1-16 失意と絶望と
『ナナミ、おつかれさま。今回はえらばれなかった。』
ユキに言われた言葉が、何度も何度も頭の中でリプレイされる。ユキは机の上にちょこんと座ったまま、気遣うかのように七海を見つめている。
神楽はミス一つなく、神楽鈴に関しても完璧に打ち鳴らしていた。それなのになぜ選ばれなかったのか、七海には理解が出来なかった。全員が落ちたというなら、まだ納得はいく。しかし、あれだけ型を蔑ろにし、目立つ行動を取った遊馬と道明が選ばれたことには全く納得出来なかった。
「…だって…私、今までで最高だったよ?緊張してたけど、でも…なに?私には誰も声を掛けてくれないし。‥ちゃんと、してたもん。‥それなのになんで?お母さんも鷹兄も選ばれてるのに‥私だけ何で落とされるの?…わたし、やっぱりダメなんだ…」
気遣わしげに七海を見つめていたユキの姿が、炎のように揺らぎ、そしてすうっと薄くなる。
「ユキ!?」
『ナナミ…』
ユキは一瞬、抗うように身を震わせたが、フッと溶けるように消えた。その瞳は優しく、消えるその瞬間まで七海を気遣ってくれていた。
「うそ‥なんで?ユキも?‥ユキまで離れるの?…どうして…」
七海の心の中は悲しみ、悔しさ、遊馬や道明への嫉妬、自分への怒り、そして得体のしれない恐怖が混ぜ合わさり、分離し、浮き上がり、沈み込んではまた混ざり合う。
様々な感情が一斉に沸き立ちすぎると、傍目から見たら無感情に見えるのかもしれない。
「七海ちゃん、夕飯よ?…どうしたの?」
霧江がただならぬ様子の七海を見て声をかけ、思わず近寄ろうとする。
「なんでも、ないです。‥夕飯はいりません。すみません、一人にして下さい。」
何の抑揚もない機械音声のような言葉に、霧江はたじろいだ。どうすべきか迷ったが、しかし、何が起きたのか想像はついた。
「‥わかったわ。何かあったら声をかけるのよ?」
それだけ言い、すっと部屋から出ていく。七海はベッドに座り、しばらくそのまま微動だにしなかった。
「おねえちゃん、どうしたの?私が行ってこようか?」
ダイニングに霧江が戻ると、流水が明るく声をかけてきた。
「流水ちゃん、今はしばらくお姉ちゃんをそっとしておいてあげて?さ、冷めないうちに食べましょう。」
二人は「いただきます」と声を上げて食べ始める。
「神楽を教わっててさ、今日も見に行きたかったのに!おばあちゃんに止められてさ。私もおねーちゃんの神楽見たかったし!他のみんなのも見たかったよー!」
霧江はなぜ環が流水を引き止めたのか、分かった気がした。たぶん流水は七海の欠点に気づいてしまうだろう。そしてお姉ちゃんのためにそれを告げる。しかしそうなると―
―自分は流水にも劣るのか、と七海は考えてしまう―
「流水、しばらく神楽の話は、七海にはしないであげて。‥今日の選考会、七海はダメだった。ミスもなく素晴らしい神楽だったわ。でもだから‥相当ショックなはずなの。」
流水は目を見開いて霧江を見つめ、しばらく考えた後にそっと頷いた。
「必要以上に気を遣わなくていいわ。でも、七海から神楽の話が出るまでは、流水から話をしないでもらったほうがいいかもしれない。」
霧江が柔らかく微笑みながら話すと、流水もにこりと笑って頷いた。
「おねーちゃん、すごいんだからそんなことで落ち込まなくたっていいのにー!」
ちょっと不貞腐れたような表情も愛嬌がある。
「流水がすごいと思ってるところってどんなとこ?」
好奇心にかられ、霧江が思わず聞いてみる。
「うーんとねえ、そもそも鷹兄がおかしいでしょ?先生たちもさ、やっぱ兄弟って比較するじゃん?だからめっちゃ比べられたと思うの。それでも、お姉ちゃんは結果を出してるから!もちろん、すっごい努力してるし!」
流水はそう言って目を輝かせ、更に言葉を続ける。
「わたしはさ、もう自分で出来る範囲でいい!って思ってるから、鷹兄みたいにも、おねーちゃんみたいにもなれないんだよー!いいの!わたしは普通で!」
