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掌の眼  作者: 瑠璃雀
掌の眼
18/31

1-17 波紋

 七海が学校を休んだその日、茜と道明、遊馬の三人は教室の隅でため息をついていた。

「なんで俺が選ばれた?‥絶対落ちたと思ってたのに。なんで七海がダメなんだ?」

 遊馬が不思議そうに口を開く。なぜ選ばれたのか本当に分からないといった様子で首を傾げている。道明と茜が顔を見合わせ、茜が頷いた。


「わたしはあっくん、通ると思ってたよー!」

 茜が明るく言う。

「なんでだよ!?」

 やはり納得のいかない遊馬は、二人に食って掛かる。別に怒っているわけではなく、理由がさっぱり分からないのが気持ち悪いらしい。


「遊馬はさ、なんで転びそうな二人を助けた?」

 道明が静かに尋ねる。遊馬は首を傾げ、しばらく考えた後に口を開いた。

「だって、あそこで転んだりしたら恥ずかしいじゃん?俺もあぶなかったけど!どうせダメだとしても、いい雰囲気で終わらせたかったしさー!」


「それだよ!」

 道明の言葉に、遊馬は「どれ?」と辺りを見回す。茜はそのしぐさに笑い出してしまった。

「あはは!だってさ、浄化や祓いって、一人だけでやることもあるけど、みんなでやることもあるじゃない?その“場”の空気が大切って教わったよ?」

 そう茜が言うと、道明も頷いた。

「息合いって言うだろ?団体戦とかでさ。まあ弓道よりも神楽のほうが型には寛容らしいしね。だって必要なのは型じゃなくて、調和なわけだから。で、遊馬は思い付きで見事に場の空気を変えてみせた。」


 再び難しい顔をして考え込んでいた遊馬だったが、何ごとかぶつくさ呟いた後にようやく顔を上げた。きっと脳内会議が完了したのだろう。

「まじかー!俺ってすげー!」

 笑いながら自画自賛する遊馬に、茜も笑顔で拍手する。

「ミチくんもそうだよね、きちんと“場”を整えてた。私は整えることも出来なかったし、型は間違えるし、その後ぐだぐだになっちゃったから落ちて当たり前なんだ。次は頑張るつもり!」

 茜も明るく言い、二人に声援を送る。


「んじゃさ、ノーミスの七海が落ちたのはなんで?」

 とうとう遊馬が核心に迫る。道明と茜が顔を見合わせた。

「‥一人だったんだ。周りを一切気にすることなく、型だけを完璧になぞった。」

 道明の言葉に茜も同意する。それを聞いた遊馬が、しばらく何やら考えている様子だ。なかなか言葉に出来ず、たまに顔をしかめるのも面白い。


「あー‥そうだ、俺演奏してて、七海が突っ走ってんの、気づいてたわ‥弓んときと一緒だなーって。」

 遊馬は神楽よりも同じ部活である弓道の方がしっくりきたらしい。

「そうなのか?」

 これには道明が反応し、茜も遊馬を見た。

「うん。俺は団体戦も好きなんだよね。みんなのリズムを感じながら、そこにどうやって入ってやろうかな、とか悪い流れが来てたらどう切ろうかなとか。良い流れだったら次に繋げようとか。だから順番もどこでもよくてね。どこでも面白いって思うから。」

