2-1 道明の相談
不動産会社を営む土門家は、地元密着型の小規模な会社である。土系統由来である土門家は、地相を見てどのように土地を活用するのか、や、先々の繁栄についてなど、かなり鋭い感覚を持っている一族である。分家は土木や造園業を営んでいることもあり、土地にまつわる仕事に就いていることが多いのだ。
「道明、ちょっと来てくれんか?」
そう声を掛けてきたのは、山を所有している老男性であった。数年前に妻を亡くし、子供たちはそれぞれ独立していると聞いた気がする。
「重さん、どうしたの?」
道場の帰りに声をかけられ、道明は近所でもあるので家に寄ることにしたのだ。
「まあまあ上がれ、茶を出すでな。」
急須に茶葉を入れてポットのお湯を注ぐ。少し蒸らしている間に、せんべいや羊羹を適当に盛って出してくれた。急須からコポポポと湯呑に茶が注がれ、緑茶の香りが立つ。
「あーこれ新茶?やっぱ美味いねえ‥」
「分かってくれるのは嬉しいもんだねえ。遠慮しないでつまんでくれ。」
「ありがと、頂きます!」
道明は早速羊羹に手を付けかじる。こういうときには遠慮しない方が、重さんも話しやすいだろうと思ってのことだ。
「道明君も家の山のことは知っているよなあ?」
重さんが所有している山は、山菜取りやキノコ採りで何度か入らせてもらったことがあったため、道明は頷いた。
「もう私も年でなあ。山の手入れも出来ん。最近山の手入れが出来ていないから、山神様にも申し訳なくてな。‥私が死んだら息子達は、業者に売るだろう。だから今のうちに手放そうかと考えているんだ。最近、ゴルフ場にしたいなどという業者もおって‥尚更今のうちに動いておきたいんだ。」
重さんはそう言って寂しそうにお茶を啜った。
山は手入れを怠ると荒れる。雪深いこの辺りでは、風雪による倒木にも繋がるうえ、大雨による地滑りや山火事に繋がる恐れすらあるのだ。林業を営む家も減っており、山を維持するための金銭も馬鹿にならない。
「そうか‥それは確かに心配だね。ちょっと親父にも相談して、何か方法を考えるよ。」
その後は学校の話や空手道場での話になり、重さんも楽しそうに笑ってくれる。独り暮らしであるために話し相手も少なく、寂しいのかもしれないなと道明は思った。
「ただいま!」
道明は着替えると早々に父のいる事務所に入っていく。敷地は広く、古くからの土地であるために、ここにも妖たちはそこそこいる。
「お帰り。珍しいな、何かあったか?」
道明がこちらの事務所に顔をだすことが珍しいため、父である孝之介が笑顔で声をかけてくれる。
「さっき重さんに相談を持ち掛けられてさ。」
孝之介は冷蔵庫からペットボトルのお茶を出して投げてくれたので、礼を言ってさっそく口をつけ、そこから先ほど聞いた話を一通り伝えた。
「そうか、そりゃ重さんも心配になるなあ。あの人は山神様への信心が深くてね。‥俺は過去に何度か山神様にお会いしたけど、そりゃ喜んでたよ。‥けど手入れが出来ていないとなると、少々、山の様子が心配だなあ。ちょっと重さんに声をかけて行ってみるとするか。」
しかし道明はそれを止めた。
「じいちゃんも親父も、この間二人揃って腰やったよな?そんなんで山に入ったら危ないだろう?」
祖父の岳之は土門家当主でもあり、元気に仕事をしている。不動産の方ではなく、建築士として図面を書いたり申請業務したりしているのだが、少し前に二人で荷物運びをした際、腰を痛めたのだ。
「親父は年だけど、俺は若いから大丈夫だぞ?」
そう言って父は強がっているが、もともと椎間板ヘルニアを患ってもいる。
「はいはい、そうやってまた動けなくなっても知らないよ?」
息子に心配半分、からかい半分の言葉をかけられ、苦笑いを浮かべる。
「はー…こういうときは素直に頼るか。山の調査なら鷹也に頼むかな。あいつなら大抵のことには対処出来るし、必要なら篁さんにも相談するだろうしね。」
鷹也が親世代からも絶大な信頼を受けていることは、道明も知っている。篁に相談するまでもなさそうな際は、一度鷹也に声を掛けることが多いのだ。浄化や祓いの能力自体も突出しているにも関わらず、必要に応じて判断を仰ぐ。決して驕ることなく真摯に対応するからこそ、得た信頼でもある。