流水の言葉に霧江はつい笑ってしまう。確かに七海は本当に努力している。学校の成績も上位をキープしており、体育の授業におけるスポーツも全て卒無くこなしているようだ。学級委員に推薦されてしまったと言い中学三年間はずっと学級委員をやっている。
しっかりしているというよりもしすぎている部分があるのは、七海があまりにも兄の鷹也を意識しているせいなのだろう。
「だいたいね、鷹兄はたぶん宇宙人。面白くて優しいから好きだけど、ああなるには宇宙人に進化しないとたぶんむり!わたしは地球人のままでいいの!」
流水はそう言って笑い、霧江も笑う。
「宇宙人、ね。あははは、確かにそう!」
二人は夕飯を食べながら会話を楽しむのだった。七海のことは気がかりであるが、心配しすぎても彼女の負担になってしまうだろう。
点景 大人たちの会話1 現当主と当主候補
篁の屋敷、そこには篁と環、鷹也がテーブルを囲んでお茶を飲んでいる。
「‥かなりショックだろうなあ。神楽が終わった後、自分は完璧だったと‥そういう顔だった。」
篁がそう呟くと、環と鷹也も頷く。
「知らない人たちと共に舞うこと。よい経験になると思って選考に出ることを勧めたけれど・・。かえってあの子にプレッシャーを与えてしまったかしら。」
環が悔やむように呟いた。もちろん事前に「参加することに意義があり、結果は気にしなくても良い。」と伝えてはいる。
「学校が終わって家で一人になったときに伝えたのは、じっちゃんなりの優しさか?」
鷹也がそう尋ねると篁は頷いた。
「何せクラスメートだ。神楽を舞い終えた後の七海の表情を見るとな‥どうなるのか行動が予想つかなかったんでの。そういうお前こそ、七海の神楽が終わった途端に雅さんといなくなっただろう?」
少しバツが悪そうに鷹也は頷く。
「正直、想像以上だったんだよな。‥母さんも自分がいたら甘やかしちゃうってさ。結果は聞くまでもないし、声をかけようが無かったから引いた。ま、逃げと言われればその通りだよ。」
篁はそれを聞いて重々しく頷いた。
「まずは自分で考えさせねばな。共に舞うのが当主クラスであれば合わせられるが。‥同世代だとあれほどまでに浮いてしまうのか‥。」
神楽を教えている環も責任は感じているようだ。
「あの子はどうしても所作や型へのこだわりが強くて‥ごめんなさい、私の指導不足だわ。」
鷹也は笑顔でそれを即座に否定する。
「ばーちゃんのせいじゃないさ。七海の“在り方”の問題。それよりも、問題があってね。」
鷹也の言葉に篁が反応し、続きを促した。
「”自分の眼が閉じているから認められなかった”たぶん七海はそっちに逃げるよ。」
篁と環は顔を見合わせてため息をつく。
「それならば七海を儂のところに呼ぶか?」
「うーん‥それはそれで重すぎるかな。断頭台に上る気分だろうね。」
篁の提案に、鷹也はこめかみを抑え微かに顔をしかめながら返した。
「言いたいことは分かるな?」
念押しとも依頼とも受け取れるような言い回しに、鷹也は盛大にため息をついた。
「‥これ以上、俺に依存されるとまずいんだよなぁ。‥じっちゃんも分かってんだろ?」
篁は頷いた。
「しかしな、七海が本当にどうにもならなくなったとき、その時はお前には分かるだろう?」
鷹也は幼い頃から「感情のエネルギー」や「生体エネルギー」といったものに対し、余りに過敏すぎる性質を持っていた。
「‥まあねえ。七海の感情は特に強いからなあ。」
七海が生まれた時に鷹也は4歳だったが、七海が泣く度に身体は硬直し、冷や汗と悪寒が止まらず、何度も嘔吐を繰り返したうえ、気絶することすらあった。成長と共に少しずつ慣れているために、今はそこまでの不調は起きないらしいのだが。
「その様子では既に七海自身、相当荒れているのか?」
鷹也が時折ぴくりと顔を歪めるのは、既に頭痛が起きるほどに七海の感情波を受信しているのでは?と、篁は思った。
「‥荒れてるね。」