 遊馬の言葉に道明も茜も納得したように頷いた。遊馬らしいなと思ったのだ。

「でもさ、七海は団体戦が嫌いらしい。自分が失敗して足を引っ張りたくないって言うけど、たぶん自分のペースで出来ないのが辛いんじゃないかって、俺はそう思った。」

 道明と茜は顔を見合わせる。遊馬の感覚については二人とも絶大な信頼を置いている。


「‥ナナは自分が選ばれることを確信していたんだよね。お爺様が篁さんだし。選ばれないと恥!くらい思っているかもしれない。」

 茜が心配そうに呟く。

「え?何でそこでじーちゃんが出てくんの?関係なくね?」

 意味が分からないという様子でツッコミを入れたのは遊馬だ。

「うん、そうなんだ。そうなんだけど、七海にとってはそうじゃないんだ。一族で一番偉い人の孫、みんなから注目もされている。だから選ばれなければならなかった。」

 道明がそう説明しても遊馬は納得がいかないらしい。

「よそはよそ、うちはうちってやつじゃね?あ、じーちゃんだからよそじゃないのか。」

 遊馬の言葉につい茜が吹き出してしまう。ただ遊馬の言わんとしていることは、何となく分かるのだ。


「ナナがねえ、それが出来たら楽なんだろうけど‥」

 茜がため息交じりに呟いた。

「ってか、七海が休んでるのって選ばれなかったせい?」

 遊馬の言葉に道明と茜が頷いた。

「たぶんだけど‥ナナからしたら、ミチくんとあっくんが選ばれた意味が分からない。それと自分がなぜ選ばれなかったのかも。」

 静かに茜が言うと、遊馬はなーんだ、と笑った。

「じゃあさ、帰りに七海ん家にケーキ買って行こうぜ!理由が分かれば元気になるだろ!?」

「だーーー!そんな単純な話じゃないんだ!お前はそれでいいけど、七海にそれはダメ!」

 道明が慌てて止める。素直で単純明快な遊馬と違い、その理由がそもそも受け入れられない可能性も高い。自分たちに会うことが出来ないがために学校を休んだ可能性すらあると、道明も茜も七海の状況をほぼ正確に把握している。

 始業のベルが鳴り、三人は席についた。


「茜っち~ナナは今日どしたの?風邪?」

 休み時間にクラスメートの女子が話しかけてくる。

「かなあ?何か体調悪いみたい。」

 茜がそう答えると、クラスメートは心配そうに「そっかー」と呟く。

「ナナが休むのも珍しいもんねえ。長引かないといいな、やっぱナナいてくれないと男子共が言うこと聞かないし。」

「あははは!確かに!」

 悪ふざけの過ぎる男子共は、美人で気が強い七海には弱いらしい。

「うっせーなー!」

 一人の男子が二人の間に来て悪態をつく。

「まーでもいねえと調子狂うっつかさー!早く元気になれよって言っとけよ!?」

 それだけ言い捨てて再び去って行った。

「ツンデレ?」

「ツンデレだね!」

 二人はそう言って笑いあった。



 昼休み、茜は教室の窓から空を見上げて七海のことを考えていた。今日は朝から快晴で風も気持ち良い。

(七海‥大丈夫、かな?明日明後日は学校休みだし‥その後から出て来てくれたらいいな。)

 茜は教室の窓から見える青空を撮った。突き抜けるような蒼天は、それだけで心が晴れやかになる。空を見て風を身体に受けながら、茜は七海にメッセージを送った。

 今撮った青空の写真にメッセージを添えて。

【私もダメだったー!でも空がきれい!】

 七海もこの青空を見て、少しでも癒やされてくれたらいいなと茜はそう思った。



 七海は相変わらず部屋のベッドの上で座ったまま、時折トイレに行っては吐く、を繰り返していた。何も口にしていないため、吐くものなどないのだが。

 トイレから戻ったその時、スマートフォンのメッセージランプが目に入った。すぐに手に取ることは出来ず、しばらくホーム画面を見つめ続ける。

(茜、かな。)

 優しい親友のことを思い浮かべ、少しだけ心が軽くなる。そして意を決し、スマートフォンを手に取った。そこには教室からだろうと思われる空の写真にメッセージが添えられていた。しかし今の七海に茜の気持ちなど分かろうはずはない。

(空‥?そんなの見たって、どうにもならないじゃん!)

 少し苛立ちながら返信文をタップし、そのまま送信ボタンを押す。押したその瞬間、苦い想いが走ったが七海はそれを無視し、スマートフォンをぽいっと投げたのだった。


 午後の授業中に、茜のスマートフォンが震えた。さすがに授業中は確認出来ず、授業が終わった瞬間にメッセージを確認する。七海からだと分かり、ドキドキしながらメッセージを開く。


【わたしは間違えなかったのに】

 茜はメッセージを読み、目を閉じた。七海にとって「正しさ」こそが拠り所だったのだと、改めて痛感する。それを否定された七海が今どんな状況なのか、考えると心が痛んだ。

「ナナ…」

 頬をつうっと涙が伝い、しかし自分が何をしてあげられるのかと思い悩む。茜は涙を拭い、再びメッセージアプリを開いた。七海はもうスマートフォンを手にはしないだろう、このメッセージを送った後で自己嫌悪に陥ってしまっているかもしれない。一人の名前をタップし、メッセージ画面を開く。

【鷹兄、わたしはナナに何をしてあげられる?】

 色々と考えあぐねた結果、それだけを七海の兄である鷹也に送った。



 数分で再びメッセージが受信された、鷹也からだ。

【茜ちゃん、ありがとう。その気持だけで十分だ。】

 鷹也からのメッセージはいつも短文だ。それなのに茜はこの言葉に気持ちがふっと軽くなった。

「…うん、鷹兄がいるから大丈夫だよね。」

 茜はふふっと笑った。三人にとっても頼りがいのある兄貴分だ。茜は再び席に戻り、眠気に抗いながら苦手な数学と向き合うのだった。



 七海はメッセージを送った後、猛烈な自己嫌悪に陥っていた。茜が間違えたことを指摘するような言い回しだ。

(わたし、超嫌なやつじゃん‥)

 空が青いのなんて当たり前だし、そんなことを送ってきた茜にも、空が青いっていうだけで前を向ける能天気さすら腹立たしいとさえ思ってしまったのだ。そして苛立ちをぶつけるように返信してしまった。

(もういい!何もかもがもうどうだって!茜もきっと私のことが嫌いになったはず!)

