声でハイとヘイを言い間違えてしまい、先輩たちから笑われる。
「親善試合のせいで高校入試失敗したら責任とれよなー?」
「え?それ先輩の実力不足‥」
「こらーーーーーー!!」
思わず零れ出た言葉に、三年生は笑いながら遊馬を小突く。
(俺‥こんなに居心地いいところにいたんだ…)
ちょっとだけ涙ぐみながら三年生たちとじゃれ合い、退部届は無事返却され、しばらくの間は安土整備と的掛けを一人で行うこととなったのだった。
二人は改めてあの時のことを思い出しながら話し、そして笑った。苦い思い出ではあるが、弓道部の引退も間近になった今だからこそ、笑って話せたのかもしれない。
「まーあんときの七海、マジ冥界の王ってか魔王みたいなオーラだったしなー」
怒りをぶつけられた時のことを思い出しながら遊馬は言う。
「うっさい!魔王や冥界の王は浄化の修行なんてしないでしょ!」
「あはは!‥まあ、あの事件以来、ちょびっとだけ周りを気にするようになった!」
へへん!と得意げになる遊馬に七海はくすくす笑う。
「ちょびっとだけ、ね!」
「ちょびっとだけ、な!」
そしてあの時以来、遊馬の射に磨きがかかった。試合の勝ち負けすら超越したような、その姿勢とその気迫には見るものを呑み込む凄みすら感じられるのだ。
「あの副部長が遊馬を副部長に推したってことに私は驚いたけどね!」
「あー‥めちゃくちゃ説教されたし。まあ何言われたかは全く覚えてないんだけどな!」
遊馬らしい、と七海は思う。きっと何を言われたかは覚えていなくても、副部長の心情は確実に受け取ったのだろう。
「今度はうちらの引退試合か。」
「そだな。‥まあ、誰かが突然旅に出ても俺は怒らないよ?」
「そんな奴、遊馬しかいないわっ!」
二人は笑い声をあげ、初夏の空を見上げていると、夕刻の涼しい風が優しく二人を撫でていった。
そして地区大会当日。
男子団体戦-12射6中 予選敗退
女子個人戦-水澤七海 4射2中 予選敗退
団体戦、皆中だった遊馬は笑顔で二人に言った。
「最後にお前らと引けて楽しかった!」
そんなふうに言える遊馬を、どこか羨ましく思いながら七海は中学の部活を終えたのだった。
七海 弓道姿
遊馬 弓道姿