ぼそりと鷹也が呟く。
「相変わらず便利なセンサーだな!」
「他人事だよなー!」
篁と鷹也は軽口の応酬をした後、ニヤッと笑い合った。
それからフッと真顔になった篁は静かに立ち上がり、鷹也の前に正座する。
「これも次期当主の務めではある。‥そして本来は父親である蒼介の役目だ。」
本来は父親が動くべきことだが、開眼者ではないために対応が出来ない。
「‥それを言うなよなあ。」
そして当主の篁は、一族の総代という少しばかり重い肩書のせいで思うように動けない。七海にとっても篁や環では重すぎるのだ。
「息子の代わりに可愛い孫を上手く導いてやってくれ、この通りだ。」
篁が頭を下げると、環もそれに倣った。普段は飄々として、人を食ったような態度の鷹也ではあるが、さすがに姿勢を正した。
「…最善は尽くすよ。」
短くそれだけ言い、鷹也は立ち上がって敷地内にある離れの自室へと戻っていった。大学近くにある現在の家は、ここから距離はあるが、行き来はしやすい状況でもある。
「‥とはいえ、どうしたもんかねえ。」
鷹也はぼそりと呟き、庭を眺める。わざわざ意識を向けなくても、七海の感情の波は鋭く尖り、頭の芯に突き刺さってくるような感覚がある。考えていることが分かるわけではない。ただ感情が大きく膨れ上がったり、酷く沈み込んだりといった波を直接受信してしまうだけのことだ。
(はー‥かなりきてるなー‥どうしよ。)
夜空では三日月が薄い金色を帯びて輝いている。夜になると冷える日も多いが、鷹也は半袖のまま夜風に吹かれ、ただ月を眺めていた。
七海はベッドの上で座り込んだまま、ずっと動けずにいた。傍らには無造作に投げたスマートフォンが転がっている。
(…誰かと話す?‥誰に?…何を話すの?‥)
兄の鷹也、父と母、茜や道明、遊馬、順に思い浮かぶ。しかし-
(おじいちゃん?おばあちゃん?…でも…こんなこと聞けない!…ダメな子だと思われる!)
一族のとりまとめをしている祖父だ。そしてその祖父が七海を選ばなかったのだ。総代の孫が選ばれなかったとしたら、祖父の立場はどうなるのだろうか?
(え、わたし‥おじいちゃんに‥恥をかかせた?)
一族の中で一番偉い人‥その孫が出る以上、選ばれて当たり前だったはずだ。しかし、結果はダメだった。同い年のクラスメートは選ばれたというのに、だ。しかも遊馬に至っては筆頭三家ではなく、傍家の出である。
そうなると、篁は他の当主達からどのような目で見られるのだろうか?自分がもし、同じ立場だったとしたら‥恥ずかしさにいてもたってもいられないだろう。自分の行いが、そんなことにまで波及するなどと、考えたことすらなかった。
(しかも、指導してくれたおばあちゃんにまで‥)
祖母は優しく、そして厳しかった。色々と丁寧に教えてくれていた。それなのに七海はそれを実践出来なかったのだ。
(もしかして‥お母さんと鷹兄が私の神楽終わった後いなかったのって‥ダメだって分かってた!?)
ふとそんな考えが頭をよぎる。もしそうなのだとしたら、二人が七海に声を掛けに来なかったのも合点がいく。そしてあれから、母からも兄からも連絡はない。
(…わたし…見捨てられた…?)
冷たい手で心臓をぎゅっと掴まれたような気がした。身体がガタガタと震え出し、思わず両腕で自らを抱きしめる。それでも震えは止まらず、首筋をぞわりと冷たい何かが這う。
一族総代であり水澤家当主である水澤篁と、神楽の指導者である水澤環に恥をかかせた。水澤家であるまじき失敗-これは開眼出来なかったこと以上に問題なのではないか。
(どうしようどうしようどうしよう…)
何も考えられず、ただただ「どうしよう」だけがぐるぐる回り続ける。
七海の語彙が「どうしよう」だけになり、どれだけ回り続けたのか分からなくなった頃―
窓の外がほんのりと明るくなっていた。一日の始まり-しかしそれは、七海にとって新たな恐怖でしかなかった。
(遊馬や道明と会う!?話す!?)