 むしろ嫌いになってくれて皆が自分から離れてくれたら、清々するのかもしれない。そんなことまで考え、ふと何気なく自分の掌を見た。

 閉じていた眼が揺らぐ。七海の心臓が跳ね上がった。これはまるで、ユキが消えた時みたいな…

そしてすうっと眼が消えた、ように見えた。

(うそ‥やだ‥そんなの‥)

 動揺しまくり掌を凝視するが、やはりいつもの如く眼を閉ざしたままそこにある。とはいえ七海の心は大恐慌に陥った。そして思い至る。

(私の眼が閉じているせいで選ばれなかった!?)

 これまで、閉じていることは気にしていたが、消失については考えたこともなかった。もし消えてしまったとしたら自分はどうなってしまうのだろう。

(わたし‥もう影とか妖も見えなくなってたり…?)


 不安にかられて居ても立ってもいられなくなった七海は、家を飛び出して走り出した。周囲を見回しても影も妖も見当たらない。そのまま走り続けていつもの湧水池まで走った。

「あ!…いた!!」

 いつもよく見かける妖が、ビクッとしてこちらを見てくる。普段なら何かと話しかけてくるのだが、妖はぴょんっと飛び上がり、そのままどこかへ消えてしまった。

「え?何で逃げるの!?どうして?」

 七海は呆然と立ち尽くし、周囲を見回す。妖たちの気配は何となくあるのに、誰一人姿を現すことはなかった。走ったために身体は温まっているはずなのに、指先だけが妙に冷たい。


(…避けられてる…)

 そうとしか思えなかった。見ることも感じることも出来るのに、会話が出来ない。或いは彼らの声を聞き取れなくなってしまったのかもしれない。気配を感じている気がしているだけなのかもしれない。


【ダメだなこれは】 

【消えたら楽になるぞ】 

【神楽もやらなくていい】 

【兄とも比較されない】

 七海の頭の中に直接こんな声が響いてくる。喉の奥がキュッとして次の瞬間、叫んでいた。

「いやああああ!!!」

 嫌な声を振り切るようにして走り出し、再び家へと逃げ帰った。

「七海!?」

 霧江が玄関先で七海の姿を見つけて呼び止めるが、七海はそれを無視して部屋に飛び込んだ。

「…七海。」

 呆気に取られながらも為す術がなく、その後姿を見つめて名を呟く。霧江にもどうしたら良いのか分からなかったのだった。





 七海は部屋に戻ると、不安にかられてスマートフォンを探し、電話帳をスクロールする。指が震え、何度か飛ばしてしまい、ようやく目的の番号を見つけ、勢いのまま電話をかけた。

「…もしもし?」

 まだ少し眠そうな声が七海の耳に届く。時計を見て、時差があることを思い出して固まった。

「…七海?どうした?」

 寝起きから完全に目を覚ましたらしい父が、気遣わしげな声をかけてくれる。

「あ、えっと、ごめんなさい。そっちはまだ早朝だったんだ…」

 その声に少しだけ安心して、まずは叩き起こしたことを謝った。

「気にするな?それより何か、困ったことがあったんだろう?」

 七海は温かな声に少しずつ気持ちが落ち着いてきたのを感じる。しかし、父にこんなことを話しても良いのだろうか?


「あ、あのね…あの、もし、もしもよ?その‥私の“眼”が消えてしまったとしたら…」

 電話の向こうで父が居住まいを正すような、衣擦れの音が微かに聞こえる。

「それは、仮定の話しかい?」

 微かに父の声が掠れている。

「…うん。私の“眼”は開眼したあと、ずっと閉じたまま、なの。…けどさっき、揺らいで…一瞬消えたように見えて…それで…神楽の選考にわたし選ばれなくて…みんなと会いたくなくて。だから‥」

