2-2 土門道明
土門家の次男として産まれた道明には、5歳上の兄、恭平と4歳下の妹、美園がいる。兄は現在東京の大学で独り暮らしをしており、家にはいない。兄弟は仲が良く、子供の頃にはよくキャッチボールをしていたものだ。4歳下の妹は現在小学校5年生である。最近少し生意気にはなってきたが、それでもお兄ちゃん子の美園とは一緒にゲームをする仲だ。
恭平は中学で生徒会長を努めており、成績も優秀、バレー部ではセッターとして活躍していた。中学での部活動入部は必須である。とはいえ退部した後に再び必ず部活動に所属する必要まではない。このため道明は兄の影響もあって、バレー部に入部したのだ。
このときは既に恭平は高校1年生になっており、都内の高校へ進学していた。東京の大学に行きたいという想いから、高校進学も都内にしたらしい。
【兄ちゃん、俺もバレー部に入ってみた!】
【バレエ部か!?w】
【バレーボール部!ボケなくていいよw】
【頑張れよ!】
メッセージでそんなやりとりをしていた兄と弟である。道明は、運動神経は良い方だ。サーブやレシーブに関しては特に問題もない。小学校に入る前から空手を習っていて、飛んでくるボールの着地点に入り、ボールをしっかりと受け止めることにかけては同級生よりも秀でていた。
上級生たちの試合を見て、スパイクやブロックに心を踊らせ、自分もあれが出来るようになりたい。そんな風に思った。
しかし現実はシビアである。身長は同級生の中央付近、垂直跳びに関しては部内の最下層であった。そこからスクワットやジャンプの練習を繰り返し、少しでも高く飛べるように努力した。牛乳もたくさん飲んだ。それでもなかなか身長は伸びず、垂直飛びも伸びない。レシーブの安定性だけは評価されたのだが、それだけだ。
「向いてないのかな‥」
そんな矢先、ジャンプ練習の無理が祟って足首を捻挫してしまった。部活はしばらく休むことになり、大好きな空手の稽古も休まざるを得なかった。
道明が沈んでいる様子を見て、七海や茜が声をかけてくれたのだが、道明は笑って「なんでもないよ」と答えた。学校の屋上に寝転がっていると、腹の上にコーラのペットボトルを落とされる。
「足、大丈夫か?」
そう言って自らもペットボトルを開け、飲み始めたのは遊馬である。
「‥垂直飛びが伸びなくてさ‥」
道明がため息交じりに呟くと、遊馬は能天気に笑い出す。その態度にムッとして口を開こうとしたが、遊馬が先手をうった。
「だってさ!道明、落ち込んでんのって、垂直飛びのせいじゃなくね?」
そんな遊馬の言葉に道明はぽかんとして、その顔を見つめる。
「おまえー!部活の練習で空手の稽古時間が減ったのと、足の捻挫でしばらく空手も休みなのが原因だろ!?垂直飛び関係ねーし!」
あははは!と笑いながら言う遊馬に、道明は何かがカチリ、と嵌った気がした。
「マジか。‥俺、空手がやりたかったのに、その時間が減ったせい‥?」
遊馬はあっけらかんと「うん!」と返事をして空を見上げた。
「なんかさー、部活始まってからのおまえ、何か違ったしなー!俺が勝手にそう思っただけかなー?バレーが好きだったら悪い。でも、本当にやりたいことに時間使った方がいいんじゃねー?」
道明は同じように空を見上げた。確かに先輩たちの試合で、あんな風に出来たらいいなと思ったのは間違いない。だが―
「‥部活に入らないといけないって言われて、何となく兄貴がバレー部だったからさ。けど、先輩たちが高く跳んでるの見て、いいなって思ったんだ。」
道明はそう言って笑った。
「そっかー!家の兄貴なんて入部して三日で辞めたらしいからなーwバック転出来たらかっけーと思って、体操部入部して、鬼の柔軟体操で泣きながら辞めるって言ってたらしい。あ、小学生のときか。」
遊馬が笑いながら言うと、道明も笑った。遊馬の兄は現在中三であり、確か現在はバスケ部だったはずだ。
「しばらく部活も空手も出来ないから、ゆっくり考えてみるよ。ありがとう、遊馬。」
しかし遊馬はなぜ礼を言われたのか分からず、きょとんとしている。しかし道明が明るい表情になったのを見て、笑顔になった。
その後、道明は兄にメッセージを送った。
