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掌の眼  作者: 瑠璃雀
掌の眼
19/32

1-18 波の行方は 1

「鷹兄!遊馬連れてきた!」

 道明ががっしりと遊馬の腕を掴み、やって来た。どれほど遊馬がすばしっこくても、掴まれてしまえば、空手黒帯の道明を振り切ることは出来なかったらしい。

「あーもう!離せってーー!」

 遊馬がもがくが、道明は手を緩めない。


「やあ、遊馬。限定のケーキがあるんだ。立夏さんのところのさ、限定メロンケーキ。せっかくだから呼んだんだけど、遊馬は忙しそうだな?」

 途端に遊馬がピタリと止まる。

「ミチ、離してあげな?たぶん遊馬は忙しいみたいだし、二人で食うか?」

 道明が笑顔で腕の拘束を解き、縁側から上がり込む。

「マジか!あれいつ出るか分からないんだよね!俺メロン大好きでさ!このメロンクリームが絶品で、買いそびれて何度悔しい想いをしたことか!」

 こうなると遊馬はその誘惑を振り切れない。


「いやあのさ!今、七海が大変なんだろ!?ケーキとか食ってる場合じゃなくね!?」

 そんなことを言ってはいるが、鷹也が冷蔵庫から出したケーキに目は釘付けだ。鷹也がケーキを左右に動かすと、遊馬の視線も吸い付けられたように同調する。

「あははは!素直だねえ、遊馬。七海のことを気にかけてくれてありがとな!作戦会議も兼ねて、ちょうど君たちを呼ぼうとしてたんだ。もうすぐ茜ちゃんも来るから、少しだけ待ってな?」

 その言葉を聞いて、遊馬は途端に笑顔になった。

「そっかー!七海んとこ行くことしか考えてなかったなー!」

「あははは。そういうフットワークの軽さが遊馬のいい所だよな。まあでも、ちょっと今回は深刻でねえ、折角の遊馬の行動が裏目に出るかもしれなくてさ。だから作戦会議をしたかったんだ。」

 遊馬はそうだったのか!と目を輝かせ、ご機嫌にペットボトルのコーラを飲んでいる。


 道明は鷹也の手腕に舌を巻いた。どこまで予測していたのかは分からないが、遊馬の暴走については既に想定していたのだろう。

 こうと決めたら猪突猛進癖のある遊馬には、こういう小道具が面白いほどにハマる。そして少しだけ落ち着けば、素直さが前に出て驚くほどに聞き分けが良くなるのだ。

「おじゃましまーす!」

 茜が来て、早速上がり込む。冷たいレモンティーを鷹也から手渡され、礼を言って口にした。



 鷹也がそれぞれにケーキを渡し、自らも冷蔵庫からボトルを取り出した。

「あ、そうそう。まずは道明と遊馬!選考突破おめでとう!」

 道明と遊馬が顔を見合わせ、顔を綻ばせた。


「君等の神楽は俺も見ていたよ。いやね、あの機転は称賛する。選ばれたのは当然だ、誇って良い。」

 その後に茜に視線をうつす。

「茜ちゃんも、もう少しだったね。‥場の違和感は分かっていたようだし、ただ、それを解決するには至らなかったかもしれない。けれど、解決出来た道明と遊馬が凄いんだ。気に病む必要はないよ。」

 茜も笑顔になって頷いた。

「というわけで、ささやかな二人のお祝いと、お疲れ様だ。乾杯するぞ!」

 全員がペットボトルやコップを持ち上げ、鷹也の「かんぱーい」の一言に続く。


「うっわーーーこのケーキ、やば!!」

 遊馬が早速一口食べて声を上げた。さっぱりした甘さ控えめの生クリームと、メロン果汁たっぷりのメロンクリーム、それにふわふわのスポンジが織りなす味に感動している。

「だろだろ!?これ本当に好きなんだよ俺!」

 道明までもがケーキに夢中であり、茜も少し照れ笑いを浮かべながらケーキを口に運ぶ。七海が休んだことで何となく話しにくかった神楽選考のときの会話も、自然に出てくる。


(そりゃ、本当はこうやって盛り上がりたかったよなあ‥)