そんな想像をした途端に胃がぎゅうううっと締め付けられた。額に汗が滲み、ふらふらとトイレに向かう。恐怖に歯がガチガチと鳴り、何かがこみ上げてくる。
げほげほと咳き込み、そしてこみ上げてくる何かを思い切り吐き出す。すっきりするどころか、ますます酷くなった。
しばらくトイレに滞在していた七海だったが、廊下の手洗いで口をゆすぎ部屋へと戻ろうとする。
「‥おねえちゃん?だいじょうぶ?具合、悪い?」
隣の部屋から心配そうに顔を出した流水と目が合った。合ってしまった。七海は息をのみ、思わず後ずさる。再び何かがこみ上げてきそうになり、ぐっとこらえる。
「な、なんでもない。だいじょうぶ、だから。」
真っ青を通り越して真っ白な顔の七海に、しかし流水はそれ以上声を掛けられなかった。声を掛けられることはおろか、顔を見られることすら嫌がっているように見えたのだ。
流水はつと七海の顔から視線を外し、ぶるぶる震えている手を見つめる。
「そう?‥むり、しないで?‥えっと、具合悪かったら言ってね?」
敢えて顔を見ず、胸元辺りを見ながら流水はそう声をかけた。普段の七海ならそんな妹の気遣いに気づいて謝意を示すのだが、今の七海にそんな余裕はないようだ。
「ありがと‥今日は‥学校、いけないと思う。霧江さんに‥そう言って欲しい。」
七海は流水を見ることすらせずにぼそぼそと言い、逃げるように部屋へ戻って行った。そんな姉の様子を流水は心配そうに見つめたが、それ以上声を掛けることはしなかった。
いつもの起床時間になり、流水は七海の部屋のドアをちらりと見やった後、階下へと向かった。
「あら、流水ちゃん。今日は早いのね?」
ギリギリまで寝ていることの多い流水が、今日は珍しく早い。
「あー‥うん。朝早くにおねーちゃんがトイレ行ってて。目が覚めちゃったんだよね。」
霧江は朝食のトーストとスクランブルエッグ、サラダをテーブルに置いてやる。
「‥七海は今日、学校は無理そう、かしらね。」
察しの良い霧江は気づいていたらしい。コップに入れた牛乳を渡してくれながら、軽く吐息を落とした。
「学校、行けそうにないって。」
流水はトーストをもぐもぐしながらそう言い、牛乳をごくりと飲んだ。
「‥なんか、話しかけたら逆におねーちゃんが気を遣っちゃいそうで。怖くて、話しかけられなかった。」
おそらく今も相当心配しているはずだ。しかし流水は、七海のために普段通りを貫こうとしているようにも見える。
「そう‥ありがとう流水、教えてくれて。」
霧江がそう言って微笑むと、流水もにこりと笑った。食事を終え、学校に行く流水を見送った後、霧江は自室に戻って姉に電話するのだった。
七海は結局一睡も出来ないまま、今もベッドの上で座ったまま動けずにいた。学校をさぼってしまった罪悪感もある。しかしそれ以上に遊馬や道明、茜に会うのが怖かった。
(どうしようどうしようどうしよう…)
いっそ祖父の所に行って土下座でもしたら心が落ち着くのだろうか?しかし、門前払いされてしまったとしたら?そうなったらもう、ここに居場所はない。
何を考えてもどうにも行動には移せなかった。この後自分がどうすべきなのか、何をしたらいいのか全く分からない。
(鷹兄ならこんなときどうするんだろう‥?)
しかし、あの兄がこんな失態をやるはずがない。だって兄は選考で選ばれているのだから。これでもし数年後に流水が選ばれたとしたら‥
(おじいちゃんの孫で選ばれなかったのは私だけ…)
そんなことになったとしたら、そう考えて七海は恐怖に震えた。流水は料理も得意で、霧江に教わって何度も成功している。神楽も同じように自分のものにしてしまうのかもしれない。そして先日、あの開眼の儀で偉そうに神楽を舞った自分を今からでも全力で止めに行きたかった。
(鷹兄‥もしかしてあの時から、私が選ばれないって分かってた!?だったら止めてくれたら良かったのに!あのときおじいちゃんも見てた。‥どうして教えてくれなかったの!?)
七海は心の中で絶叫していた。あの場には火乃宮家と月影家、土門家の当主もいて、共に神楽を舞った。その時は褒めてくれていたのだ。
(‥あれは嘘だったの?‥おじいちゃんがいたからお世辞?私がそれを真に受けた?‥どうして?どうして誰も何も言ってくれなかったの?鷹兄だって、後からこっそり教えてくれること出来たのに!)
もう七海の心の中は、ぐちゃぐちゃだった。誰かのせいにしたい気持ちと、人のせいにしてはいけない気持ちとが目まぐるしく入れ替わるのだ。
そして長い時間、ベッドの上に座り込んだまま七海は固まっていたのだった。