【バレーのジャンプとか、あの高さすげーって思ったけど、やっぱり俺、もっと空手に打ち込みたい。】
兄からの返信はすぐだった。
【お前がやりたいことをやるのが一番だろ?応援してるよ!】
道明はそのメッセージを見てフッと心が軽くなり、微かに笑った。こうして道明は遊馬に気づかされ、兄に背中を押されて退部することを決めたのだった。
部活を辞め、学校が終わったら道場に直行する。まだ足首にテーピングはしているが、痛みはない。一つ一つの型をなぞっていると不思議と心が落ち着き、程よく力が入る。
(うん、俺はやっぱり高く跳ぶことより、こっちの方がいい。)
途中で辞めることには迷いもあったが、それでも決めたことに後悔はない。地道な練習と筋トレ、ストレッチを繰り返して徹底的に体幹を鍛えた。バレーで失われた時間を取り戻すかのように、空手に打ち込み、そして努力した分、結果が積みあがっていく。
稽古が終わると、帰宅して勉強だ。心が落ち着くせいなのか、バレーをしていたときよりも集中して問題を解けるように思う。体育でも様々なスポーツをやることは多いが、球技が余り得意ではないらしいことに気づかされる。
「うーん‥俺は余り器用なタイプじゃないからなあ‥」
授業のバスケでもパスを回すのが精いっぱいだ。ドリブルというよりも毬つきになっており、簡単にボールを奪われる。
体育の授業で目立つのは、七海と遊馬だ。女子の中でもトップクラスの身体能力の高さと、スピード、その判断力でバスケも器用にこなす七海。小柄ながら軽快に走り回り、その瞬発力と跳躍力で相手を翻弄する遊馬。
見ている方が面白いと思えるほどの活躍っぷりである。
「ナナすっごーい!」
ゴールを決めた七海と、クラスメートがハイタッチを交わす。道明には出来ない芸当だったが、今はそれを羨ましく感じることもなくなっていた。
「うん、俺には空手があるからな。‥ちょっとだけ悔しいけど。ちょっとだけ。」
跳び箱は苦手だったが、マット運動は得意だったり、バスケは苦手でもサッカーのキーパーは得意だったり、道明は自分の得意不得意を着実に見極めながら、出来ることを素直に喜んだ。
そして日々の筋トレのお陰で着実に筋力はついてくる。それを決して誇示することはなく、重いものを運んでいる女子に声を掛けて手伝うことも多かった。
「土門くん、いつもありがとう」
先生から授業で使う教材運びを頼まれた女子生徒を見かけ、道明が手伝い、そんな風に感謝されることも多かった。感謝されると道明は「一人じゃ大変だしね」と穏やかに笑うのだった。
そんな中、ある朝道明の右掌に眼が現れた。寝ぼけているのかと思い、手の甲で両目を擦る。再び目を開けて右手を開くと、そこにはやはり眼があった。そっと触れてみるが手のひらを触る感覚のみで眼に触れても何の違和感もない。
「…俺、昨夜なにか悪いもの食べた?」
夕食のメニューを思い浮かべながら階下に行くと、母が笑顔で話しかけてくる。
「開眼したでしょう?掌見せて!」
どうやら母が何かを知っているらしい。道明は母に右の掌を見せた。
「焦茶に茶色い虹彩。片手だけ?」
母に聞かれて道明は頷く。そして母が自らの掌をこちらに向けた。
「ええっ!?母さんにもあるの!?」
今までそんな眼が見えたことなど一度もなかった。なぜ今朝になって見えたのか。
「掌に眼が発現するとね、見えるようになるのよ。ああ、それとね、今まで見えなかったものが徐々に見えて来るようになるわ。そうね、一般的には幽霊とか妖怪なんて言われてるようなものかしら。」
道明の頭の中はすでに情報流入過多になっていて、言葉を発することすら忘れていた。
「ぬりかべとか砂かけババアとか・・?」
無意識に言葉がこぼれ落ちたが、母は楽しそうに笑っている。
「ちょっと違うのよね。ある程度特定の形はあるけど、特に名前なんて付けていないの。基本、害のない子たちだし、我が家の敷地内にも住み着いているから、話しかけられたら挨拶くらいはしてあげてね。」
そう言ってキッチンへ行くが、道明の頭の中は完全に混乱していた。
そして学校に行くと、遊馬に話しかけられる。