 ここに七海が参加出来ないのは残念なことだが、仕方がない。こればかりは本人の問題でもあるし、完璧主義な七海にとっては、選ばれなかった事実こそが全てなのだ。

「ねね、鷹兄はさ‥その‥どの段階で誰が選ばれて、誰が選ばれなかったのか、分かってた?」

 突然茜に質問されたが、鷹也は笑顔だ。

「さあねえ。俺は選考する側の人間ではないし。そこまでは分からないよ。」

 澄ましてそう告げるが、茜と道明は、おそらく分かっているのだろうと推測していた。遊馬が悪気無く、地雷を踏み抜く恐れがあるからとぼけているのだ。


「鷹兄でも分からないのかー!絶対分かってそうなのに!」

 遊馬はそう言って無邪気に笑っている。地雷原を裸足で走り回り、自分は被弾すること無く他人を巻き込むような奴である。そして悪気が全く無いのだ。

「あはは。そりゃ、俺だって選考に出たら落とされるかもしれないしね。」

 そう言って笑っているが、道明と茜はそれも疑っている。

「そっかー!鷹兄が落とされたら俺ももっと自慢出来たのに!あははは!」

「あはは!」

 遊馬と鷹也が笑い合っているのを、道明と茜は微笑ましく眺めていた。そして一頻り神楽の時の会話に花を咲かせた後、道明が居住まいを正す。


「鷹兄、七海の様子はどうなんだ?‥相当ショック受けてる、よな?」

 道明がこう切り出すと、茜も神妙な顔になる。

「でもさー何でそこまでショックなわけ?だって、ダメだったらまた次頑張ればいいじゃん?」

 遊馬の考えは単純だ。だからこそ、七海の心情は理解出来ない。茜と道明も困ったように遊馬を見、そして鷹也を見る。


「そうだね、遊馬。たぶん君はそうするし、そこに迷いはない。それこそが君の強さだと俺は思う。でもな、七海はそうじゃない。自分が正しいと思って積み上げて来たもの、それが全て間違いだったと指摘された。そんな状態だ。」

 遊馬は必死に頭を捻っているが、どうにも理解出来ないらしい。


「うーん‥ええとさ‥あ、そうだ!前にさ、“その言葉遣い、間違ってる”って先生に怒られてたよな?」

 道明が思い出したように尋ねる。

「あ、うん。それまで当たり前に使ってて、誰にも言われなかったんだよなー」

 遊馬が思い出しながら頷くと、道明は再び口を開いた。

「その後でさ、遊馬言ってたよな?“じゃあどうしたらいいんだ?”って。」

 今度は遊馬にもピンときたらしい。

「あーまた怒られるのかと思うと、その先生に話しかけにくくなったな。…ってそういうことか!?」

 道明が「そう!」と同意したために、ようやく遊馬も腑に落ちたようだ。


「あのとき道明に、“怒られても話しかけて、質問すりゃいいじゃん”って言われてムカついたんだよなー!他人事だと思ってーって!」

 遊馬がそう言い、そして一瞬固まった。

「そういうことかー!そりゃ俺が行って話してもダメだー!」

 道明がようやく分かってくれた、と胸を撫で下ろす。茜も笑顔で頷いた。


「ミチ、ありがとね。…まあそういう訳なんで、しばらく様子を見ててくれないか?俺がフォローはするからさ。心配かけてすまない。」

 鷹也がそう言って頭を下げると、三人は「分かった!」と言い、笑顔で帰って行った。鷹也は玄関先まで見送った後、再び離れに戻る。


「さて、この後どうするかな…」

 鷹也は止むことのない頭痛に縁側へ寝転がり、この先のことに思考を巡らせるのだった。



 流水は学校が終わって早々に帰宅した。どうやら霧江は買い物に行ってまだ戻っていないらしい。部屋に戻って手早く着替えを済ます。キッチンへ降りる途中で姉の部屋に視線を向ける。音もなく静かなのが気になるところだ。

(おねーちゃん、何も食べてないよね…)