 何をどう伝えたら良いのか分からない。そもそも開眼者ではない父は、神楽の存在は知っていてもそれ以上のことは知らないのだ。

「でも…でも!きっとこの“眼”が消えたら、茜とか遊馬とか、道明も、きっともう友達ではいられない。」

 七海がそう言うと、父は静かに吐息を落とした。

「なあ七海?」

「…うん?」

「その三人は、それで七海と縁を切るような子たちかい?」

 父は静かにゆっくりと問う。


「…もう同じものを見られない。同じ世界を共有出来ない‥私が辛くて‥離れたくなる…みんなだってきっと私に気を遣う。これまで通りなんて無理なんだもん。」

 七海は泣くことすら出来ずにただただ言葉を零した。

「そうだね。最初からその世界を知らないのと、途中から世界が喪失するのとでは訳が違う。それがどれほど辛いことか…」

 そう、父は最初からこの世界を知らないまま、それでも家族と一緒に過ごして来てくれた。今でこそ単身赴任をしているが、七海が中学に入学してしばらくはずっと一緒だったのだ。

「なあ七海?」

「…うん?」

「今はまだ同じ世界を共有出来ているんだろう?」

「…たぶん。」

 七海は自信がなかった。そもそも今住んでいる家の周りには、影も妖もさほどいない。湧水池のほとりでは妖は見ることは出来た。避けられたが。

「うん、今はまだみんなと同じ世界を見られている、それなら今の時間を大切にしよう。」

 不安はあるが、まだ閉ざされてはいないと思う。

「…うん。」


 そして父は少し間を置いて再び口を開いた。

「もし世界が閉ざされたとき…万が一、その時が来てしまったとしたら…」

 七海は息をのんだ。そのことを考えると恐怖しかない。ぞわりと首筋に悪寒が走る。

「その時は、父さんと一緒にいような?」

 そうだ、もし自分の“眼”が消失したとき、その時には父の蒼介が側にいてくれる。凍り付きそうな恐怖から一転、七海は安堵のため息を漏らす。

「…うん!」

「はは。父さんを頼ってくれてありがとうな。また弱音を吐きたくなったら電話しておいで。」

 七海は頷いて通話を終えた。これまで父の孤独を考えたことなど一度もなかった。しかし祖父は父を遠ざけることもしていなければ、兄も父を軽んじることもない。だとすると、自分の不安は考えすぎなのだろうか?

 神楽の問題自体は何一つ解決していない。それでも七海は少しだけ落ち着きを取り戻し、しかしユキが呼んでも現れてくれないことに、再び不安を抱えるのだった。



 蒼介は七海からの電話を終えた後、ご機嫌で歯を磨き、顔を洗った。

「七海があんなふうに弱音を吐いてくれるとか!いや、喜んじゃダメだ!でも俺頼られたよな!?」

 言葉は尽くしたつもりだ。しかし、一族に関する細々したことは蒼介には分からないことだらけでもある。神楽がどうとか言っていたが内容など知る由もない。

「まあ、俺には俺の血を受け継いだ優秀な息子がいるから大・丈・夫っ!」

 鷹也が面倒くさそうに苦笑いするのが脳裏をよぎったが、その息子にウインクしてみせる。

「七海!頑張れよ!!」

 そう言って淹れたてコーヒーを啜り、少し早めの出社をするのだった。



 そしてその頃、鷹也のメッセージアプリが光った。

【たかにーたすけて!遊馬が暴走してて!おれだけじゃむりーー】

 送り主は道明である。内容から何が起きたかを正確に予測し、鷹也はスマートフォンをタップした。

【限定のケーキがあるから家においで、と遊馬に伝えて。】

 買ってきたジュースもあれば、念の為にと準備した菓子も取り揃えてある。

「ミチも大変だなあ‥」

 笑いながら畳の上に寝転がり、拳で自らの頭を叩く。

(あー‥頭いて。…やっぱ良くないな。ユキも出て来られないようだし…さて、どうするかね。)

 庭先にぴょこぴょこと妖がやってきて、鷹也の足の上にちょこんと座る。


「どした?」

『ナナミの波こわいー!さっき池いた!こわくてみんなかくれてた!』

 鷹也は黙ったまま、妖を撫でて落ち着かせる。

「そのうちきっと落ち着くから。怖くなったらまたおいで。」

『うんー!ありがとタカヤー!タカヤいたらだいじょぶー!』

 妖は撫でられて気が済んだのか、再びぴょこぴょこと跳ねて行った。

「まあ、俺もお前らがいるから落ち着くんだけどね。」

 感情の波も、生体エネルギーも低値で安定している妖たちは、鷹也の感知にも優しい。相利共生といった関係性なのであった。


「遊馬が来たら騒がしいんだろうな‥」

 間もなく終わるだろう静寂の時間を、鷹也はのんびりと味わうのだった。


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