「聞いてくれよ!!信じられないかもしれないんだけどさ、手に眼があるの!親に言ったらすげー喜ばれたんだけど!ウチ誰も見える奴いないんだよ!んで、道明の家もそういう家って聞いてさ!」
早口で捲し立てられ、道明は笑いながら右の掌を見せた。
「おおおお!同士がいたーーーー!」
遊馬も右掌に眼があった。何となく自分のとは雰囲気が違う気がする、と感じる。そしてそこに近づいてきたのが茜と七海だ。
「‥私たちもそうなんだよね。」
茜は左掌に、七海は両手掌に、それぞれ眼があった。しかしぱっちり開いている三人とは違い、七海の眼だけは両眼ともに瞼を閉じたままである。
「‥原因は分からないんだけどね、私のはねぼすけみたい。」
七海が少し寂しげなのが気になったが、それでも同じ仲間がいると知って全員が安心したように笑ったのだった。
その後、自分たち一族のことを聞かされ、開眼に纏わる行事なども一通り行った。七海だけは少し前に開眼していたらしいが、両眼ともに閉じていたことから、様子を見ようと行事関連も行ってなかったらしい。
「七海も妖や影は見えるんだなー」
道明が尋ねると、七海はこくりと頷いた。
「でもこうしてみんなと一緒に行事に参加出来て、それだけは良かったかも。」
やはり眼が閉じていることが気になっているんだなと感じたが、仲間がいることが心強いらしい。そこから4人で過ごすことが増えた。
道明にとってもう一つ大きな収穫だったのが、七海の兄、鷹也の存在だった。初めて見かけたのは、街なかで七海と茜がガラの悪そうな男数人に絡まれたときだ。気の強い七海が茜の前に立ち、男たちを睨んでいたのを目にした。ちょうど七海の斜め前、男たちの背後にいたのだが、七海がこちらに気付く様子はない。道明は拳を握りしめ、一歩踏み出そうとした、その時。
横合いから音もなく静かに七海たちの元に近づく男の姿を見た。制服姿から高校生だと分かる。しかし身長こそあるものの細身に見えた。が、ガラの悪い男どもが何か言葉を発した瞬間、高校生の雰囲気が変わった。威圧と殺気が道明の身体を一歩下がらせる。スッと懐に入り、軽く手を押し当てただけに見えた、が、男たちは膝から崩れ落ち地面に這いつくばっている。どうやら男たちにも何が起きたのかは分からないらしい。混乱したように慌てて逃げて行った。
高校生は七海と茜に優しげな表情で話しかけている。念のため道明が歩いて近づくと、高校生がこちらを向き、警戒の眼差しでこちらを見ている。
「あ、道明!」
七海がそう声を上げると高校生はフッと警戒を緩めた。
「‥なんか絡まれていそうだったからさ。大丈夫だった?」
穏やかに尋ねると、七海と茜が笑顔で頷く。
「鷹兄が来てくれたから。‥あ、ええと私のお兄ちゃん。」
七海は嬉しそうに笑っている。兄は間近で見ても、やはり全く強そうには見えない。
「あ、土門道明です。はじめまして!」
名前を聞いて鷹也が微かに首を傾げる。
「‥あれ?兄貴とかいる?‥確か土門家の同級生がいたような‥?俺は水澤鷹也。」
口元に笑みはたたえているが、笑顔とは言い難い。
「あ、今年高校2年です。都内に進学しているので、地元にはいませんが。」
そんな会話があった後、父や兄から人となりを聞いた。
【兄貴の同級生で水澤鷹也って人、いた?】
【いた!なに、あいつと知り合いなの?】
【妹が同級生でさ。初めて会ったんだけど、どんな人?】
【マジか。妹いたんだ?ええと‥ムカつくけど嫌なやつじゃない!】
メッセージのやりとりを見て、道明は更に混乱する。
【ムカつくけど嫌なやつじゃないって何だよ?】
【成績はトップ独走でスポーツもほぼ万能。なのに一切マウント取らないというか、人と係ろうとしない謎の生命体。そしてたまにガラスに突っ込む。】
「謎の生命体?ガラスに突っ込むってなんだよ‥?」
メッセージを見てつい独り言を呟いてしまう。ただ空手とは違う体捌きに興味もあり、道明の方から鷹也に積極的に話しかけることが増えたのだった。