 階下のキッチンで準備を始める。食事が喉を通らなくても、甘い物なら食べてくれるかもしれない。そんなふうに考え、マフィンを焼くことにした。


「冷凍のブルーベリーと、チョコチップもあるな、あ!バナナもある!」

 流水は早速果物たちを取り出し、今日はホットケーキミックスを使うことにする。

卵と牛乳を混ぜ、そこにホットケーキミックスを加えながらまたも混ぜる。

バナナは薄くスライスしたものを一部残し、他は牛乳と一緒にミキサーで混ぜバナナミルクにした。バナナミルクにもホットケーキミックスを入れて混ぜる。

 オーブンを予熱している間、スライスしたバナナをキャラメリゼさせる。以前、七海が喜んで食べてくれたものだ。


マフィン型に生地を入れ、温度設定と時間設定をした後、焼き始める。その間に洗い物を済ませ、ラッピングを考えた。

「確かここらへんに‥色々買い置きが‥」

 キッチン戸棚の引出しをごそごそ漁り、可愛い包装紙を取り出した。

「ええと、バナナとーチョコチップとーブルーベリー‥三個かー。どうやって包んだら可愛いかな?」

 姉に少しでも元気になってもらえるよう、流水はオーブンの中をちらちらと眺める。焼き加減で失敗したくなかったし、見た目も良いほうが姉も喜んでくれるはずだ。

 自分の分と霧江の分もある。三人で食べられたらいいなと思うが、せめて姉が口にしてくれたらそれでいい。


 焼き上がったマフィンに串を刺し、確認したあとで網に乗せて冷ます。引出しの中のメッセージカードに目が止まり、引っ張り出してきたのだが言葉が出てこない。何か伝えたい!しかし、こんなときに「頑張って」は逆効果かもしれない。

 うーんうーんと考え続け、ひねり出した言葉を書き綴った。

「いつも優しいおねーちゃんへ☆」

 流水はバランスよく書けたことに満足し、にへっと笑ったのだった。それから眉間にシワを寄せながら丁寧にラッピングをし、リボンで飾る。

「うーん‥これが限界!プロじゃないから仕方ない!」

 少し皺が寄ってしまったが、それくらいは仕方ないと満足する。そう、プロじゃないのだから。流水は早速焼き立てのマフィンとジュースを持って二階へと行った。


 コンコン

 ノックの音がして、七海はゆっくりと身体を起こした。霧江なのか流水なのかは分からなかったが、仕方なく立ち上がって少しだけドアを開ける。そこに立っていたのは流水だった。


「おねーちゃん!えっと‥これ。良かったら食べて?あ、あとこれも一緒に‥」

 流水が恐る恐る包みとジュースを差し出して来た。廊下から甘い匂いがふわりと漂ってきて、おそらく妹が何かお菓子を作ったのだろう。

「…」

 七海は言葉を発することが出来なかった。自分にはない、お菓子作りや料理の才能。それを流水は持っている。それを突きつけられたような気持ちになり、口を開いたら罵詈雑言を吐き出しそうだった。黙って受け取り、軽く頭を下げてドアを閉ざす。それが今七海に出来る精一杯だった。


【流水なら選考で選ばれたな】

【流水は器用】

【ちゃんと開眼している】

 再び声が頭に響き出す。七海はジュースと包みを机に置き、そのままベッドに突っ伏した。再び激情の嵐が胸の中で荒れ狂い、奥歯を噛みしめても喉の奥で微かに声が漏れてしまう。



 一方流水はしばらく七海の部屋の前で立ち尽くしていた。自分が思っていた以上に、姉は酷い状態だったのだ。

 玄関ドアが開く気配がして、流水は慌てて階下へ降りた。

「おかえりなさい!」

 霧江は廊下に漂う甘い香りに、思わず流水を見た。

「あら?お菓子作ったの?」

「‥うん、おねえちゃんが心配で‥今、渡してきたんだけど‥」

 霧江は内心で「しまった」と後悔した。流水の七海を思いやる気持ちは確かだ。そして食事を取っていない七海に何か食べて欲しい、その一心だということも。

(‥七海にとっては、これがどう映るかしら‥)

 せめてコンビニで買ってきたものなら、まだ良かったかもしれない。七海が苦手意識を持って避けているお菓子作りや料理作り、「自分に出来ないこと」を突き付けられた気にならないだろうか。