「鷹兄が行くなら俺も同行させてくれないかなあ‥」
道明が呟くが、さすがに孝之介はやんわりと反対した。
「何かあったとき、あいつ独りなら問題ないが、同行者を守らなければならないとなるとね。ちょっとリスクが高いんだ。」
父の話を聞いて、道明は素直に引き下がった。空手黒帯、体格もがっしりしているために、脳筋だと思われることも多いのだが、見た目に反して思慮深く慎重さも兼ね備えている。
「そっか。残念だけど分かったよ。話を聞いてくれてありがとうね。」
道明の腹がぐぐうっと不平そうな声を上げたため、孝之介は笑って「メシ食ってこい」と送り出したのだった。
それから五日後、山に入った鷹也が篁に報告をしたため、篁が孝之介の事務所にやってきた。
「すみません、わざわざご足労頂いてしまって。」
あの後荷物運びで再び腰を痛めた孝之介の事務所に、篁が足を運んだのだ。
「ははは。気にするな、それより大丈夫か?」
白髪頭ではあるが、身長も高く体格はがっちりしている。腹回りも引き締まっており、頑健な肉体であるのが服の上からも分かるほどだ。見た目は厳めしい印象であるが、笑うととたんに快活な印象を与える。孝之介は最近ますます出てきた自分の腹を見て、少し悲しそうな表情だ。
「大丈夫です。それよりどうでした?」
どうやら鷹也は二日半かけてフィールドワークをしてきたらしい。昼と夜とで変化することもあるらしく、夜通し歩き回っていたようだ。
「‥若いとはいえ体力がおかしいな、あいつ。」
思わず孝之介が呟くが、篁は笑顔のまま紙を広げた。
「あいつが移動しながら書いた地図でな。」
道路との位置関係から林道、山の形状と等高線までが書き留められ、川や沢、岩場、滝の位置までも記載されている。
(こういうとこまで細かく書いてくれるから、彼に頼んでしまうんだよなあ‥)
孝之介は内心で呟き、舌を巻いた。自分では到底ここまでは出来ないだろう。
「あとは祠の位置、影や妖の分布、山神様もいらしたそうだが。かなり弱っていたそうな。」
地図の上にもう一枚、トレーシングペーパーを重ねる。蛍光ペンで妖はオレンジ、影は水色で色分けされて分布が描かれている。赤いバツ印が山神様の位置であるらしい。
「それと、夜になって影たちの動きが変わったのと、瘴気を感じたようだ。まだ警戒するほどではないというが、その位置関係がここだな。」
更にもう一枚トレーシングペーパーが重ねられる。
「ここは!3月の雨で雪崩が起きたところか!?」
幸いにも大きな被害にはならなかったが、重さんが頻りに気にしていたのを思い出す。
「うむ。今はまだ問題はなさそうだが、放置はまずいな。」
篁は言い、孝之介は地図を眺めながら微かに唸る。
「‥その山は地脈的にも、かなり重要な場所だな。」
静かな声が二人の耳朶を打った。スッとその場に現れたのは、孝之介の父、岳之である。篁よりも年長であり、禿頭がてらりと光る。血色もよく、息子の孝之介に劣らぬ腹を突き出しながら歩いて来た。
「そうか。だとするとどうする?この山をどうするか、考えた方が良いか?」
篁が尋ねると、父子は顔を見合わせた。
「‥我らが買入れるとしようか。だが、管理自体は共同で出来んかね?」
岳之が篁を見やる。やはり山の管理には金も手間もかかるのだ。可能であれば一族に協力してもらいたいという気持ちも分かる。
「‥そうさな、共同管理についての考えは吝かではない。それを踏まえてこちらからも相談というか、提案があるのだがな?」
篁はそう言って二人に笑顔を向けた。そしてその件で三人は意見を交換し合う。
まずは一度、山の状況を見て雪崩が起きた箇所や土砂災害が起きそうな箇所を周り、土門家分家の土木会社と、土系傍家の林業会社とが合同で費用を見積もる。
ある程度安全なコースを絞り、そこに道明を連れて行きたいというのが孝之介と岳之の提案だ。土門家の中でも、その土地が持つ可能性、活かし方に関しては道明の勘が冴え渡るらしい。
そして篁からの提案というのが、浄化や祓いの実践体験である。七海、道明、茜、遊馬の四名。これはまだ浄化や祓いについては未経験である。夏休みのイベントとして、キャンプと体験学習を行ってはどうかと提案したのだ。もちろんこれには付き添いが必要であり、その候補として鷹也と孝之介の弟、圭輔の名が挙がった。7歳下の弟は浄化も祓いも問題なくこなし、何より身軽でフットワークも軽い。