鷹也は道明の予想以上に面白かった。自分の兄が「謎の生命体」というのも、分かる気がするのだ。株やFX、相場に関しても親の名義を借りて仕組みを学びながら小遣い稼ぎをしていると聞き、道明も親に頼んで同じように学び始めた。その件で鷹也と二人、パソコンを見ながら予想を立て、その結果を共有し合う。道明にとっては、もう一人兄が出来たような感覚だった。
ずっと鷹也と手合わせをしてみたいと思っていた道明の願いがかなったのは、中三になる直前のことだった。道場に鷹也がやって来て、ひょっこり顔を覗かせたのだ。
「あ!鷹兄!」
ちょうど稽古の合間だったため、道明は鷹也の元へと駆け寄る。
「邪魔して悪い。終わるまで待ってるから外にいていいか?」
道場内に立ち入ろうとしない鷹也に、道明は声をかける。
「ねね、一度でいいんだ。俺と手合わせをしてくれない?」
しかし鷹也は笑って断る。
「そもそも俺は空手やってないし、さすがに失礼だしね。」
そう言って身を引いた所へ道場主が現れた。
「君は‥確か水澤家の?篁の孫か!?」
鷹也は薄く笑って頷き軽く会釈する。師範と篁とはバイク仲間であることを聞いていたのだ。
「一度、手合わせをしてみたいなって思ったんです。でも失礼だからと断られました。」
道明の申し出に師範は少し考えた後、獰猛そうな笑みを浮かべた。
「構わんよ。‥今日はもう私と道明しかおらんしね。異種対決になるが、道明には良い刺激になるかもしれん。」
そう言われては断り切れず、鷹也は渋々道場内に足を踏み入れた。Tシャツとジャージといった軽装であり、素足にビーサンを履いていた。
「うーん‥ミチが俺を崩せたら終わりな?」
そう言って両手をポケットに突っ込み、自然体で対峙する。
「さすがに舐めすぎじゃないかなー?」
道明は気合い一閃、距離を詰め、流れるように回し蹴りから正拳突きを入れる。
「遠慮はしなくていいよ。悪いけどたぶん当たらないから。」
最低限の動きで完全に躱しながら鷹也は言った。道明はその言葉にスッと構えを取り直す。煽っているわけでもなく、本気でそう言っているのが見て取れた。
「ヤー! セイッ!!」
相手の様子を見ながら突きや蹴りを連発するが、そもそも鷹也は突っ立っているだけで挙動がない。それなのに当たる半瞬前には、その場にいないのだ。
(うっわ、やりにくい。しかもどう動くか全く読めねー)
それでも相手を観察し、躱されることも計算に入れながら攻撃し続ける。足音を立てることもなく、ただ静かに躱し続けるだけだ。
(‥ありゃあ、完璧に見切っているな。それでも頭に血が上ること無く、勝機を掴もうとする道明は、やはり素晴らしい。)
師範はその攻防を立ったまま見つめ、満足げに頷いている。
「もう後がないよ?」
当たらないならば場外へ。地道に計算し、額から汗を滴らせながら道明は笑みを浮かべる。
「‥うーん。じゃ、仕方ないなー」
鷹也はぬるりと間を詰め、道明の連打を全て受け流した後、左の肩から胸の間にトンッと人差し指を当てた。途端に道明はその場に尻もちをつく。
「え!?‥あれ?‥なんで!?」
どこも痛くなければ、なぜ尻もちをついたのかも分からない。
「そこまで。」
師範がそこで二人を止めた。尤も鷹也の方は再びポケットに手を突っ込んで、立っているだけだったが。
「いやはや‥流石と言おうか。道明、何をされたかは分かるまい?」
ようやく立ち上がり、道明は困惑したまま頷いた。
「古武術、その中でも体術が非常に優れていてな。相手の動き、間合い、全てを見られる。そして、ここを突いたら崩れるポイントを掴み、それを正確に突いてくる。力ではなく、身体の神経回路に混乱を起こすポイントをただただ狙うという、厄介な相手だ。」
道明は過去に七海達が絡まれていた場面を思い出す。あの時もそっと触れただけに見えた。今もそれと同じなのか、と身体が理解した。
「‥ありがとうございました!鷹兄!また手合わせして欲しい。俺ももっと稽古を頑張って、鷹兄に一発入れられるようになりたい!」
師匠はにこやかに笑い、鷹也を見やる。
「‥あーうん。まあ俺も空手相手の動きを見る練習にもなるしな。」
こうして道明と鷹也の交流はどんどん深まっていったのだった。恭平とも全く違うタイプの鷹也は、道明にとって兄であり、師匠であり、大切な友人の一人となったのである。