「‥七海、何か言ってた?」

 流水はふるふると首を振る。そして悲しそうに霧江を見た。

「おねえちゃん、幽霊みたいだった。何も言わずに受け取って、頭だけちょっと下げて、そのままドアを閉められちゃったの。私、ダメなことしちゃったのかな?」

 どうやら七海の感情が爆発することはなかったらしい。何も言わなかったのは、流水を傷つけないための七海なりの努力だったのかもしれない。

「‥大丈夫よ。今は余裕がないだけ。それより、もしかして私と流水の分もあるの?」

 そう霧江が声をかけると、流水はふわりと笑った。

「うん!お湯沸かしてあるから、紅茶淹れるね!」

 流水がお皿にマフィンを並べてくれ、紅茶を注いでテーブルに置いてくれた。

「バナナマフィン、絶品ねえ。このキャラメリゼしたバナナが最高!」

 霧江の言葉に流水も思わず笑ってしまう。二人は笑顔で会話をしながらマフィンを口に運ぶのだった。



 これより少し前、霧江は出先で雅に電話を入れた。何度かかかって来ていたのだが、家に七海がいる状態で話すのはまずいと思い、わざわざ買い物に出かけて折り返したのだ。

「もしもし、姉さん?どうし‥」

「霧ちゃん!?ねえ、七海の様子は?‥あの子は大丈夫!?」

 やっぱりか、と霧江はついため息をついた。

「落ち着いて、深呼吸!‥選考落ちたのは知っているのね?」

 電話の向こうですーはーすーはーと言う声が聞こえる。どうやら律儀に深呼吸しているらしい。


「そりゃ‥鷹ちゃんと二人で見てたもの。‥分かるわ。だから心配なの!でも私が行ったら甘やかしちゃうし!きっと鷹ちゃんが色々考えてくれてるから、私が邪魔したらダメだし!何かあれば鷹ちゃんが連絡してくれるのも分かってるの!でもー!しーんーぱーいー!!」

 雅は一息に言い切り、尚も言葉を続けようとするため、霧江がそれをぶった切る。

「はい!深呼吸!」

 すーはーすーはー言われた通り、再び律儀に深呼吸する雅に霧江は笑ってしまう。


「それでね!もう余りに心配で!!だから今近くにいるの!家まで車で5分よ!あっ!でもね違うの、髪も切りたいし、スーツもそろそろ新調しないとだし、有給も消化しないと怒られるし、ええと‥そういうことだからたまたま来てるから!霧ちゃんには伝えとこうって思って!」

 早口で言い切った後にすーはーが始まり、霧江は笑いをこらえるのに必死だった。

「‥はいはい、わかったわ。そういうことなら仕方ないものね?今はまだそっとしておいているから、必ず連絡するわ。いつまで滞在するのかだけ教えておいて。」

 霧江がそう言うと、雅は嬉しそうに「霧ちゃん大好きー!」とラブコールをして通話を切る。


「‥騒がしいけど、何か憎めないのよね。かわいいし。」

 ふふっと笑って家に戻ったのである。



 七海は部屋にこもりきり、暗くなったというのに部屋の明かりも点けずにベッドの上で座り込んでいた。嵐は収まったが、今度は底知れぬ虚無感に襲われ、身体に力が入らない。

(‥どうしたらいいんだろう‥)

 流水がくれたお菓子にも手をつけることはなく、ジュースに口をつけることすらしていない。ふと視線を送った先で、メッセージカードに目が止まる。

「いつも優しいおねーちゃんへ☆」 

 文字が飛び込んで来た瞬間、七海の中の罪悪感が大波となって押し寄せた。流水がどんな気持ちでこれを作ったのか、どんな想いを込めてくれたのか。分かってしまった。

「っ!?」

 喉の奥がひゅっと詰まり、呼吸が止まった。今日一日で何度、この激情の波に耐えただろうか。この部屋もベッドも机も、机の上にある流水のお菓子も、全てを視界から遠ざけたい。こんな所にはもう一分一秒もいたくない―


七海は階段を降りて玄関から飛び出した。何が何やら分からない感情の嵐が再び沸騰し、七海の心を苛む。

 胸が苦しい。頭が熱い。心は荒れ狂っている。じっとしていることも耐え難く、再び走り出す。冷たい夜風が頬を打ち、少しだけ頭が冷える。とにかく落ち着ける場所へと行きたかった。


「おねーちゃん?」

 既に走り去って行った姉を追おうとした流水を、霧江が引き止めた。

「…大丈夫。きっと鷹也くんが動く。だから私たちはここで待っていましょう。それにね、貴女達のお母さんも近くにいるから。だから大丈夫。」

 その言葉にようやく流水は安心し、リビングに戻った。

「そっか。鷹兄がいてくれるもんね。それに、お母さんも来てくれてるんだ。」

「まあ、今回ばかりは姉もかなり心配していたしね。」

 紅茶を飲みながら流水がフフッと笑う。


「なんかさ、お母さんそそっかしいから‥鷹兄がいてくれないとちょっと心配?」

 霧江はその言葉に苦笑する。

「そうなのよねえ。」

 二人はうふふと笑いあった。


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