「‥なるほど。確かにそれなら盤石ではあるな。コースの選定だけは慎重にならねばだが。」
岳之と孝之介、篁は満足気に頷き合い、一先は合意した。後日、人を集めて更なる打ち合わせを行うことにして篁は帰路についた。
その日の夜、道明は祖父と父に呼ばれリビングに来た。今日の復習をしながら宿題をやり終え、ちょうど一息ついた所だった。
「おう、よく来たな。まあ座れ。」
祖父にそう声をかけられ、父にも頷かれて道明はソファーに腰掛ける。
「重さん所の件な。お前から出た話だし、一応その後どうなったのか話しておこうと思ったんだ。」
母の壽子がお茶を入れ、全員の前にそっと置く。その後、母も開いているソファーに腰かけた。
「重さんに断って山の調査をさせてもらったのが、この地図だ。」
この地図は篁からコピーだからと手渡されたものだ。道明と母が地図をのぞき込む。
「え?これ、この山を良く知っている人よね?そうじゃないとここまで書けないわ。」
母が言い、道明もそれには同意した。
「いや、初めてだと思うよ。二日半かけてほぼ全域を回ったらしいからな。」
父の言葉に思わず道明は笑い出す。
「すっげえな、鷹兄。やっぱ変態だわ!」
思わず言うと母や父、祖父までもが笑い出した。
その後は篁から聞いた話と、今後についてお互いに合意したことを一通り報告した。
「危険はないのよね?圭さんと鷹也くんがついているなら安心だけれど。女の子がいるのに女性の付き添いがないのは、少し心細いかしら。‥体調のこととか言い出しにくいでしょうし。」
母が少しばかり心配そうに言う。
「それにね、歩くペースや体力も一緒というわけにはいかないと思うの。圭さんも鷹也くんも、気を遣ってはくれるでしょうけど‥そこは心配ね。」
更に言葉を続けたことで、父と祖父は顔を見合わせ頷き合った。そこまで考えていなかったが、言われてみればその通りだと納得したようだ。
「確かにな。まだこれから細かい打合せも必要だ。篁にもその件は話してみよう。」
それを聞いた母は安心したようだ。
「でさ、俺らはいつ行けるの!?」
道明は待ちきれないといった様子だ。何度も訪れたことのある場所だけに、今すぐにでも行きたいといった勢いだ。
「早くて夏休みだな。今の時期はまだ熊も危険だし、何より地滑りが起きそうな場所もある。土木と林業の者達で調査をして、費用を算出する必要もある。コース選定もせねばならない。」
熊と聞いて道明はギョッとした。
「え?待って?‥そんな危険な所に鷹兄独りで行ったの!?」
思わず父と祖父に食いついてしまう。実の兄以上に慕っているだけに、そんな危険なことをさせてしまったことへ反論したくもなったのだ。
「あー‥あれは大丈夫だ。妖や影たちとも関りが深いから、事前に察知も出来る。その上であの身体能力と知力があれば問題なかろう。‥いざとなれば、熊すら避けて通りそうだしな。」
ははは、と笑いながら祖父が言い、父も一緒になって笑っている。
「いやだって、熊だよ?まあ確かに事前にいることが分かれば、見つかる前に逃げられるのか‥」
道明は何とか納得し、それ以上の反論を控えた。夏休みには神楽祭もあるため、仮日程を組み、七海や遊馬、茜の中学生最後の大会日程の確認をしながら調整することにしたのだった。
翌日、学校に着くなり道明は遊馬と七海、茜に声を掛ける。
「みんなのさ、部活最後の大会とか日程を知りたいんだよね。」
そう言って山でのキャンプについて、昨夜話した内容を伝える。
「面白そー!‥確かに実際の浄化とか祓いって、俺ら見たことないもんなー!」と遊馬が、
「ええ!?ちょっと怖いけど!でもみんなが一緒なら大丈夫、かな?」と茜が、
「神楽が必要なんだよね?‥うー特訓しなきゃ‥けど鷹兄もいるんだよね‥」と七海が言い、三人は不安そうではあるものの、反応は上々である。まだ大会日程が出ていない可能性もあるのだが、神楽祭もあるため、先生に確認しようという話になった。
「そういや七海、神楽はどうなんだい?」
茜と遊馬が席を立ったところで、道明が小声で尋ねる。
「‥うーん。私さ、おばあちゃんの神楽がすごく好きでね、それを見て憧れたの。だからそうなりたいんだけど、まだ分からないことだらけでさ‥」
やはり小声で七海は言い、ため息をついた。
「わたし、選ばれなかったことでおじいちゃんやおばあちゃんに恥をかかせちゃったかもって。何かそれでパニックになっちゃった。‥間違えなかったことより大事なことがあるんだって、何となくそう思ってはいるんだよ?けどまだ私には分からないんだ‥。」
七海は少し寂しげに呟く。
「そっか。けど俺はそうやって頑張ってる七海をすげーと思うよ。‥正直もう、二度と神楽なんてやらないって言いだすかと思ったし。」
道明がそう言って笑うと、七海もフッと笑顔になった。
「あは。‥そんなことすら考えてなかった。もうね、『どうしよう』だけがぐるぐる。‥鷹兄にめっちゃ詰められたし、めっちゃ怖かったし。あの時の鷹兄は大魔王だった!」
道明と七海は声を上げて笑った。
(七海もこんな風に話せるくらいには元気になったんだな。‥けどまだ神楽に対しては怖いと思っているみたいだ。)
お務めという社の清掃がある。これは式を授かっている者たちが持ち回りで社に行き、その際にも短い神楽を舞うのだ。
茜の話では、その時の七海は顔色が真っ青で今にも倒れそうだった、と言っていた。それでも必死に神楽を舞い終え、震える手で清掃をしたのだそうだ。
そしてそんな様子を見たからなのか、神様が来られて七海に何事かを囁いていったのだという。そこから少し落ち着きを取り戻し、無事にお務めを終えたそうだ。
その後は授業に集中し、皆真剣にノートを取っている。中間テストの点が良かったのも影響しているかもしれない。普段手遊びや落書きに夢中な遊馬ですら真面目に授業を受けているのだ。これまでの勉強会は、稀に鷹也が現れるくらいでそれぞれが勉強しながら教え合うことが多かった。さくら先生の登場がかなり良い影響を与えたのは間違いなかった。
七海と遊馬は弓道部へ、茜は剣道部へそれぞれ行った後、道明は帰り支度をして空手道場へと急いだ。7歳から始めた空手も身体に馴染んでおり、現在は二段を所有している。この道場に何名か同年代はいるが、二段を取得できたのは道明だけだ。それでも驕ることなく真摯に練習を続けているため、道場内での人望も高い。
「そう言えば師範、もし熊に遭遇したらどうするんですか?」
ふと聞いてみたくなり道明が尋ねると、師範は笑いながら手を振った。
「とにかく慌てず騒がず、目を反らさずに静かに後退するしかねえな。親子連れに遭遇したら話にならん。人間相手と野生動物相手じゃ話はまるっきり違うからな。お前も間違っても一発くれてやろうなんて考えるなよ?」
道明は笑いながら首を振る。
「無理ですって。スピードもパワーも違いすぎる。ただ師範くらいになったら、素手で倒せたりするのかな?って思っただけです。」
師範はそれを聞いて笑い出す。
「そんなこと出来るわけなかろう?そりゃ、万一逃げきれずにやられそうになったら、一か八か攻撃するかもしれんが。その前に逃げるのが先だ。」
師範ほどに強くてもやはり、逃げることが第一優先なのだと道明はしっかりと心に刻み込んだ。4月誕生日の道明は、15歳になってすぐに段位認定を受け、誰よりも早く二段を取得した。誇らしい気持ちでいっぱいだったが、師範から「慢心することなかれ」と口を酸っぱくして言われている。
「ありがとうございます、師範。やっぱり野生動物は格が違うんですね。万一遭遇しても、師範から言われたことを思い出して対処します。」
師範は笑顔で頷いた。才能もあり、努力家でもある。そして慢心することなく、言われたことを素直に受け止めて実践するのだ。
「うん、いい心がけだ。これからも精進しなさい。」
「はい!」
そんなやりとりをした後にふと父と祖父の言葉を思い出す。
『いざとなれば熊すら避けて通りそうだしな』
身長は確かに高いが、体格はさほどがっしりしているようにも見えない。しかし、以前手合わせしたときには全く歯が立たなかった。とにかく当てることが出来なかった。とはいえ、熊と対峙しても避けられるのだろうか?
(まあ鷹兄の場合、そんなことになる前に察知して距離を取るか‥)
「うーん‥久々にまた手合わせをお願いしようかな‥」
そんな風に思う道明だった。




